98字日記ー2017年6月

6月30日(金)
昨日は急いで帰ってお隣での集まりに10時近くから参加したもののインデラさんとは会えず残念だった。最後まで一人残り日付けが変わるまで岡野さんと話し込む。で、今日は静かに蟄居し、みんなの翻訳に向き合う。

6月29日(木)
昔のそのまた昔の職場つながりの友人達と銀座で湯葉料理。美術展図録の制作方式が今はすっかり変わってしまったと知る。アバウトさがなくなった話から私が愛した世界はアバウトそのものだったとしみじみ思い返す。

6月28日(水)
スマホの設定はMがいなかったら、とてもできなかった。世の中の人達はどうしてみんな賢いのかしら。税金の申告のときも痛感するし、私は生きていくのが本当に大変。きりきりしないで暮らしていくことを考えたい。

6月27日(火)
翻訳の課題をさまざまな範囲とレベルで用意して、それぞれに渡す。たいてい、ほら、すごく面白いでしょう?という気持ちなのだが、受け取る側もそうだとは言えない。もっと楽しんで読んで、と思うのは私の身勝手?

6月26日(月)
久しぶりに満谷マーガレットさんとメールで会話し、林京子の最後の作品『再びルイへ』や東海村のメルトダウンについての短編『収穫』の英訳が紹介されるという嬉しいニュース。多和田葉子の『献灯使』も来年には。

6月25日(日)
鹿児島「しょうぶ学園」ヌイ・プロジェクトのドキュメンタリーを見る。布や糸から生まれた鋭い個性の煌めきは、アドルフ・ヴェルフリの緻密で深遠な世界と通じてもいて、人間の魂が浄化された形を見る思いがした。

6月24日(土)
スマートホンに切り替え。実際に使えるまで時間がかかりそうだけれど、シャンパンゴールドの機体にぴったりのレモン色のカバーをMがプレゼントしてくれた。指紋を登録して自分しか見られないなんて001の気分。

6月23日(金)
自民党の女性衆議院議員による秘書への暴言、暴行が報道されて離党したが議員をやめてほしい。でも元官房長官が「あんな男性議員はいっぱいいる」と言って慌てて撤回した。事実なら、何て品のない人達なのだろう。

6月22日(木)
横浜クラスのKさんが横浜市街を撮った写真があるカメラ雑誌で最優秀賞に選ばれ、見開きで掲載された見事な作品を全員で見せてもらった。私には既視感があり、ふと気づいた。絵葉書で知る、あの憧れの町シグナギ。

6月21日(水)
久しぶりの大雨、強風なれど、快適に横浜を往復する。読みふけるのは『みみずくは黄昏に飛びたつ』。クラスの数人から絶賛されていて、ようやく手に取った。平易な言葉で深く抉る川上未映子、村上春樹の二人は素敵。

6月20日(火)
アマゾンでうまくいかなかった本の贈呈を教文館に頼みにいく。宅急便の代金がかかるけれど、この方がずっといい。インターネットの便利さに寄りかかりすぎていたのを少し後戻りできそう。書店での時間も宝物だし。

6月19日(月)
もやもやした気分だったので、『レオナルド×ミケランジェロ展』で心を洗う。会員だけの鑑賞日で1点に一人、向き合える静かさ。習作に見入るものの、600年前という具体感が胸にすとんと納まらない。三菱一号館。

6月18日(日)
家でいつも手元にあったiPadを使わないことにしたら、最近していなかったことに目が向き、ピアノを弾いてみようかなどと思う。いかにネットに時間をとっていたことか。でも間もなくスマホを持つ。どうなるかしら。

6月17日(土)
都バスの車内表示は日本語、英語、中国語、韓国語(ハングル文字)で次々と現れ、おかげで忘れかけていたハングル文字を、キ、カ、セ、タなどと拾い読みしている。韓国の人は、これを見て嬉しく思ってくれるのだろうか。

6月16日(金)
村上春樹・柴田元幸のトークイベント(紀伊國屋サザンシアター/4月)は、私の周辺で知る限りの申し込んだ人は全員抽選はずれだった。そのときの全記録と二人の対談『MONKEY』に載っていて、読み応えがある。

6月15日(木)
走り書きのメモが玄関ドアにあった。2階の我が家のベランダにサッカーボールを蹴り入れてしまったとのこと。たまたま帰るのが遅かったけれど連絡すると若いお父さんが受け取りに。どこで蹴ったのか聞き忘れて残念。

6月14日(水)
小さな失敗を沢山重ねている。昨日は別線の事故のために超ラッシュの地下鉄に乗り、今日は汐留のミュージアムに寄ったら休日だったし、先日出した手紙が料金不足で戻された。勝どきから無事に家に帰れますように。

6月13日(火)
心にわだかまりがあって何かを楽しむ気分ではなく、ひたすら翻訳の添削と向きあう。船堀タワーのサロン・ド・サロンで揚げた鰯をアンチョビソースで食べながら。カロリー、高そう。一日中、細かな雨がけぶっていた。

6月12日(月)
晴海トリトンスクエアは開館後の数年間、素敵な処だった。中華、フレンチ、ショコラ店など常に満員で、外の花壇が綺麗で、くつろげた。今は侘しい。今日は第一生命ホールのチケットを受け取りにいき、終始迷子。

6月11日(日)
川村美術館のショップで軽い綿100%のショールを見た。様々な色が織り込まれている。広げることもせず巻きの様子だけで買った。家で大きさと美しさに感激。30代半ばの女性で播州織作家・玉木新雌の作品だった。

6月10日(土)
訃報は悲しい、寂しい、切ない。たとえずっと会っていない人でも、自分の何処かにその人とのつながりが間接的にあって、それが切れるのも遣る瀬ない。ましてや家族であればいかばかりかと・・・。6月は雨の月。

6月9日(金)
ロスコ展以来3年ぶりの川村記念美術館。コーネルが目的で新宿クラス8人での遠征だったけれど、開催中のヴォルスもよく、監修が千葉成夫さんだった。心に残っているのはコーネルの初めてみる青いコラージュ1点。

6月8日(木)
日が長くなった。木曜日の後の方のクラスに出た人たちも明るい時間に帰れるだろうと思うと、ほっとする。さらにどこかに遊びに行く人もいるかも知れない。私もすぐ遊ぶことを考えながら結局はとぼとぼと家に帰る。

6月7日(水)
半年以上先のイベントなどの予約を取ることがだんだん億劫になってきた。でもそれを怠ると聴きたかった音楽会をすっかり忘れてしまうこともある。最近では浦安音楽ホールのオープニングコンサートをミスして残念。

6月6日(火)
課題用に短編やエッセイを何本も読む。いいと思うものはたいてい長すぎる。でも本の合間から大昔の朝日の入社試験用紙が出てきた。うろ覚えではボブ・ディランだったのにディラン・トーマスに関する英文訳だった。

6月5日(月)
期間が長いと思っていた展覧会も次々と終わり、結局観なかったものもある。いちばん行きたいのは15日木曜日の午後7時半からゴーリーの家や納屋を巡るナイト・ツアー。でもその日にニューヨークにいるのは無理。

6月4日(日)
オルミ監督『ポー川のひかり』をエルメスで。ボローニャ大学図書館の床に太釘で打ち付けられた古書の数々、ポー川のほとりでの村人たちとの交わりと全て聖書の一部のようでありながら流れる曲「忘れな草」が甘美・・・

6月3日(土)
馬喰町ART+EAT で浅野友理子さんという若い人の絵を見ながら林のり子、石倉敏明両氏のブナ帯の話を聞く。東北の山村や海辺を中心として人、食、自然、木について思考を巡らす面白さ。ぱくきょんみさんとも会う。

6月2日(金)
地下鉄に盲導犬を連れた女性が乗ってきた。駅員さんが優先席に座らせてあげ、降りる六本木では、また駅員さんが迎えにきているのが嬉しい。でも優先席の端の席は若い人が占め、ドアにも寄りかかっていて動かない。

6月1日(木)
休みなく歌ひながら せっかちに枯木の幹をノックする 啄木鳥/お前を見てゐる私の眼から あやふく涙が落ちさうだ/なぜだらうなぜだらう 何も理由はないやうだ/風の音 水の音(三好達治『空山』)