98字日記ー2016年9月

9月30日(金)
一日閉じこもり、今週およそ50人分の添削を明日分も含めて終える。正直、飽きることもあるけれど、朝起きて真っ先にしたいと思うのも誰かの訳を読むことなのだ。こういう時間をもてるのは、まさに望外の幸せ。

9月29日(木)
さっきタクシーの運転手さんが、ここは全然値下がりしませんねと言った。町ができて30年。当然住処も同じ年数を経ながら、自然はいっそう豊かになり、賢い住人たちのおかげで建物が古びない。とくに秋は美しい。

9月28日(水)
最近、銀座『ウェスト』に行っていないので、ぼんやりとシュークリームを夢見る。ゴルゴンゾーラパフもいいなと思う。でも行かれないのでセブンイレブンでシュークリームを買う。これもとてもおいしい。太る所以。

9月27日(火)
ドイツ製1500pのジグソーパズルが届いた。老人が小説を書き、出版社に持ち込み、本になり、売れて、受賞し、書店の窓に並んだ本を若者が買うという、本の背表紙で仕切られた豪華漫画風。始める?  どうする?

9月26日(月)
がんばらなきゃ、の今週。毎週の2クラスに隔週のクラスがふたつともあり、月一回の集まりがふたつ。全部重なって、準備にこの数日は朝から晩までかかり、でも皮切りの今日は生徒としてのジョージア語をたっぷり。

9月25日(日)
アン・ハサウェイの『プラダを着た悪魔』の第二弾といわれた『マイ・インターン』をみる。元気に仕事をしたい若い女性を励ます、いかにもアメリカ的な軽さと真剣さが楽しい。とにかくロバート・デニーロが素敵。

9月24日(土)
今月の東京の日照時間はまだ数分とか。勝どきから木場までのバスの車窓に見る川は水墨画の世界なり。川を何本渡るだろう。屋形船が靄っていたり、海洋大学の船のサイケデリックなマストが揺れている。船が好き。

9月23日(金)
使い切れないのに小さなノートを傍に置きたい。近々には古代ギリシャ展のときにアテネのキクラデス美術館のものを買った。杯をあげる彫像のシルエットが彩色されて表紙に並ぶ素朴なノート。ギリシャ文字がいい。

9月22日(木)
単語の cluttered は、辞書にある「散らかった」という意味だけではなく、室内装飾では「沢山の物が感性で配置されている」状態を表し本の題にもなっている。と、説明したくてインテリアの本を眺めて一日が終わる。

9月21日(水)
本がどうしても拾い読みになってしまう。まったく新たな本を読むというより、前に読んだ本を何かのきっかけで部分的に読むことが多いせいもある。翻訳塾の参考にすることが絶えず頭にあるためもある。詩を読もう。

9月20日(火)
リオでパラリンピック閉会。10日間、さまざまな「しょうがい」を持つ人たちの生き生きとした顔をTVで寸暇を惜しんでみた。それでも細かく分け過ぎとか晴れない疑問が沢山ある。これからも考えることにしよう。

9月19日(月・祝)
相変わらず郵便を出せない。近くのポストはどこもずっと先の信号まで歩いていって広い道を渡ってたどりつく。銀座からバスで勝どきに行けば途中にポストがあるのに、今日は雨で三越の中を歩いて過ぎてしまった。

9月18日(日)
この一週間、少し張り切りすぎて今日はダウン。もっとも来期スタートの準備に必要な時間でもある。ファニー・フラッグの小説を課題とするが切り取り方が難しい。冒頭とクリスマス、住民の交流、鳥の部分と・・・

9月17日(土)
本物を生で見る凄さを、ぎゅっと感じている。ピカソとマチスは突出していたし、『あん』も原作と映画のオフィシャルブックをもう一度読もう。今度の春は多摩全生園の剪定されていない木々に咲く桜を見に行きたい。

9月16日(金)
昨日訪れた都美の展覧会場で、1945年の壁面に作品はなく空白のまま、エディット・ピアフの声で「ラヴィアンローズ」がかすかに流れていた。あの日パリには紙吹雪が舞った。まさにポンピドゥーの展覧会だった。

9月15日(木)
3時に新宿終了、6時に帰宅。その間にポンピドゥー傑作展をみに行かれるか。行く。1906年から77年まで1点ずつ選ばれた中で好きな作品を目に刻む。デュフィ、ケルテス、セラフィーヌ、ピカソ、ビュフェ・・・

9月14日(水)

ドリアン助川さんの話を聴きにいってよかった。鳴かず飛ばずの小説(本当?)39冊の後11回書き直した40冊目の『あん』。カンヌ映画祭ほか数十カ国での上映。ウクライナでは「口の中まで泣いた」と言われた。

9月13日(火)
今夜も量子詩が届く。第1074番で「純粋詩5行を書く」で終わる毎日新聞の天気欄を基調としたもの。松井茂さんからは毎日の詩のほかにときにイベントの知らせもある。築地であったとき朗読会を聴いた/見た。

9月12日(月)
夏休みをジョージアで過ごしていたスレセリ先生が戻り、皆とお土産のチュルチヘラをいただきながら、月2回のジョージア語のクラスは続けようと覚悟した。語学の勉強としては最小単位だけど、積もるものは大きい。

9月11日(日)
終わりそうで気になる展覧会は我慢して今日はしっかりパラリンピックを見ようと思う。出来れば全部の競技を少しでも目にしたいけれどTV放映されるものだけ。ゴールボール女子が3回戦まで進んだ。音と気配の世界。

9月10日(土)
リオデジャネイロ(一月の川)でパラリンピックが始まり、報道される量が圧倒的に多くなってきたのはいい。心底、そう思いつつ、真剣に考えると問題も多い。誰もが一緒の場でオリンピック、というのは無理かな。

9月9日(金)
東博で古代ギリシャ展。並ぶ300点以上が紀元前のものであることに改めて衝撃を受ける。「競技者像」のはにかんだ少年は正に現代の男の子の顔だから。平成館の外のベンチで秋風に吹かれながら夕闇に包まれる

9月8日(木)
バスで隣に座った5歳と3歳くらいの子どもに棒付きの飴を母親が与えた。どうしよう、と思っていたら私が降りる場所だった。揺れるバスの中でどうしてあんな危険なことをするのだろう。私に注意はできたかしら。

9月7日(水)
日中は真夏日と変わらず暑いのに、とつぜん日が短くなり夕方6時過ぎには暗くなる。カサノバが出てくるエッセイを訳していたら、カムチャッカで一番大きな熊の名前がカサノバだと朝刊にあった。関係ないけれど。

9月6日(火)
昨日は風邪を引いていたらしく咳をしていたし、早く眠くなり、夜中3時にテニスをチェックしたときにアイスノンを足元と頭の両方に置いて、7時過ぎまでぐっすり眠り、錦織圭の3セットの最後をかろうじて見た。

9月5日(月)
今日は何も書きたくない。こういうことは1年に一度あるかどうか。たいていは幾つも書いておきたいことがあるのに何も記したくないひとつだけ書こう。セブンーイレブンの幻のマンゴーアイスバーを見つけて食べた。

9月4日(日)
『駆込み女と駆出し男』を今度は家で見た。でもまだ台詞が全部聞き取れない。字幕なしで映画をみるために英語を勉強するという人がいるのに私は日本語もだめ。井上ひさしの原作『東慶寺花だより』を読まなくては。

9月3日(土)
マイブームはアンジェレ。朝、10個、藍色を基調とした器に入れ、カッテージチーズをたっぷりとのせる。カリッと焼いたバゲットやコーヒーとよく合う。栃木や福島、宮城のJA産にブルーベリーと合わせることも。

9月2日(金)
展覧会か映画か、などと考えていたのだけれど、とんでもない。明日のクラスの16人分、まったく添削していないことを発見。丸一日かかる。錦織圭の全米オープン2回戦だけしっかり見た。最後はサービスエースで!

9月1日(木)
「その変り者ハーグに住まい/思いつくこととびきりあいまい/風船舟をやっとこ作り/月を眺めてうなずきこっくり/まったくもって考えあまい」(エドワード・リア作、柳瀬尚紀訳『ナンセンスの絵本』から)