98字日記ー2017年8月

8月31日(木)
今日はとつぜん肌寒く、新宿に行く時は雨も降っていて、長袖のカットソーがちょうどよかった。もう、秋?上から下まで黒とグレイだけの服装だったので傘はサーモンピンクにする。木々の緑は濡れて嬉しそうだった。

8月30日(水)
夜中にライト代わりにつけたテレビ番組が面白いのは本当に困る。昨夜は「アカデミックフルーツ」だった。古舘伊知郎が磯田道夫と、次に岸政彦と差し向かいで丁々発止と話すのがギンギン響いた。おかげで睡眠不足。

8月29日(火)
東大生ナゾトレの歴代問題で一番好きなのは、「次の四角にはスウジを入れ、丸にはカンジを入れて文章を完成させよ」というもので、「ここ◇つは寒さを◯る」が穴あき文章。問題は音読されるので、かなり考える。

8月28日(月)
このところ、もう人生を閉じてもいいかなと思うことがある。これは身体の調子が良い時の、とびきり不遜な思いだ。本当に調子が惡い時は必死にそこから抜け出そうとするから。でもまあ、明日はクリニックに行こう。

8月27日(日)
「あなたの友人は友人ですか」という変な質問があった。SNSで友人のつながりが広がったり確かめられたりして、ネット上で場を共有している人達は友人同士らしい。私は友人すらあまりいない気がしているのに。

8月26日(土)
いなり寿司が好き。定評のあるセブンイレブンのが好み。具が凝っている銀座の名店のも勿論いい。でもこれまでで一番美味しかったのはM手製のいなり寿司で、どこで覚えたのか聞いたことがないけれど最高なのだ。

8月25日(金)
ジャコメッティを2回目。誘ってもらったおかげで。その後、朝カルでのレクチャー「ケルトの伝統」ではザ・チーフタンズのリーダー、バディ・モローニのソロが聴けた。3米ほどの近さで、イーリアンパイプを!

8月24日(木)
昨日見せてもらった山口県の角島の写真にあった灯台が素敵だった。総御影石造無塗装の灯台は日本に二つしかない。それが今も稼働している。Mたち二人が眺めたという満天の星や透明の海がイメージできて仕合わせ。

8月23日(水)
35度とか36度という気温が当たり前のように告げられる。いつまでこんな日々が続くのか。雨も多かったと言われても局地的な雨は狭い地域に災害をもたらすだけ。早朝と夕方の爽やかさに助けられて生き延びている。

8月22日(火)
美智子さんを偲び、花盛をサン花店で頼むと出来上がりを画像で送るという。花は大体決めておき、スマホで確認。20数年でこんな時代に。記者だった彼女が定年になるまでは送りたいと足利の80過ぎた母上と話す。

8月21日(月)
井田真木子『小蓮の恋人  新日本人としての残留孤児二世』を読む。受賞した1992年に読んだつもりでいただけなのを改めて心に刻んだ。このノンフィクション作家の44歳での夭折は現代にとって大きな損失だった。

8月20日(日)
同い年の友人が電話で、この頃歩くのが遅くなったし、信号が変わりそうでも走れないから何かの病気の予兆じゃないかと心配だという。でもね、80歳に近くなったら走らないのよ、ゆっくりで当然よ、と笑い合う。

8月19日(土)
この夏から秋はオペラをフルで辿るつもりだけれど、近年は話そのものが好きでないものが増えた。歌舞伎もそうだ。憧れが減るのだから大人ってつまらない。オセロ、蝶々夫人、ポギーとベス、カルメン、などなど。

8月18日(金)
昨日の続き。手話の sign を sing と読んだ人が多かったので、翻訳について私の基本的な伝え方がダメなのだと思い、めげたのだけれど、こういうことがあるから塾が役立つわけでもあり、面白いエピソードの一つ誕生。

8月17日(木)
本のページを繰っては課題とするに満足できる文章に出会わず終わる一日。15年もこうしてきて何だったのか考える。それでも翻訳の面白さは伝えたい。「手話」を「歌う」と訳した人が半分もいたことにめげながら。

8月16日(水)
優先席を占める一家は家庭第一という家訓なのだろう。でも今朝読んだのは101歳の女性が電車で席がなく強面のお兄さんに詰めさせ、この年齢では怖いものなしという痛快な投書。でもそんな方に席を探させるな!

8月15日(火)
昨日から梅雨に舞い戻ったらしい。でも今日は傘を持った。朝7時29分のバスで勝どきに向かう。どこも空いているのはお盆だからのようで、地下鉄やバスは子ども連れが多く、優先席を一家族で占めるのはやめてほしい。

8月14日(月)
朝から幾度も霧雨に降られる。部屋からは降っていないように見えるのに外に出ると雨。なんとなく読んだ乙一の短編『東京』に惹かれて『小生物語』を拾い読みした。ああ、このセンスいいなと思う1978年生まれ、発見。

8月13日(日)
ひっそりとした一日。まずはガサガサと溜まった紙類を整理するものの大して成果もなく、古いジャズなど流してみたけれど少しうるさくて、またひっそりに戻る。このブログの表紙である小話も、何週間か放ってある。

8月12日(土)
アマゾンコムのCMで、バイクをとばして田舎に祖母を訪ねた孫。昔の写真を見て注文した物が翌朝届き、箱を開けて驚く祖母。ヘルメットをかぶったおばあちゃんは疾走するバイク後部座席で孫の背中につかまり笑顔。

8月11日(金 祝)
佐喜子姉の誕生日を親族12人で賑やかに祝ったあとで、吉祥寺駅北口広場で象のはな子さん像を見ることができた。愛らしく気品がある。でも武蔵野市はどうして井の頭公園近くにおかなかったのか、少し残念に思う。

8月10日(木)
バス停で、着ているものを褒めてもらった。スリットが深いグレイのチュニック風のワンピースの下に白いパンツ。素足に青いサンダル。M手作りの石のペンダント。猛暑に対抗する、これ以上の楽はないという服装だ。

8月9日(水)
東京の気温、37度!バス停や横浜駅のホームで熱気に包まれる。交通機関の中も冷房が効いているので、何とかしのげる。身を涼しい場所において眺める外の景色は美しく、とくに今朝の空の深い青さといったら!

8月8日(火)
パスポートを更新した。この10年に出入国の記録はただ一回、2007年にフランスとドイツの現代美術展を見てまわった。3回の大手術をした10年であり、昨年ようやく一人で展覧会などに行けるようになったのだ。

8月7日(月)
東劇のスクリーンでみるオペラは、NYを感じる生き生きした英語で幕間の話を聞けるのも楽しみの一つ。今日は『アイーダ』で、物語の最後がどうなるのか忘れていた。NYでミュージカルでみたのも楽しい思い出だ。

8月6日(日)
被爆から72年の今日、テレビ朝日の「ビキニ水爆の真実」が深い企画番組だった。第五福竜丸の乗員との対話も丁寧で、ロンゲラップ島民ともどもアメリカの医学的データの対象になっていたことへの怒りが感じられた。

8月5日(土)
夏!といっても翻訳塾の休みは1週間。この二ヶ月でメトロポリタン・オペラのライブビューイングを4本はみるつもりでセット券を入手した。『アイーダ』『トゥーランドット』『ルサルカ』と、もう一本の予定。

8月4日(金)
昨日の夕方、築地場外が火事になり、今朝やっと消火。井上ラーメン店など7店舗が焼け、あの木造密集地がそれで済んだのは凄い。今日はそこにだけ幕をかけ綱を引いてあって他はいつも通り。買い物客も多かった。

8月3日(木)
新宿の10階で講座後48階で「漫画でたどる引揚げ展」をみる。11人の漫画家達のうち10人が同世代で、とくに北見けんいちの絵に共感。『釣りバカ日誌』の原作者は同じ21年に同じ新京から東京に引揚げてきていた。

8月2日(水)
ホノルル市がスマホ歩きを禁止して罰金則を実施するという。すてき。東京もそうであってほしい。歩きタバコは区や市によって許している(ひどい!)けれど実態として激減した。スマホもほとぼりが醒めるだろうか。

8月1日(火)
「夏のひととき、青い闇はとても近くにあった。/それに気づいた者たちを手招きして
いる。/そして小枝ごと遠くへ運んでいく。」(ぱくきょんみ『青い闇』から―「現代詩
手帖8月号『エミリ・ディキンスンの詩にめぐり合う日』抜粋」