98字日記ー2016年7月

7月31日(日)
原田マハ『暗幕のゲルニカ』を読み終える。史実に架空の人物、出来事を織り交ぜた物語に引き込まれた。雑誌連載が文章のだぶり感に残っているのを編集してくれたら最高だと思う。ビルバオやバルセロナが懐かしい。

7月30日(土)
銀座の朝の目覚めは遅い。それにしても買い物客や観光客が多い土曜日にデパートや銀座東急プラザなどが11時まで開かないのは、まるでナマケモノ。ランチをとった「アポロ」のギリシャ料理はおいしかったけれど。

7月29日(金)
ズットナーから、Believe me、そして私を呼び出した目的は「レーニンも大英図書館で本を借りたくて、そう言ったよ」と話すことと語った若い後輩で友人の竹信悦夫さん、と連鎖的に思い出す。彼も死んでしまったし。

7月28日(木)
梅雨明け。しとしと降る雨に気持ちが沈んだ思いもないまま夏になる。白に青いストライプの入ったサッカー地の小さなワンピースがふと懐かしい。襟も袖もなく、ウェストに少しギャザーが入ってふくらんだスカート。

7月27日(水)
人と会っていて、話す側か聞く側かといったら、私は絶対に聞く側。だから話すのが苦手な人は私といると気詰まりに違いない。でもそんな私が夢中になって話してしまう人や人達もいて、本当にありがたい貴重な存在。

7月26日(火)
「今週の小話」のギリシャ篇23に「空腹な人はいない」とあるが、レスボス島のミリッツァ・カムビシさん(83)は毎日、浜辺の椅子にかけて、トルコの難民たちに手を差し伸べているという。赤ちゃん用ミルクと共に。

7月25日(月)
文庫になっている穂村弘の作品を数冊まとめ買い。積んでおいてときどき読む。『絶叫委員会』は真剣に読むというより、ぱっと開いたところに共感!というのが正しい読み方だ。『世界音痴』の“世界”がこよなく好き。

7月24日(日)
枯らしたかと心配したベランダのクレマチスの鉢が、また緑のつややかな葉を沢山つけ、濃い紫色の花も2輪咲かせた。蔓ななのか茎なのか、するすると伸びているのを、どうしよう。支えの棒を立てなくてはならない?

7月23日(土)
一年でいちばん大切に思っている記念日。勝どきには行ったけれど、電話も含めて一日、誰とも口をきかなかったと思う。それはそれで、しごく快適。聴いていたのはナタン・ミルステインの古いバイオリン小曲の数々。

7月22日(金)
スマホのゲームアプリ「ポケモンGO」が米国や欧州で先行して人気となっていたのが、日本でも開始されたという。不安。ハーメルンの笛吹きみたい。誰かに操られて子どもたちがぞろぞろとついていくのだ。どこへ?

7月21日(木)
大橋巨泉さん、逝去。美香さんから、父も来ますのでと知らされたジャズ演奏の一夜があったのは、そう昔のことではなかった。でもまだひとりで夜に出かけるのをためらう時期で誘う人もいず、聴きに行きそびれた。

7月20日(水)
朝の連ドラ『とと姉ちゃん』は舞台が戦後となり、『暮しの手帖』を立ち上げる大橋鎮子と花森安治の挑戦の日々となりそう。戦後の荒廃の東京で、よくぞ暮しを豊かにすることに目をつけてくれたと胸がいっぱいになる。

7月19日(火)
ノーベル賞が最高位だとは、夢思わないけれど、だれかの良き主張であることは感じる。つまりこの人は絶対にある空間と時との接点に位置づけなくては、とだれかが思うのだ。村上春樹や吉増剛造はそうなっていい。

7月18日(月・祝)
武蔵野赤十字病院に友人を見舞いにいき、東西線終点の三鷹駅でムーバス停を探そうと思ったけれど、気が急いてタクシー。友人の笑顔を見て、心底ほっとする。帰りは憧れのムーバスで武蔵境駅まで8分。駅の変貌ぶり!

7月17日(日)
アマゾン・コムのTVcmが海外でも評判だとか。赤ちゃんが家の犬に大泣きするので、すぐにライオンのかぶり物を取り寄せてかぶせるストーリー。赤ちゃんとゴールデンレトリバーそれぞれの表情が豊かでとてもいい。

7月16日(土)
アボカドとマグロのぶつ切りを山葵で和えて、大根おろしの上にのせる。グラスに一杯だけ飲む白ワインはキンキンに冷やす。あの葉山の神奈川近代美術館のシンボルがイサム・ノグチのこけしになったことにチアーズ。

7月15日(金)
本7ページ分の長い経歴の初めから7行目、生まれてすぐのような時代を共有していたひとの足跡と今を感じとる場に、憧れられていたのではないかと思うひとと共に訪れる。「全身詩人、吉増剛造展『声ノマ』」。竹橋の近美。

7月14日(木)
1920年代の欧米の生活では煙突が大切な位置を占めていて、小説でも生活の描写には煙突の登場が多いことをクラスで話した。朝早く汽車で通りかかった町でも、煙が立ち上っていれば住む人々の一日が始まっている。

7月13日(水)
いま、なんと4人もの友人が手術や術後のリハビリに挑んでいる。何にもしてあげられないのが歯がゆいけれど、神様とか仏様とか祈りを叶えてくれるものなら、私は飛んでいく。どうか元気になって一緒に遊んでほしい。

7月12日(火)
永六輔さんの死去。『上を向いて歩こう』はインドネシア語でも歌われた。Gadis Sukiyaki Sangat Menarik Hati. この歌にまつわる永さんとインドネシア人介護福祉士との楽しいやりとりをリハビリをしていた医師が書いている。(信子さんの exblog ガドガドから。)

7月11日(月)
こんなはずじゃなかった、と思う時、どうしたらカムバックできるかしら。後悔するのは、たいてい、ごく小さなことなのだ。(時という大きすぎる壁に阻まれる場合があるにしても。)ごく平凡には旨きものを食べる。

7月10日(日)
参議院議員選挙もあり地元のあれやこれやで一日が過ぎた。改憲に前向きな4党が三分の二を占めると明らかになったようで、がっかり。初めて選挙をした18歳の人たちは開票2%での当確をふしぎに思わないかしら。

7月9日(土)
銀座三越の入り口で4歳くらいの男の子が店に入るのをいやがり、腕を取ろうとするお父さんに抵抗して、ついには地面に正座しているのが可愛くて見とれ、携帯にメールが入っているのに気づかず私は時間を損した。

7月8日(金)
映画『リトル・ミス・サンシャイン』を何度目か観たとここに書き、消し、警官による黒人の射殺に対する抗議デモが全米で広がっている状況を書き、消し、道子ちゃんが無事マイアミに帰ったと聞いて、米国の平安を祈る。

7月7日(木)
連日30度という気温の高さに、外に出ても人の気配が希少。そんななか来週のスケジュールの過密ぶりに身構える。4クラス全部あるうえに人との約束もいくつか。これが幸せというもの? まさかね。でももしかしたら。

7月6日(水)
小さいとき、よく転んだ。転ぶと膝に擦り傷ができて、ひどい時は大きなかさぶたになっていった。それが嬉しくて、かさぶたを、そっと端からはがす楽しみを待ちわびた。今はどうして、そういう子がいないのだろう。

7月5日(火)
日曜日に放映されたN響定期が忘れられない。尾高忠明指揮のエルガー「謎」とモーツアルト「2台のピアノのための協奏曲」が最・最高だった!ピアノはチック・コリアと小曽根真で即興的なカデンツァが夢のごとく。

7月4日(月)
『フランケンシュタイン』を2クラスで取り上げている。訳すのは、ほんの一部だけれど、この二百年前の傑作に原書で触れ、人間の精神と肉体について考え、19世紀前半の英国に、また英語に接する意味はとても大きい。

7月3日(日)
七夕はもうすぐ。大きな笹飾りがマンションの玄関内に立てられ、 住人がそれぞれ短冊を下げていく。健康や家族の幸せ、テストの良い結果を願うものなど。ハングル文字で書いたものもある。私はなにをお願いしようか。

7月2日(土)
翻訳塾のあと横浜美術館へ。メアリー・カサットの作品の数々は懐かしく、また温かく、しみじみと眺めた。図録が35年前と同じアイメックス・ファインアート制作で田久保さんから送られ、そのつながりに心から感謝。

7月1日(金)

卯の花の匂う垣根に ほととぎす早も来鳴きて  忍び音もらす 夏は来ぬ/さみだれの そそぐ山田に 早乙女がもすそぬらして玉苗植うる 夏は来ぬ/橘のかおる軒端の 窓近く蛍飛び交い おこたり諌むる 夏は来ぬ/ (佐々木信綱詞「夏は来ぬ』から)