98字日記ー2021年12月

12月31日(金)
お年賀用につい同じになってしまう浅草今半の「味あわせ」を、しばらく自分で口にしていなかったことを反省し、今夜はスキヤキの佃煮。木箱入りである必要はないと思いつつ、賞味期限が8月と長いのも再認識。

12月30日(木)
勝どき橋を多勢の人たちが歩いていた。築地に買い物に行く近所の人たち? 銀座の伊東屋にカレンダーを買い足しに行き、混雑しているかと身構えていたのに、そんなことはなく楽に済ませることができた。

12月29日(水)
机の上に1000ピースで完成させた「フリーダの Viva La Vida」をついに壊し、そのスペースで今度はシュールな「アリス」に取りかかる。50年前にまだ日本になかった、この緻密な玩具をくれたひとはもういない。

12月28日(火)
広辞苑で「かなしむ」とひけば最初にある漢字は「愛しむ」。それから「悲しむ、哀しむ」と続く。愛しむは「いとしむ、いとおしむ」と読む文字でもあり、これらの言葉がどういう気持ちを共にするのか私は戸惑う。

12月27日(月)
家でジュリー・ロンドンを聴いて過ごす。I Left My Heart In  San francisco から Vaya Con Dios まで。むかし自分でもよく 歌っていたのは、あるいは胸の中で響かせていたのは失恋をうたうThe End Of The World だった。

12月26日(日)
フランスで1日の新規新型コロナ感染者数、約10万人。日本でこうなったら、もう外出はできないと思いながら、年賀状を書き始める。宛名を手書きして、束の間、その人に話しかける。束の間でないこともある。

12月25日(土)
英国で新型コロナのオミクロン株感染者が1日で2万3千人! 地球上を覆う、この状況を後世はどう想像するのだろう。シベリアから新潟の瓢湖に越冬にきた、7千羽近くの白鳥たちが朝陽に輝いているのを動画で見る。

12月24日(金)
上野動物園でパンダの母子観覧申し込みが開始された。誘う4人の顔を思い浮かべて挑戦。でもやっぱり朝10時頃に行き1分みるだけって、と途中でやめた。それにしても最後はQRコードを提示させるって・・汝もか。

12月23日(木)
今日、今期の翻訳塾を新宿で終え、丸20年が経ったと思い返す。共に学んだ人は100人か200人か。3か月でやめた人たちもいるし、ほぼ20年、ずっときてくれた人も数人いるし、この10月にぽんと加わった人もいる。

12月22日(水)
花を部屋に、と数日、思っていた。グリーンはあるけれど、やっぱり花を、少し片付けてからと考えていて、今日、小ぶりの花束をもらい、とても嬉しい。クリスマスらしい赤い実がかわいく松ぼっくりもあって。

12月21日(火)
今年は仏教について想いを巡らすことが多く、クリスマスが遠かった。茶と白と金色だけの素敵なカードを受け取り、私は何もしていないことに気づく。チョコ入りのアドベントカレンダーを早くから楽しみながら。

12月20日(月)
以前よくご挨拶代わりとしていた鶴屋吉信の「福ハ内」を久しぶりに和心さんに送る。お正月用のつもりながら賞味期限は年内中。でも一人暮らしの方たちの訪問時にお裾分けしてくれたとメールで伺う。よかった。

12月19日(日)
毎年、12月はとんとん進んでいく。なぜか色々なことが間に合わない。こんな我儘勝手な暮らしにも「新年」が向こうから「はやく」と書いたカードを掲げてみせる。とにかく今週はあと3クラスを丁寧に終えてから。

12月18日(土)
朝、横浜に向かう車窓の遠景が夢のようだった。清澄な空色の空を背景に、真っ白な山並みが横に長く連なっている。それはね、地平線上にむくむくと集まった白い雲たちの仕業。今年最後の土曜クラスは爽やかに。

12月17日(金)
国文学者をあまり知らないけれど、島内景ニ(呼び捨てでいいのかどうか)の書いたものに出会うと真剣に読む。きっかけは乙川優三郎『逍遥の季節』の解説だった。「実感を伴った夢」---今日ずっと考えていたこと。

12月16日(木)
パソコンを使わずに、訳を手書きで提出する人がいる。もちろん構わない。でもインターネットを活用しないとなると、調べをどうしているのか、自分も辿って来た道であるのに、もう想像できない苦労が忍ばれる。

12月15日(水)
以前は勝どきの仕事べやにいて屋形船が灯りを煌かせて夜の隅田川を滑っていくのをあかず眺めていた。夜景の隅々まで好きだった。今はなぜかすぐ自宅に帰りたくなる。家で気が向くままにしたいことをしたい。

12月14日(火)
集会所でのシニアの誕生会に初めて出席。挨拶する3人の最初を私がつとめ、みんなで歌いはじめてすぐ、女の方が突然椅子から横倒しに床に崩れ落ちた。救急車がくる前に意識を取り戻されたけれど大丈夫だった?

12月13日(月)
ケンタッキー、イリノイ、テネシーなど米8州で10日夜から50もの竜巻が発生した。死者百人以上と伝えられるが、もっと多くなるのでは。ネットで見る直撃箇所は建物が潰れて瓦礫の山! またまた自然災害に。

12月12日(日)

NHKの『激変』の再放送を幾つかみる。「沖縄一夜で車線逆に」では1975年5月15日の沖縄日本復帰後、78年7月30日に右側通行車線を左側にするため8時間で信号機などを変える。公も私も忙しい時代だった。

12月11日(土)
3日続けて外出した後は1日、家で。朝から眩しく晴れていて、洗濯物を干し、空缶を出し、集会所で切り餅1キロを頂き(餅つき大会の代わり)、マルエツから食料品(ノンアルを忘れた!)を受け取り、掃除を少しする。

12月10日(金)
今度の課題のテーマは、ネットフリックスのドラマ『イカゲーム』がきっかけで復活した韓国の駄菓子ダルゴナ。今日は美容院でカットをしてもらいながら、端末で当の第三話を見ることができた。これが現代・・・

12月9日(木)
翻訳塾の3ヵ月毎の更新時期が、すぐにくる。受講する人数は当初の半分くらい。それなのに添削に殆ど同じ時間がかかり、毎日数時間やらないと終わらない。好きなことだからいいけれど。次の課題を探さなくては。

12月8日(水)
リアルタイムで過ごしたい。理詰めでそう思うわけではなく、後悔せず計画せず、ということ。この1年半、あの時ああすればよかった、という思いに捉われてきて、自ら抜けだそうという気持ちにやっとなったよう。

12月7日(火)
 伊映画『ライフ・イズ・ビューティフル』をTVで。ホロコーストは・・と躊躇いつつ、コメディに込めたナチ批判を確認。ロベルト・ベニーニの監督・主演の才がきらきら光り、最後を知っていて観るのもよかった。

12月6日(月)
昨日はマラソン中継の間に江戸博の縄文展の最終日だと思い出し、3時に出かけた。見事な構成で、興味深かったのは千葉出土の6米ほどの細い丸太舟。5千年?もよくぞ保たれていた。反省ーー見たいものは早めに行く。

12月5日(日)
福岡国際マラソン最終回をTVでみる。1966年頃から6、7年、毎年、数日前から福岡入りして外国人や貴賓関係を担当した。本部となるホテルと陸上競技場に朝から晩まで詰めていた懐かしい仕事の一つとなっている。

12月4日(土)
車内で席がたくさん空いていても、私の隣には必ずひとが座る。私の前世は座布団なのだと改めて思う。どうせなら日当たりのいい縁側に一つ置かれているだけの、厚くも薄くもない、朱色系の綺麗な模様のがいい。

12月3日(金)
いつもバスの窓外の景色を楽しむ。とくに築地近くの川が好き。新宿に行く日の「船堀駅行」では、途中のアパートの壁に描かれた大きな「ポチ」に挨拶する。今日の夕刊で20年ほど前に亡くなった秋田犬と知った。

12月2日(木)
授業中に急いて水を飲んだため咽び、咳が止まらなかった。部屋を出て行きがけに、はい、と一つ机に置いてくれた飴が寒さを増した帰り道に優しかった。プレバトをみながら書くと、ちょっと俳句的光景じゃない?

12月1日(水)
昨夜は激しい風雨だったことを伝える、道に張り付いた夥しい枯葉。京急線で品川を通ると大工事の敷地のあちこちがまるで泥池のよう。と、ふいに青空がぐんぐん広がって白い雲が、ふわっと押し出されてきた。晴。