98字日記ー2022年10月

10月31日(月)
部屋の細い三角出窓から上弦の月が綺麗に見えるとき。晴れているから一層つよく届くのか、部屋の電気を消して寝室に行こうとすると斜めに入る光が床にまで落ちている。でも40年も住んでいて昔は気付かなかったような。

10月30日(日)
チェックしたいことがあって、この日記でちょうど10年前を見る。今とまったく変わり映えのしない日々が並んでいた。それでよかったのかしら。よくなかったと考えたとしても致し方ない。ラヴィアンローズを聴きたい。

10月29日(土)
原稿を書く合間に、高田郁の『ふるさと銀河線』から短編をいくつか読む。もう10年近く前の作品に、作者は「生きにくい時代・・・遠い先にある幸福を信じていたいーーそんな想いを登場人物たちに託した」という。

10月28日(金)
洗濯物や布団を外で干す日本人の習慣に驚く外国人は多い。それだけに心地良さを知ると、タオル1枚でも陽に当てたくなるという。機械乾燥にはあの素敵なカサカサ感がないとニックちゃんねるのニックも語っていた。

10月27日(木)
ここ3年以上転んでいないと考えていたら転んだ。郵便受けから冊子風の重いDMをバッグに入れ、後退りする感じで半回転したら自分の靴を踏んで階段に腰掛ける感じになり腕を打った。手摺に助けられて無事、立ち上がれた。

10月26日(水)
昔はよじ登らんばかりに高かったバスの乗降口が、今はかなり低くなった。でも車椅子での乗り降りがまだ大変。運転手さんがガタンバタンと斜めの渡り台を取り付ける。どうしてボタンひとつの操作に出来ないのだろう。

10月25日(火)
中国のどこかの店先で、おばさんが大きなチュンビン(春餅)を焼いていた。YouTubeで。私はチェンピと呼んいた、新京で外で買ってすぐ食べさせてもらえた唯一の食べ物で、何も包まず三角に折った熱々が美味しかった!

10月24日(月)
郵便で訳文を送ってくる岸さんが「庭のアメリカハナミズキが急に紅葉して」と書き添えてくれた。そうだった、私が近くで見ている紅葉した木もハナミズキだった。花が咲かないと名前が分からないなんて、ごめんね。

10月23日(日)
家の周りの木々はかなり緑色濃く、丈は低いながら鬱蒼としている雰囲気なのだけれど、まれに1本だけ葉の色がすっかり変わっている木がある。海老茶色の葉を風に揺らし、秋を最初に告げた、あの木の名前は何というの?

10月22日(土)
八巻美恵さんの「水牛だより」から数々の素敵なテキストが集められて『水牛のように』という本になった。本の型も紙もデザインも、手と目と心に寄り添う。大手の書店や通販で買えないのもいい。horobooks  へ。

10月21日(金)
勝どきの部屋で平野公子さん、佐久間文子さんと「打ち合わせ」。私の本が出ることになりそうで、なにかまだ恥ずかしいような気持ちがある。でも佐久間さんが最後を締めてくれるという思いがけない人選が嬉しい。

10月20日(木)
午前中のバス停で。列の先頭に立つ中年の女性はダウンのベストを軽く羽織っている。インドの若い男性は白い長袖のワイシャツ姿。私の隣に座る70代くらいの女の人はレモン色の薄いウールのコートで私はレインコート。

10月19日(水)
樋口一葉は、今年、150歳。20歳(1892年)の時に半井桃水に出した手紙のコピーを眺めるけれど「いづれ」しか読めず、あとは見当もつかない。いま翻訳塾ではディケンズの1841年の作品が課題で、これは読める。

10月18日(火)
午後、浜離宮朝日ホールで高橋悠治さんのトリオ「風ぐるま」を聴く。ピアノ+歌+サックス。ラモー、パーセル、ピアソラ、高橋悠治、バッハと多彩なプログラムが魅力的。のり子さんと築地の回転寿司に寄って帰る。

10月17日(月)
日高安典『裸婦』(1944、無言館所蔵)が「市民の意見」今月号の表紙。1999年8月15日に無言館ノートに書かれた、あの一文が、あらゆる文学を超えて心を揺さぶる。「安典さん・・私、もうこんなおばあちゃんに・・・」

10月16日(日)
ただあれこれと思い連ねる一日。書棚の前に立つと、もう一度読みたい本があれもこれもと目に飛び込んでくる。読んだことを忘れている本もあり、持っているLPも全部聴きたいと思ったりして、後戻り思考になっている。

10月15日(土)
気になって買いながら、亡くなったのが2020年1月のことで、辛いような気がして読んでいなかった佐久間文子『ツボちゃんの話 夫・坪内祐三』を夜、一気に読む。問いだろうか、「僕が死んだら寂しいよ?」がじわっと・・・。

10月14日(金)
マイナンバーカードという名前は最初から嫌だった。国民一人一人にこんな軽い借り物言葉をつけるなと思った。それに健康保険証を兼ねさせるという報道に、何とマイナカードという呼び名が飛び交っている。酷い。

10月13日(木)
好きな青いレインコートがちょうどいい天候。清新町でバスを降りる時、私の前に降りた男の人が立ち止まって振り向き、手を差し出してくれた。滅多にないことで数えられるほど。有り難く支えられて段差を切り抜けた。

10月12日(水)
週に3コマが基本なのに、曜日の組み合わせで週に4コマという時もある。今週がそれにあたり、少しバタバタしている。各クラスで違う課題提出日が混乱することもあり、頼りはクラスの人たち。私のミスを教えてくれる。

10月11日(火)
センダックの絵本からディケンズの短篇まで、いま翻訳塾の課題はゴブリンに集中。とくに英国文学作品に多く登場するゴブリンは、そのつど鬼、小鬼、妖怪などと日本語に訳されてきた。ゴブリンで定着させたかったのに。

10月10日(月・祝)
とくに音楽会は限られた場所と時間の中で選ばざるを得ない中、贅沢な別室の如く思えるのが銀座の王子ホール。午後、80歳になられる野口玲子さんのソプラノ独唱会に。楽しく聴かせてくれたヴォルフが印象的だった。

10月9日(日)
イタリアの小説『ミシンの見る夢』(ビアンカ・ピッツォルノ作、中山エツコ訳)を読み始めた。19世紀末、7歳で針を持った
お針子の独白で、ディテールがいい。足踏みミシの音や布を押す感触を蘇らせながら読む。

10月8日(土)
自分の意見や感想が名前を付さないでメディアに取り上げられるのがいい。名前が出なければ思ったことが言える、という姑息な理由からではなく、名前が付くと一個人で、付かないと市民の意見となる気がする。市民でいたい。

10月7日(金)
美礼と待ち合わせて、映画『ダウントン・アビー 新たなる時代へ』を室町の東宝シネマでみる。前回ほどエピソードが多くなくて、入っていきやすかった。1928年が舞台で、女性達の手の込んだ服装に目を奪われる。

10月6日(木)
ノーベル文学賞受賞はアニー・エルノー。堀茂樹訳で読んだことはある・・それより凄いニュースは満谷訳の多和田葉子『地球にちりばめられて』が全米図書賞の最終5冊に!とにかく翻訳が最高。二度目の受賞になるかも。

10月5日(水)
きのう健康のことを考えていたら、早速きょう、身体がだるい気がして擬似風邪。とつぜん寒かったせいもある。手元にあったフランスの短編小説を一つ読み、マヌカハニーを飲んで寝る。

10月4日(火)
自分が健康だと思ったことはない。でも検診結果はいつもの通り、悪いところは何もない。太り過ぎではあっても血球やコレステロールや中性脂肪で問題があったことはなく、不思議。いい加減な生活をしているのに。

10月3日(月)
昨日は、よく歩いた。歩けることが分かった。今日はゆっくりと過ごす。でもネットでチケットや本を買うのに膨大な時間がかかる。どこが不備という指摘なく打ち込みが完璧でないと終わらない。もう買うものかと思う。

10月2日(日)
世田谷美術館へ『宮城壮太郎展』に。林のり子さんと共に宮城夫人宣子さんに案内される。展示作品数がもっと多くても、と思ったものの、凛とした会場の佇まいは宮城デザインの世界にマッチしていて、開かれてよかった。

10月1日(土)
「松ちゃん(旧満州の大連生まれ)がいたから、僕らは『伴走型支援』の本質はつながり続けることにあるとの結論にたどりつけた。危機を脱したら終わる『問題解決型支援』ではなく・・」(牧師・奥田知志『元ホームレスの物語』から)