98字日記ー2017年3月

3月31日(金)
国立新美術館に寄って草間彌生の絵が入った缶バッジを買い、ボードテラスで珈琲とチョコレートケーキのくつろぎタイム。赤に白いドットの布が桜の木の幹にも巻かれていて、小雨の中の花はまだ五分しか開いていない。

3月30日(木)
今朝のNHKクラシック倶楽部は高橋悠治の素敵なプログラムだった。ピアノ、歌、バリトンサックス。でも朦朧とした寝覚めのため、あとで美恵さんにメールで聞くと完全なスタジオ録音だったとのこと。き直したい。

3月29日(水)
NYのブルーノートSPコンサートと題するチック・コリアとハービー・ハンコックの二台のピアノによる共演は素晴らしかった。昨夜テレビで。チック・コリア75歳誕生祝いの一夜限りの夢。あの空気は懐かしい。

3月28日(火)
春の選抜高校野球大会で勝ち進んで喜びの声をあげる高校生たちもいれば、那須の冬山で登山講習を受けていて雪崩に巻き込まれ、命を落とした8人の高校生たちもいる。それぞれの親たちがいる。さまざまな生を思う。

3月27日(月)
家から出たくなくて休もうか、とサボリゴコロが疼く。ジョージア語は易しいクラスに入り直したので休んでも大丈夫。その割には「雨になりそうだ」とも言えないけれど。で、結局は出席して、ああ、いい授業だった。

3月26日(日)
たいていはメールで済ませられるこの頃でも、そうはいかない用件や相手もある。パソコンを使わない友人も多い。今日はとりあえず一番気になっていた数人に葉書を書く。なんと一日仕事。気が晴れたからいいけれど。

3月25日(土)
最近みた二つの展覧会はどちらも、ただ行った、とは書けなかった。『ミュシャ展』ではプラハからきた20点ほどのスラヴ叙事詩に圧倒され、『草間彌生展』では魂に触れるとはこういうことかと132点に囲まれた。

3月24日(金)
片岡義男全著作の電子化が進み、300冊をこえた。遥か昔にファンだったのでスタート時にサポーターになり、いつでも、いつまでも読めるわりに熱心な読者ではないけれど、こういう企画の支え手が増えるといい。

3月23日(木)
四つのクラスそれぞれが違った雰囲気をもつ翻訳塾を春からも続けられるのが嬉しい。3カ月ごとに、そう思って16年になるのも不思議だ。翻訳することで物事の本質に迫っていくスリルは趣味として深く、楽しい。

3月22日(水)
ショーソン「詩曲」は1896年にイザイに捧げられた。五嶋龍の渾身のヴァイオリン演奏を聴き、作曲の基となったというツルゲーネフ『勝ち誇る愛の歌』(西周成訳)を読みムツィオの情感を文字から受けとめて完結。

3月21日(火)
今日一日だけ、雨。あまり降っていないようでいて、傘をささずにいると、ひどくぐっしょりと濡れてしまう細かな雨。ツヴィムスイコ。ツヴィムス アル イクネバ。寂しいような、さばさばして気楽なような。寒い。

3月20日(月)
歩きながら、ふと思う。なんだかタラタラ生きているなあ。具体的なイメージがあったわけでもないけれど、もう少しピリッとした生き方をしてもよかったのではないか。と思いつつ、お腹がすいた、と気持ちはそっちへ。

3月19日(日)
この間、昔の仕事仲間たちと食事をしていて普段はどんな夕食なのか聞かれ、好い加減としか言えなかった。次の日、夕食後に『騎士・・』を読むと202ページに主人公がほとんど同じ夕食をとるシーンがあった。奇妙。

3月18日(土)
黒の長袖の上に青灰色の絹のショートワンピースを重ねると、なんとも地味だったので、多摩動物公園の缶バッジ「タスマニアンデビル」をつけた。スタインベックの犬チャーリーに対抗したつもり。気に入っている。

3月17日(金)
一日、訳の添削にかかり切り。どうして、と思う訳が続出して、しばし手を止め、1、2時間過ぎる。なぜもっと原文の流れに沿って頭から訳さないのか。なぜ不定詞を後ろから「~のために」と訳すのか。どうして・・・

3月16日(木)
広い舞台を覆う茎の長いカーネーションの花々。ピナ・バウシュ・ヴッパタールの公演初日で『カーネーション』。数年ぶりに彩の国に行き、その息吹は楽しかったものの、ピナがいた時とは違う・・とMも私も同じ感想。

3月15日(水)
明日用にオペラグラスを探しだした。20数年前、AWの編集部員たちから贈られたもの。百人以上いる広い部屋の端から反対側の端へと異動で移る私に皆の顔が見えるようにと渡された。一人ひとりが懐かしくて胸に迫る。

3月14日(火)
タクシーの初乗り運賃が変わって、普段よく乗る距離は高くなった気がしていた。事実、ある距離以上は値上げになったという。今日初めて安くなった距離を乗った。税務署まで730円だったのが、490円。嬉しい。

3月13日(月)
新年に親族全員に贈ったのは、紙から形をはずすだけでいいペーパークラフトのカレンダー。かっちりと固い紙のアニマルはテーブルの片隅にあってもじゃまにならず、気に入っている。今月は薄緑色のエレファント。

3月12日(日)
短歌や俳句をもつ日本人は総詩人だと思う。最近知った偶然短歌は愉快。ネットで探さず身の回りで見つかると素敵だ。磯村健太郎記者が築地で見つけたもの。「拾得物。財布、ちくわぶ、トマトディル、SDカード、くらげ、生アジ」。

3月11日(土)
いつも締切に追われる。というか締切ぎりぎりにならないとできあがらない。始めても締切までは直しに直すから。事務的な確定申告に直しもないけれど、きれいな表で1年を振り返りたい。とにかく終わらせなくては!

3月10日(金)
おもてなしが、とても下手になった。といっても以前は上手だったわけではなく、やっぱり苦手だった。いろいろ設定するのだけれど、楽しんでもらえるとはいえない。今日は資生堂パーラーのシーザーサラダがスタート。

3月9日(木)
憧れだった野島秀勝先生の名前を久しぶりに聞いた。最近翻訳塾に入ったひとが大学で先生の授業を受けていて、私の本で名前を見て嬉しかったと話してくれたのだ。懐かしい若き日々。09年に亡くなられている。

3月8日(水)
東日本大震災から6年が経とうとしている。あの3月11日は日本にいた誰にも忘れられない衝撃を与え胸に刻み込ませたと思う。朝日紙面で始まった「いま伝えたい『千人の声』」をしみじみと深く読む。未だ切ない。

3月7日(火)
本棚から、ふとリテレール別冊「私の好きな文庫本」(1994)を手にし、須賀敦子がデュマ『三銃士』の生島遼一訳で翻訳文の面白さを満喫したことや仏料理本のイタリア語訳の話から、私はロートレックに数時間没頭。

3月6日(月)
一日籠城して、やるべきことを片付けていく。それで少し時間ができそうだと映画か展覧会に、とすぐ考えるものの今週は無理かもしれない。楽しみな食事の約束も二つある。村上春樹の『騎士団長殺し』を読み始める。

3月5日(日)
ただ過ぎていく土曜と日曜。添削と確定申告を気にしながら散歩にいく気分で『江戸と北京』展へ。熈代勝覧にやっと会う。ぎっしりと描きこまれた江戸の市井の人々。ベルリンから送られてきた実物に魅了される。

3月4日(土)
築地市場の豊洲移転の問題をはじめ、もやもやとした政治状況が渦巻くなか、天皇・皇后両陛下のベトナム訪問がさわやか。今日は古都フエでチャウ記念館を訪れ、百年の流れを記憶に甦らせた。外気はすっかり春めいた。

3月3日(金)
バスでたまたま並んで座ったひとに話しかけられ、そのひとが生まれ育ち今も住む木場で降りるまで。身体中が痛くて手がすぐ攣るのでなかなか出かけられないけれど築地まで行き、松露の卵焼きを買ってきたという。

3月2日(木)
新宿Aクラスでだけ先週、NYTの記事を課題にした。パナソニック製ターンテーブルの消えた幻ブランド「テクニクス」再生の話。記事にクォートがあった小川理子さんの本が翌日出版されて驚いた。『の記録』。

3月1日(水)
私は一つの空想をもっている・・・けものでも鳥でも、死が訪れるとき、彼らは孤独でなく、何かの霊か神秘的な力―――動物のそれか天使のそれかは分からないが―――が共にいて、最期のときを慰め、支えてくれる、というものだ。(クレア・キップス『ある小さなスズメの記録』から抜粋・梨木香歩訳)