98字日記ー2023年5月

5月31日(水)
昨30日発売号で、101年続いた週刊朝日は休刊となった。私は心底、怒っている。売れる雑誌に出来なかった、売れなくても続けなかった朝日は情けない。最終号は買わない。『サヨナラ・・101年の同志でライバル』と休刊に捧げてくれたサンデー毎日を買った。

5月30日(火)
篠田達美さんが闘病の後、復帰されるのを心待ちにしていた。ブログの「みみこえ」は時々現れるといった程度だったのが、ふと、一変してきちんと整理されたのを発見。現代美術評論家としてのエッセイが読めて嬉しい。

5月29日(月)
私は買い物が下手だと思う。気に入ったものを手にできない。今日は勝どきで打ち合わせをするので三越の地下のお弁当コーナーに行き、12種類くらい御飯やお菜が並んでいる一見、豪華なのにしたら全く感激できなかった。

5月28日(日)
大相撲の千秋楽。栃ノ心が途中で引退して、がっかり。黒海、臥牙丸といなくなり、これでジョージア勢はゼロ。卓球は石川佳純が引退。日本ダービーではスタート直後に誰かがパタンと落馬して馬だけが一生懸命走った。

5月27日(土)
映画『ター』をみたいのに映画館と上映時間との組み合わせにうまく乗れず、うろうろした挙句みられなかった失敗の日。でも六本木で笠井爾示さんの受賞記念写真展は見た。額に入って壁に並ぶのもいい。久子さんも美しい。

5月26日(金)
さすがに、って何が流石かはともかくとして、金曜日はひたすら家にいたい。家でぼんやりと、あれこれの辻褄を合わせながら、何とか来週もやりくりできるように線を引いたり物をたたんだりして形をつけていく。頭の中で。

5月25日(木)
住宅の間の一方通行道路を走るバスに乗る。道の両側に歩道があって、バス停が個人宅の玄関のすぐ前のことがある。今日はバスが停まった途端に玄関がパッと開いて、女性がバスに飛び込み、動き出すと靴下を上げた。

5月24日(水)
村上春樹の新作『街とその不確かな壁』を読んでいる。章立てがきっかりしていて、少しずつ読むのに最適。私、ぼく、君、きみを英訳ではどうするのかしら。騎士団長の「あたし」が  I (アイ)でしかなかった悪例もある。

5月23日(火)
冷たい雨の中を駅前まで傘を差して歩いた。シルバーパスを失くしたため1週間待って再発行が今日だった。この間に翻訳塾が3回あり、使った交通費は1万円くらい。全額ではないにしても普段なんとパスに助けられていることか。

5月22日(月)
ウクライナのゼレンスキー大統領がG7サミットに現れたことは何か不安につながる。核撤廃と戦争廃絶をひたすら願う市民としては、むしろロシアのプーチン大統領に広島に来てほしかったのだ、終戦というお土産とともに。

5月21日(日)
東陽町の紹介番組で、松坂大輔の少年時代のエピソードが楽しかった。野球仲間と汐浜運河を挟んで住んでいて、川のそれぞれの側からキャッチボールをしていたというが45メートルって、凄くない? こういう町記事がいいな。

5月20日(土)
街の中や駅では大きなスーツケースを運んでいる人たちが目立ち、急に旅行者が増えた感じがする。大荷物か、それともほとんど手ぶらか、どちらかなのが外国人の特徴。ポケットか手にスマホがあるだけ。掏摸への警戒?

5月19日(金)
広島でG7サミットが開幕。米バイデン、仏マクロンの両大統領、英スナク、独ショルツ、伊メローニ、加トルド、日本・岸田の5首相、と名前を並べてもわくわくしない。いつの間にか馴染みのない名前ばかりになった。

5月18日(木)
カズオ・イシグロの短編 “A  Family Supper” を2クラスで訳し終える。ごく初期の作品で、イシグロの日本イメージを散りばめたよう。娘が父親にお茶を淹れてくれと言われて無言で立つ心理の読みが、新宿クラスで面白かった。

5月17日(水)
全国的に今年初の猛暑日で岐阜県揖斐川町で35.1 度。東京でも31 度を越す真夏日宣言。バラは暑さに強いのかしら。山梨県立美術館の公園に咲くきれいなバラをショートメッセージで受け取った。薔薇色のバラを買おう。

5月16日(火)
池澤夏樹が「文学の仕事の仕方として、創作がある。編集・編纂がある。それから、翻訳がある。僕はこの三つは等価だと思う。」と書いている。文学の仕事の仕方、という表現がいい。いま『堀田善衛を読む』を読んでいる。

5月15日(月)
高島屋で京都・細見美術館所蔵の琳派作品を観る。若冲を主としていたが、やはり楽しいのは基一の『水辺家鴨図屏風』でゆっくりと眺めた。夜は北川暁子さんのピアノに想いを馳せつつ上野での演奏会は咳と夜道に阻まれる。

5月14日(日)
郵便を出しスーパーで買物をする。重い物はネット注文で配達してもらうのに、気がつくと籠が食品でいっぱい。新鮮なブロッコリーがとくに重い。店内で和田さんに会い、出口で前島さんと立ち話をしてユベシを一つ頂く。

5月13日(土)
『ひとりのときに』がどこかで誰かの目に止まって買われるチャンスはとても小さい。仙台の button という店で綺麗な本の表紙に叔母の名前を見つけたとき、みゆきちゃんは嬉しくて嬉しくて、買いましたと葉書をくれた。

5月12日(金)
このところ新刊を読まず、自分の書棚にある本を読み返しているけれど、本から受け取る感覚は常に新しい。前はどう読んでいたのだろう。ただ既読だという意識はあり、興味が湧かなければ直ぐ止める。大正期の作品が多い。

5月11日(木)
午後1時半から3時間、新宿での翻訳塾の間に大雨が降って止んだ。東急東横線が落雷で全面ストップしたり、東京のあちこちが破れていた。私は爽やかな風の中を歩きながら、2時間以上話し続けると咳が出るのを辛く思った。

5月10日(水)
笠井爾示さんが『Stuttgart 』で日本写真協会作家賞に選ばれた。よかった‼︎  あの写真集は、もっと広く知られるべきだと、ずっと思っていた。写真の力の強さ、深さもあるがモデルの久子さんの潔さに打たれない人はいない。

5月9日(火)
『あなたを抱きしめる日まで』(実話The Lost Child of Philomena Lee の映画化)をまた観る。婚外出産してアイルランドの修道院で重労働につき、売られていった息子を50年後に探す母親役はジュディ・デンチ。絆はあった・・

5月8日(月)
千葉・袖ヶ浦にある真光寺の墓苑・樹木葬について写真でみると緑と草花と桜の美しい里山。峯岸文子さんが眠る処で、千葉はご夫妻にとって故郷であり袖ヶ浦は校歌にあったのです、と昭さんは電話で歌ってくださった。

5月7日(日)
雨で薄暗く寒い日だったが、夜、TVでN響の定期演奏会に浸る。尾高忠明指揮で尾高尚忠チェロ協奏曲は宮田大のチェロ。パヌフニクとルトスワフスキという現代ポーランドの作品2曲。最後は84年の若き忠明指揮の「運命」から。

5月6日(土)
連休中の土曜日、翻訳塾はある。身体のだるさはとれたものの突発的に咳に襲われる。授業中も数回、悩まされ、聞き苦しくてごめんなさい。明日からの三日間は家で英訳和訳のチェックが山と待っているので、ちょうどいい。

5月5日(金・休)
子どもの日。未だに7人に1人の子どもが貧困状態にあるという数字には全く納得できない。その救済対策の一つとして公立小中学校での給食費無償化がもたもたしている。義務教育の経費は全て無償にするくらい簡単なこと。

5月4日(木・休)
咳のため家に閉じこもる。久しぶりの不調。でも夕方から咳が深くなってきて、間もなく治ると長年の経験が告げる。せっかく青空の連休なのに!  パンを買いに行けずホットケーキを焼く。バターと蜂蜜が喉に心地よく滑らか。

5月3日(水)
むかし現役の時もそうだった。台風だろうと大雪だろうと躊躇うことなく家を出てシャカシャカ働いて、天気の良い週末になると熱を出してぐったりする。連休だというのに昨夜から咳が出る。昨日薄着で外に出たからか。

5月2日(火)
『空を見あげると、なにが見える?』。これが『ジョージア 白い橋のカフェで逢いましょう』の原題の直訳。茫漠としていて捉えどころがなさすぎるのかもしれない。でもそういう作品なのに。そこが素敵で、いいのに。

5月1日(月)
「飛んで行ってしまった 子どもの頃の日々/牧場、河原、森。/突然やってきたのは 黒い服の/見知らぬ子ども 遠くの町から。/悲しい輪舞にぼくたちも加わって/涙で目をくもらせた。/草原、川、木々/日々 子どもの頃の日々。」(ガラクティオン・タビゼ 1891-1959  ジョージア)