98字日記ー2022年8月

8月31日(水)
3日前の投手・大谷翔平の8奪三振は美しかった!渾身の力を込めてという言葉そのものだった。それに続く2日で本塁打28号と29号。何よりも瞬時の判断での風のような激走がいい。数値目標はいらない。その時々がいい。

8月30日(火)
「アートのある生活」と「ない生活」の2種類がある、とちょっと乱暴なコラムを読んだ。生活にスパイスを、ときれいにまとめてあったが、昔の日本の家には床の間があって掛け軸がかかっていた。あれはどうなった?

8月29日(月)
四方田犬彦『モロッコ流謫』から、コーランの訳者として知っていた井筒俊彦へ、そして夫人の井筒豊子の小説『白磁盒子』の解説から『モロッコ国際シンポジウム傍観記』を読むに至る。次々と興味深くつながっていく。

8月28日(日)
アボカドが高い。この間まで94円のセールで5個ずつ買っていたマルエツで1個175円。セールで145円。それが最近、195円になった。大、とあっても毎朝用には中位がいい。今朝は大の半分。明日あとの半分がフレッシュかな。

8月27日(土)
朝晩は風が涼しい。ひっそりと静かな早朝の銀座を抜けて、暑くなる前に勝どきにこもる。センダックの絵本をPCに打ち込んでいると、西部本社写真部だった落合さんから電話で、送った企画部の文集へのお礼。50年振り。

8月26日(金)
O・ヘンリー『振り子』にシャツウェストというブラウスらしき物が出てきて、シャツの歴史を調べていたら、この言葉が『グレート・ギャツビー』でも使われているとわかった。本を見ると、確かに。また読み直したい。

8月25日(木)
水、木で3クラスある週。どのクラスも以前に比べれば格段に人数が減っているけれど、それだけにそれぞれ独特の雰囲気を持つ。木曜の後のクラスの人達と、駅までのほんの少しの距離を歩きながら交わす言葉も貴重。

8月24日(水)
引き戸が好き。いまの住処もリフォームで、ぐんと引き戸が増え、越して来た40年前に買った食器棚も、散々探して扉が全て引き戸のもの。襖も障子もない生活で残念だけれど、一軒家に住む人は玄関を引き戸にしてほしい。

8月23日(火)
企画OBの自費出版『私の思い出と記録 朝日新聞社の文化事業』が出来上がり、その関係で数人と連絡が行き交っている。私はキクラデスについて書いたが、出来上がりを見て、その15年前の栄華を記すべきだったと反省。

8月22日(月)
コロナ禍は、じわっと社会に居座っている。イベントの中止は関係なくとも気の毒。日生劇場が出演者の体調不良で昨日の公演を中止し、今日、複数の陽性反応者が確認されて千穐楽までの8公演全てを中止と発表した。

8月21日(日)
冷房がなければ、いたたまれないのに、その冷房に弱い。この数日、腰が痛いのはそのためかと思いつつ日常的には全くないことなので、危機的状態を想像する。若い頃、咳が3日続くと、ついに結核だと思ったように。

8月20日(土)
好きな映画女優の一人がサンドラ・ブロック。与えられればどんな役でも引き受ける役者振りがいい。で、もう一度みたいのが邦題『ウルトラ I  LOVE YOU』。原題は all about steve 。パズル作家を演じて最低女優賞獲得。

8月19日(金)
昔からこうよね、と自分に言ってみるものの、やっぱり忘れっぽい。郵便局に朝一番で行ったのは本代の振込と簡易書留を出すため。途中でレターパックの買い置きがないと思い出して買い、書留を出すのを忘れた。

8月18日(木)
今日からカルチャー開始。休みそのものは嬉しいけれど、身体は規則的に動いている方がよさそう。基本的に怠け者だから、こまめに、は苦手。立っているか座っているか寝ているか、どれでもいいから続けていたい。

8月17日(水)
郵便局では「にいづまさん」が私の手帳から出てきた少額切手を7枚も小包に貼ってくれたし、銀行の窓口では他行への高額振替を流れるように捌いてくれた。昨日は私の手際のわるさを、他のひとのせいにしてしまった。

8月16日(火)
スムーズに事が運ぶと思っていたことは運び、だめかもと思っていたことはやはりだめだった一日。この頃、銀行と郵便局があまりにひどい。手数料ばかり高く、サービスは悪く、窓口では不愉快な目に会うことが多い。

8月15日(月)
外の猛暑に恐れをなして家にいたら昼寝をしてしまった。それもうとうとではなく、午後3時頃からぐっすりと。目が覚めたら5時過ぎで、クラシック倶楽部が始まっているとすぐに思う。もちろんそれは朝ならば、のこと。

8月14日(日)
お盆で、あの世から帰ってきている人たちもいるはずだと思う。「生者と死者との関係が濃密な」日本文化という言葉を使っている『廣澤隆之選集』のいよいよ最後である9巻を朝、涼しい時間に少し読んでは思いに耽る。

8月13日(土)
台風で激しい雨が襲ってくる合間をくぐって、銀座エルメスで短い映画を2本みる。ジャン・ヴィゴ監督『新学期 操行ゼロ』は1933年作の伝説のフィルム。C・メイヤー監督『ラプソディー』は15分の短篇。どちらもシュール。

8月12日(金)

台風が近づいているとかで、外の木の枝が大きく揺れている。でも窓を開けると入ってくる風は相変わらず、熱い。むわっとする。この夏休み中に仕上げたいことが幾つかあり、今日は「よーい、どん」の「よ」くらい。

8月11日(木・祝)
R・ブリッグズ、逝去。『さむがりやのサンタ』を美礼と何十回も読んだ。テーマが核戦争の『風が吹くとき』、両親の『エセルとアーネスト』、晩年のユーモア溢れるエッセイは翻訳の課題にも。そしてあのチャリティー・サンタ・・・

8月10日(水)
夜の公演なれど美礼が一緒だったので朝日ホールで矢野顕子のピアノ弾き語りを聴く。横浜で授業をしたあとでもあり、アラスカで食事もして、2、3度横から起こされた。声もピアノも気持ち良すぎ。濃いピンクが似合う人。

8月9日(火)
20年間に翻訳の課題として選んだ短篇やエッセイは500本以上。先週、前にやりました、と言われて焦ったものの、クラスを移ったその人以外には初めてだと分かった。でも10年前の課題をすぐ思い出した児島さん、エライ!

8月8日(月)

志村ふくみがヘレン・シェルフベックについて書いている項をどうしても読みたくて『母なる色』を取り寄せる。(申し訳ないながらネットで久留米の古書店に見つけて。) ヘルシンキのアテネ美術館での出会いを深く読む。

8月7日(日)
国政選挙のたびに疑問だったのは、開票ゼロでメディアが打つ「当確」。新聞に投書もしたし現場記者の話を聞いたこともある。でも納得できなかった。もしかして旧統一教会の「投票確定数」を計算に入れていなかった?

8月6日(土)
この日付けを記すだけで胸に響く重さを感じる。77年目だそうだ。本当はアメリカ中で黙祷してほしい。そして日本中ではアジアでしたことに対して黙祷する。愚かな人間である私は今日食べる美味しいものを考える。

8月5日(金)

第7波というらしい、新型コロナ新規感染者数が膨らんできて、昨日は東京だけで3万5千人以上。総体的にみると恐るべき状況だけれど日々の生活はなんとか維持されている。電気と水の供給が止まらなければ、なんとか。

8月4日(木)
無印良品のキャラメルポップコーンを袋から直接パクパク食べていたら賞味期限が目に入った。22・11・22ーーなんて綺麗な数並び。切り取って、手帖に貼ろう。生きていれば84歳になる。今日は8月4日。関係ないけれど。

8月3日(水)
冬生まれの我が身に夏はきつい。猛暑に向き合うのは家からバス停まで歩き、待つ、計10分くらい。あとはほとんど車中で冷房が効いている。横浜も新宿も教室は駅に直結したビルの中なので涼しく、着くと、ほっとする。

8月2日(火)
集会所で「眠りと健康」講演会。我が家のすぐ上から階段を駆け下りてくる中学生だった船戸弘正医学部教授による爽やかなお話だった。睡眠の時間や質は、昼間をどう過ごせるかで適正かどうかを判断するべきとのこと。

8月1日(月)
「ヘレンは生涯にわたり自画像を描き続けた。絵画と素描合わせて40点ほどが残されている・・(1914年作『黒い背景の自画像』について)シャルフベックはエイナルへの手紙でこう語っている。『明るい白にバーミリオンを施し、黒い背景には墓石のように私の名前が刻まれている』」(佐藤直樹による解説から)