98字日記ー2015年1月

1月31日(土)
夜9時12分に着信メールに気づいた。尼僧和心さんから、いまNHKで始まったドラマのロケは北杜市が多いから観て、とのこと。反町隆史主演の『限界集落株式会社』。山や森や畑が沢山出てきた。あと4回が楽しみ。

1月30日(金)

カレル・ファブリティウスの傑作『ごしきひわ』を見た覚えがさっぱりない。フェルメールの『真珠の耳飾りの少女』と一緒に3年前、マウリッツハイス美術館展にきた。都美に行ったし、手元に図録はある。情けない。

1月29日(木)

村上春樹が読者からの質問に答える「メールやりとり祭り」として『村上さんのところ』というサイトを開いている。とても真面目な答えが多いのはちょっと予想外だったけれど、コアがしっかりしているのは、さすが。

1月28日(水)

言葉として肘と膝だけでなく、足首と踵もよく言い違えられる。文字の中でだけでなく実際にも病院のベッドで私の脚が動かなかったとき、位置を変えるのに踵を持たれると痛くないのを看護師さんに足首を持たれた。

1月27日(火)

石川県のキーウィー、栃木県の苺、愛媛県のみかん。冬にこんなに豊かに果物をたのしめるなんて、感謝すべきことのひとつだ。NYでは大雪となり非常事態が宣言され、交通機関はすべて止まり、役所は閉鎖された。

1月26日(月)

『フィールド・オブ・ドリームス』をテレビでみる。バート・ランカスターが映画としては出演最後となったものだし。その若いときの選手アーチー・グラハムが車に乗りこんでくるときが一番鳥肌。夢を現実だと思える。

1月25日(日)

岩波ホールでみたのは、もう一昨年のことになるのか、『ハンナ・アーレント』を家でみる。かっこいい映画であることは承知済みなので、不真面目に。食事をするシーンとか街の風景がほとんど出てこないのに気付く。

1月24日(土)

ふっと深い穴に落ちたとき、そこから淵に手を伸ばして戻ってくるのに時間がかかるようになってきた。暮れまで留守だったため家に今年のカレンダーがひとつしかないことにめげたりする。卓上タイプを三つ、買う。

1月23日(金)

インドの女性の服はきれいで動きやすそう。岡野さんが着ていて見せてもらうと、サリーの下はサルエルパンツに似て膝下から足首までピタリと脚につく。チマチョゴリとかアオザイとかアジアの女性の服は素敵。

1月22日(木)
昨日から久しぶりの雨。水、木のクラスの人たちが不自由ではないかと気にかかる。駅の階段や道が滑るだけでなく、傘一本が持ち物に加わると重さ十倍になるから。むかし雨好きだった頃は考えもしなかったことだ。

1月21日(水)
全豪オープンが始まって、WOWOW全開。選手が激闘のあと山のような身の回りの物を素早く片付けて大きなバッグに詰め込み、肩にかけてコートを去るのがいい。今日はナダルとシャラポワがタフな逆転勝ちを見せた。

1月20日(火)
隅田川の川面に触れては飛び立つ鳥たち。楽しんでいるのか頑張っているのか。葛西臨海水族園で回遊が人気のクロマグロ、スマ、ハガツオ全部で159匹が3カ月前から減ってきて、ついに今日は7匹になってしまった。

1月19日(月)
カラダにとって必要なこと、大切なこと、じゃないことをしたい。そういう衝動に駆られるのも初めてではないけれど、うまくやりたい。缶詰のホールコーンを山ほど炒めて焦げ目をつけてバターを落として食べるような。

1月18日(日)
この間、どういう成り行きからか30人くらいの席で中締めのあった後、スピーチをしてしまった。というか、私の前にそうした人がいて、つい、なのだけれど、判断がわるくなったなあとしみじみ思う。やっぱり・・・?

1月17日(土)

ようやく全部のクラスをスタートさせることができた。いまは The Goldfinch の長い課題に取り組んでもらっているので、少し落ち着いて、いい課題を探したい。そして私は、いい詩をよみたい。古い詞に触れていたい。    

1月16日(金)

トルーマン・カポーティの親友の女性は誰だったか、この間からなんとなく思い出そうとしていた。調べれば分かることだけれど、今日、『カポーティ』の出だしをみて、もちろん、と思った。ハーパー・リーだった。

1月15日(木)
贈られたブーケの中で、ピンクのガーベラと黄色の小ぶりのチューリップそれぞれ一輪が寄り添って、思いがけない郷愁を胸にかきたてる。幼い頃のワンピースの柄だったような、キイチのぬりえの何処かにあったような。

1月14日(水)
手に藍色のマニキュアをしている。服がたいていブルー系なので、合っていると思う。私の色を見つけたから、と押し付けるように贈ってくれた人に感謝。自分では塗るのを躊躇う濃さだし、選ばなかった。いまは好き。

1月13日(火)
退院して3週間。え、まだ3週間?もうずっと前のことのような気がするのだけれど、退院して初めての外来で人工骨の収まりを、痛みのないことを確認する。でも実は、まだ痛いという反射神経だけあったりするのが変。

1月12日(月・祝)

天にはどこまでも真っ当に青がひろがっていて、家のなかからみると穏やかな美しさなのに、外の大気はこれぞ冬という冷たさ。清砂大橋をバスで渡るとき真っ白な富士山が凛とした姿をみせてくれた。寒いのもわるくない。

1月11日(日)

いまBS朝日で「滝川クリステルのオランダ美術紀行」をみている。この人がこんなにレポートが下手とは。ディレクターがだめなのかも知れない。説明は全部、地に流れる声がしていて、彼女は誰に向かって話しているの?

 1月10日(土)

高野文子『ドミトリーともきんす』を長いことキーボードのそばに置いたまま。とっくに読み終わったし、ときどき読み返してもいる。でもなぜか読んだ気がしていない。しみじみ科学に弱くて、すとんと胸に入っていない。

1月9日(金)
家でいい加減な食事をしていると、一昨日の2カ月ぶりの外食がおいしかったなあと思い出される。銀座アスターで。青梗菜も、最後にほんの二口か三口で食べた小さな北京ダックも。食べられる健康を大切に思いつつ。

1月8日(木)
ユートピアとディストピアが言葉として繰り返される記事を課題としてクラスで読みながら、現実味を帯びるのはディストピアだとかなしく思う。家に帰れば、たい焼きひとつでこよなく幸せになる我が身は別として。

1月7日(水)
Mが一緒だったので、2カ月ぶり位でバスに乗る。車と電車だけで移動していたのはバスのタラップの高さが時に怖いから。歩道のすぐそばに乗降車口が寄せられることは滅多にない。バスの中から銀色の満月が見えた。

1月6日(火)
弱くて、すぐひがみ、優しさを素直に受け取れないのに、その実、そっと読み返す。「貴女は倒れても起き上がり、また歩き出す一本の樹。幹に冬陽を当てられ、枝にまた鳥が来る樹。陽射しの一筋になって毎日伺います」。

1月5日(月)
吹き替えの映画はほとんど観ないが『フライド・グリーン・トマト』はディテールをもっと知りたくて、ゆうべ夜中に。キャシー・ベイツの服も面白いし、レストランで用意しているメニューも気になる。でも眠っていた。

1月4日(日)
年賀状は、とても親しい人に出さなかったりする。私は日本橋島屋で1時間ほどで住所などを印刷してもらった即席ご挨拶状を暮に出したので元旦に届いたら不思議。1年間会わなかった人からの明るい言葉は嬉しい。

1月3日(土)
北欧のTVドラマにはまっているの、背景とか考え方とか室内装飾とか思いがけないのよね、と電話でゆりかさんが言った。確かに。私は柳沢由実子のスウェーデン語からの新訳『ロセアンナ』で似た印象を持った。

1月2日(金)
元旦と二日はファミリーと会う日だが、今年は体調を崩している人もいて14人だけだった。ご馳走も作らず片付けもせず贈り物も用意せず、私は怠惰の見本のようなもの。退院して10日という自分への口実を掲げて。

1月1日(木)
黒は何色ありますか。「簡単にいうと三色で、茶系の黒と緑系の黒、それから墨からきた黒」。白は何色ありますか。「僕にとって白は光なので、まぶしさの度合いが何段階かあります」。(山本耀司『服を作る』から)