98字日記ー2021年5月

5月31日(月)
ワクチンを100%、信頼してはいない。でもそのリスクは、コロナにかかるリスクとどちらが高いのか。このパンデミックに対応する人類の一人として接種しかないと思うのみ。打った腕に12時間ほど痛みがあった。

5月30日(日)
『平野甲賀と』を1頁1頁、見て読む。全てがいい。本の形も、たっぷりと入った文字群も写真もいい。とくにいいあとがきの「2020年6月 82歳の誕生日に」を見つめる。最後の本がこれで、甲賀さん、よかったね。

5月29日(土)
大手町・自衛隊ワクチン接種センターへ。人海戦術であらゆる箇所に係がいて、迷うことも待つこともないままパイプ椅子に座っては立ち・・座っては立ち。やっぱり地元で受けられるとよかった。でも面白かった。

5月28日(金)
沢村貞子献立日記は26年間分、あるという。芹沢銈介デザインのカレンダーでカバーをかけた大学ノートに定規で線を引き、日々、作った献立を記してある。最近、金曜日の夜9:55からも5分、Eテレで放映される。

5月27日(木)
雨。五月は雨も緑のなかでは心地よく。最近受講してくれるようになった男性が『・・る本』を2冊とも単行本で入手したと見せてくれた。うれしいけれど、もう、はずかしくも。若気の至りという言葉もあるし。

5月26日(水)
皆既月食。どこかで見る? 見なくても、と思っていたのだけれど、9時半頃、ベランダから見上げる位置で満月に新月がずれて重なっているような不思議な佇まいの月が輝いていた。そして10時頃には満月が雲で朧。

5月25日(火)
会話や手紙で相手のパートナーをどう呼ぶか、最近よく話題になる。いいこと。意味を思うといまだに奥様、ご主人様ではないと思う。手紙で私について触れるとき「女人」と書いてくれる人がいる。くすぐったい。

5月24日(月)
今週分の添削の合間に、ポストに投函するものを仕上げていく。ジョージア語の宿題、本を読んだレビュー、今期の翻訳塾に途中から来られなくなった人へのフォロー、などなど。詩の訳は完成させられなかった。

5月23日(日)
映画館でみたケン・ローチ監督『家族を想うとき』をTVで再度。『わたしは、ダニエル・・・』で引退表明した後の作で、原題 sorry we missed you が宅配不在通知だと知ったのも、この辛い、辛い作品でだった。

5月22日(土)
苦手な歴史小説なのに単行本を完読!西野喬『保津川 角倉了以伝』。面白かった〜。なぜか一気に読んでしまった。医者と僧侶と商人という組み合わせや、冬という賢明な女性の存在に惹かれたのかも知れない。

5月21日(金)
肉体が無くなってしまったらお終い。人間はそういうもの。そう覚る、あるいはそう覚ったと思う、その深さを実感しながら、共感しながら、公子さんと長く電話で話す。でも思いは漂っているに違いないとも思う。

5月20日(木)
短い公けの会議にzoomで参加して、無事終了した。楽しい体験ではあった。こういう機会がこれから多くなるのかしら。顔が見えればいいというものでもない気がしている。ことばを一番よく伝えるのは多分、声。

5月19日(水)
雨空の下の隅田川は寂しくとも20年も眺めてきた懐かしさがある。スマホに送られた、昨日撮ったという姉たちの写真にも懐かしさがある。二人が廊下を挟んで向き合う部屋に住むなんて思ってもいなかったこと・・・

5月18日(火)
数日後にZOOM会議に参加することになり、パソコンの操作にMの遠隔手解きを受ける。同じアップルでも型が違うと画面の文言も違う。それをいつも推量しながら教えてくれる。試行錯誤しながら二人会議成功!

5 月17日(月)
コロナウイルス接種予約狂想曲。区内の、それも近所のクリニックで、と思いつつ初日はいつも「話し中」。対面授業もしているので迷惑をかけないうちに政府設置の大規模センターにネットで申し込んだ。面白そう。

5月16日(日)

アカデミー賞をまとめた番組で素敵なスピーチを再確認。プレゼンターのブラピがディカプリオを語ったのもよかった。マクドーマンドが「アーオー」と叫んだのは、最近亡くなった音響担当ウルフに捧げたのだった。

5月15日(土)
対コロナワクチンの接種予約で混沌としている。予約開始後すぐに予定数はいっぱいになる。私はまだ何もしていない。とにかく全員にまわる量はあるというのだから。行政の手際のわるさはどうしたものだろう。

5月14日(金)
3ヵ月入院していたひとが家に帰って、虚脱感に悩まされているという。入院する前は痛みと闘っていたし、今ふと何をしたらいいか戸惑っているのかもしれない。病院で「駒」でいる心地よさを知ってしまったとも・・

5月13日(木)
最近、本に没頭する時間が長く、ふと気が付いたらジョージア語をまったく放ってあった。取り掛かると、今度は面白くて、のめり込む。10〜20行の短文15本くらいが宿題になっているので、来週早々に提出しよう。

5月12日(水)
昨日朝刊の宝島社の企業広告は全面見開きの大迫力!!「ワクチンもない。クスリもない。タケヤリで戦えというのか・・この一年は、いったい何だったのか・・」惹句はすごく良かった。デザインが惜しかった。

5月11日(火)
このところ翻訳塾の課題添削で考え込むことが多い。ビンチの短篇小説もレヴィツカの紀行文も他愛ない展開で進みながら、最後にストンと意味深長な落し所がある。それを捉えられるかどうかなのだけれど・・・

5月10日(月)
五月の緑が窓外に広がり、朝のコーヒーが美味しい。ふと、思いはアリゾナに。樹々の点在する砂漠の真ん中の道を真っ直ぐ、車で進む。周りに動くものは何もなく、前方は行っても行っても地平線だけだった。

5月9日(日)
空豆の旬。莢のまま焼け目が黒くつくまで焼き、実をはずす。薄緑色がぴかっと光る上に、粒の粗い岩塩をほんの少し振る。アンデス山脈で採掘されたというローズソルトが気に入っている。油揚げも焼き日本酒と。

5月8日(土)
A・ローラン以来、現代の仏小説に魅せられ、今朝、ジャン=ポール・ディディエローラン『6時27分発の電車に乗って、僕は本を読む』を終えた。何という舞台と人たち。なぜこの本を見つけられたのか思い出したい。

5月7日(金)
ウィキペディアを参考にはする。鵜呑みにはしない。管理者自身が正確さについては50%と認めている。便利ではあるけれど、最近は英語の誤訳がそのまま、というのが増えた。三島喜美代が三島君代のまま。ひどい。

5月6日(木)
ヒチコック監督の『知りすぎていた男』をジェームズ・スチュアートとドリス・デイを見たいのと、「ケ・セラ・セラ」を聴きたいのとで少しみる。56年作。夜はYouTubeで、かてぃんのピアノ。ありがとう!

5月5日(水・休)
裁縫はできないのに好きな番組「ソーイングビー」は今日、楽しかった時代として70年代のベルボトム。あの頃私は膝上30センチのミニスカートかパンタロンが多かった。格子柄、花柄、縞などの美しさも懐かしい。

5月4日(火・休)
何という人生、とふさいでいた去年、Mからの誕生日カードに「勤め人だった頃の仕事について教えて」とあり、企画・担当した展覧会、書いた記事、編集した紙面などを断片的にまとめている。結構、楽しい。

5月3日(月・休)
コロナ対策下のスーパーは工夫して購買欲を誘う。マルエツは5月中のネット買物に週300ポイントを付けるので、配達無料の4000円買物で約7%引き。今日も沢山届けてもらう。牛乳、卵、西瓜、野菜、ノンアル・・・

5月2日(日)
いま近くの美術館や映画館が閉鎖されているのが残念。観る予定のものが幾つも始まったところだった。人数制限をして開いてほしい。と思って出掛ける人がいるから感染が広がるのかな?必ず一人で、とすれば?

5月1日(土)
「プーシュキンを隠し持ちたる学徒兵を見逃せし中尉の瞳を忘れず」(小池真理子『沈黙のひと』あとがきから引用。「・・(作中の)短歌はすべて、わが父、小池清泰によって詠まれたものである。本書は亡き父に捧げる。」