98字日記ー2018年3月

3月31日(土)
一昨日、勝どき橋のバス停で話し込んだのは、近くのシニア向け高級マンションに住む「八年生まれ」の初対面の方。「元気だけれど腰が痛くて。これから行く鍼は保険がきかないから週に一度だけ」。バスは「井戸端」。

3月30日(金)
ジョン・グリシャムの新作『カミノ・アイランド』はディテールが面白い。課題としては冒頭しかできないけれど、小さな本屋が出てくるあたりがわくわくする。昨年の発売から米紙ではベスト10から外れることがない。

3月29日(木)
急ぎの返事を電話で頼まれて勝どきに郵便を受け取りに行き、書類に署名して帰りにポストに入れるのを忘れ、バス停で同年輩の人と話していて忘れ、家の近くでと思って忘れ、ついに持ち帰り、夜、投函しに出かけた。

3月28日(水)
北朝鮮の金正恩委員長が中国を初訪問して習近平主席と会談した。特別列車で国境を越えて北京に入ったことに思いが深まる。ピョンヤン、ペキン、モスクワ、パリ、ウイーン、ベルリン・・・みんな地続き。平和なら。

3月27日(火)
桜満開。下町は川が多く、両岸からふわっと桜の花がかぶさっている様子があちこちで見られる。バスで道を曲がった所に大きな桜の木が枝を広げて待っているのも素敵だ。ほとんどの小中学校の校門にある桜も満開。

3月26日(月)
『グレイテスト・ショーマン』の主題歌「This is Me」を You Tube でたっぷり聴けるのは幸せ。なぜか急に風邪気味なので応援歌にしている。天気がわるいと元気で、春らしい陽気な晴れ日が続くと一種の花粉症に。

3月25日(日)
小川洋子の新刊の短編集から今日は二本。「先回りローバ」と「亡き王女のための刺繍」。もっと読みたい気持ちを抑えて本を置く。いつも同じ感想なのだけれど、発想の意外さと文の清々しい豊かさに浸らせてもらう。

3月24日(土)
『グレイテスト ショーマン』はグレイトなミュージカル映画だった。興行師バーナムの実録を幼年時代からテンポよく追い、迫力ある歌と踊りと登場人物すべてが個性的だった。音響のいいTOHOシネマズ日本橋でMと。

3月23日(金)
サッカーは分からないけれど、ふとTVで見た国際親善試合の画面に魅せられた。日本vsマリ。目を凝らして見たのは、緑の芝生や空っぽの赤い椅子が並んだ上を横切って飛ぶ鳥、鳥。ベルギーのリエージュとか。

3月22日(木)
新宿の帰り、滅多にないことに地下鉄の中で眠り、一駅乗り越した。戻りはほとんど乗客がない車両で、さっき課題でやったトルーマン・カポーテのミスター・ジョーンズが乗っていはしないかと見回した。いなかった。

3月21日(水)
突然ひとけたの気温で雪が舞い、祝日で、誰も外に出たくないような日に横浜の翻訳塾には全員の顔が揃った。4クラスそれぞれが違った雰囲気で、それは多分メンバーの個性によるのだろうが、どのクラスも好き。

3月20日(火)
向かいの一小の電気が夜11時になっても消えない。毎年この時期の小中学校の情景で、私自身が関わっていた頃を思い出す。とくに大変なのが学級編成で、親の突然の転勤による人数の増減で学校は大慌てする。懐かしい。

3月19日(月)
福岡で桜の開花宣言。東京でも早咲きの報せが気温の上昇、花冷え、不意に降る雨などと一緒に伝えられている。家のベランダから見る並木道の根元で白く輝きはじめたのは、ユキヤナギかコデマリだろう。やっと春。

3月18日(日)
漢字を書く手が止まることが増えた。キーボードを使う方が多くなっているためでもある。元々、漢字に弱いので、今日はゲーム。漢字ジグザグと170の漢字のうち25しか分かっていないホワイトナンクロの超難問。

3月17日(土)
いい翻訳とは、原文と同等か原文以上の力をもつものだ。その力が感動となり深い理解となる。幻のような美しさも伝える。翻訳機が改良されていくのも、それはそれでいい。ただ機械は入れたもの以上を出すことはない。

3月16日(金)
バスの中から見る桜の木々が蕾でぼうっと霞んでいる。出光美術館に立ち寄って『色絵』を愉しむ。館所蔵の江戸時代の陶磁器200点。昔から馴染んでいる古九谷がやはり一番好き。濃黄、緑、青の強さがあたたかい。

3月15日(木)
森友学園との国有地取引に関する決済文書を財務省が改ざんしていた問題で、朝日の追求は激しい。13日の朝刊2ページ全てを使って改ざん前と後の14文書を全文掲載したのは大迫力。隠すことを正当化させないこと。

3月14日(水)
冬のスポーツは激しくて見るだけでも怖くてドキドキする。昔、ノルウェーのジャンプ台に上がった時、その高さに目が眩んだ。パラリンピックもたけなわ。今日は村岡桃佳が座式のアルペンスキー大回転で優勝した!

3月13日(火)
春には皆、会いたくなるらしい。高校の同期生会、高1の時のクラス会、昔の職場などから一斉に案内を受け取った。懐かしい友人たちだけれど、予定と重なっていて出欠を悩まずにすむと、少しほっとする自分がいる。

3月12日(月)
予習も復習もせずに授業に出ていることでキープできるだろうと思っていたジョージア語。12課以降、そうは言えなくなってきた。形容詞のついた名詞それぞれを6種類に格変化させる問題で躓いた。続けていくべき?

3月11日(日)
10日の東京大空襲、11日の東日本大震災と、この二日は追悼と祈りに満ちる。今日の午後2時半を過ぎる頃、あの時の揺れを思い出し、天気を思い出そうとする。信じられない驚きでテレビ画面を見つめたのは7年前。

3月10日(土)
ユスラウメの写真を見た。6月頃につく紅い実が艶やかに小さな緑葉の中からのぞいている。吉祥寺の家の広さが今の3倍ほどだった時、サンルームの前にあった。ふと木や花が懐かしい。竜舌蘭、柘植、ヒバの垣根。

3月9日(金)
平昌パラリンピックの開会。TVでみる開会式は美しく爽やかだった。障害についてあまりに細かく分けるのが気になっていたけれど、スポーツで勝ち負けをあらそうベースとしては仕方の ないことなのかも知れない。

3月8日(木)
明日も冷たい雨の一日らしく、よかった。家に閉じこもる状況になって確定申告の書類作りができそうだ。マルエツにネットで注文した食料品を受け取る時間も昼すぎに設定。こうして自ら束縛しないとやれない書類。

3月7日(水)
杖をついている。乗り物の中で杖を持つ人が立って席を譲ってくれる。大丈夫、立っていられますからと遠慮するけれど、元気な人たちにその言葉の行き交いを聞かせたいのかも知れないと思う。御礼を言って座る。

3月6日(火)
都営新宿線の座席がきっちり個別になり、座るとどちらかの側に肘掛けがある。とても快適だけれど全てがこうなるのかどうか。あまりに楽でラッシュの時は必死で立っている人達との落差が大きすぎるかも知れない。

3月5日(月)

第90回アカデミー賞授賞式の数時間、TVでみる。短く、と決められて面白くなくなったスピーチの中で、主演女優賞を受けたフランシス・マクドーマンドが女性が少なすぎると訴えた。作品賞Best Pictureは『シェイプ・オブ・ウォーター』。

3月4日(日)
メシアンの『トゥランガリラ交響曲』を家の大きな肘掛け椅子にもたれてTVで楽しめるのは幸せ。会場で音に包まれるのは最高だけれど、指揮者大野和士の顔は見えない。都交響楽団でピアノはヤン・ミヒールズ。

3月3日(土)
松家仁之の『光の犬』をもう少しで読み終える。読んでしまいたくないようで、でも、気になって一度置いた本をまた取り上げたりしている。書くことが本当に好きな人なのだろう。編んであるように絡んだ糸を解く。

3月2日(金)
高橋悠治ピアノ・リサイタル「余韻と手移り」。魅力的なプログラムだった。なかで初めて聴いて一番面白く、好きだったのは増本伎共子の『連歌』。ペダルを使わないピアノ音だそうだが私には聴きわけられない。

3月1日(木)
わが行けばどんぐり光り触れ合えり/ 千枚の青田に千の平和あり/ あきぐみに陽の匂う風吹き来たる/ きよお!と喚いてこの汽車はゆく新緑の夜中/ 麒麟の脚のごとき恵みよ夏の人/金子兜太。本年2月20日に逝去。