98字日記ー2016年12月

12月31日(土)
TV番組「クラシック・ハイライト」をみる。世界に名だたる交響楽団や指揮者がなんと多く日本にきていることか。ヘルベルト・ブロムシュテット指揮/バンベルク交響楽団のベートーベンは聴きたかった気がする・・・

12月30日(金)
安倍首相がオバマ米大統領と真珠湾を訪ねたこと、SMAPの解散、新潟県糸魚川市での大規模火災で貴重な木造家屋が大挙消失したことなどニュースは次々ありながら、築地市場の混雑はものすごい。バスの中から眺める。

12月29日(木)
年賀状の出し方が本当にあやうい。昨年いただいた賀状を見ながら、その人を思い浮かべて書くのに一昨年の賀状も混ざっていたりして住所を整理できない私。今はほとんどが活字になっている宛名書きを見習いたい。

12月28日(水)
勝どきのマンションの入り口には門松が並び、いつもながらクリスマスからの身代わりの早いこと!今年最後の水曜クラスを終え、ほっとして気がつけば年内もあと3日。年賀状を相変わらず下手な手書きで書き始める。

12月27日(火)
今年、PPAP「ペンパイナッポーアッポーペン」と踊って歌う芸で世界中を沸き立たせたピコ太郎は、小坂大魔王のもうひとつの姿であり、そこも混ぜこぜにしながら軽妙洒脱に取材を受ける、すばらしい芸人中の芸人。

12月26日(月)
好きなことを二つ、キャンセル。咳は治ったけれど人には不愉快にちがいない。ジョージア語のクラスは第一動詞をやりたかった。自宅での英語サロンは延期。前田さんから届けられた葱と魚のスープが温かく美味しく。

12月25日(日)
アドヴェントカレンダーの窓が全部開いた。横浜の翻訳塾が15周年となり、そのスタートとなった水曜クラスの人たちから贈られたイチゴ色の花々の最後の2本を片付けた。イチゴ香りのフランスの紅茶を淹れよう。

12月24日(土)
昨年も今頃、体調を崩した。咳が出て苦しくて、家でじっとしている。おかげで書き物をしながらTVであの1999年の「3大テノール クリスマス・イン・ウィーン」がみられた。ドミンゴ、カレーラス、パヴァロッティ。

12月23日(金)
3連休という意識がなかったので慌てる。英文翻訳塾もまだあるし、年内の予定がこなせそうにない。郵便局やクリニックに行く時間があるかしら。それにしても夕焼けがきれい!雨を含んだような黒雲の下だけが金赤色。

12月22日(木)
朝の9時半に出て夜の9時半に帰る。午前中の会議では多摩動物園のタスマニアデビルの話が面白かった。2頭のデビルが顔いっぱいに大きく口を開いて互いに挑んでいくのが挨拶だそうで、熊に似ていて熊じゃない。

12月21日(水)
フィリップ・ロス『素晴らしいアメリカ野球』がおすすめ!村上柴田翻訳堂版の解説、注釈、対談がいい。ただ私は中野好夫、常盤新平訳の1974年の文庫初版を持っていた。当時は井上ひさしの解説を咀嚼できなかった。

12月20日(火)
倉敷の老人ホームでは、お年寄りがパソコンを使った遠隔操作で在日留学生に漢字を教えている。別の画面でお互いに顔も見え、声も聞こえる。留学生には「おばあさんは、ゆっくりと何度でも言ってくれる」と好評。

12月19日(月)
国の防衛費が5年連続で増え、来年度は過去最高となりそうだ。それも信じられない増額幅で。お金がありあまっているのだろうか。まさかね。沖縄では落下したオスプレイの機体が片付かない上をオスプレイが飛んでいる。

12月18日(日)
なんという一日。各クラス一つずつのファイルを持っているのに、どうしても三つしかなくて勝どきまで探しに行き、ないので気になって他のしごとにも手が付かず、家で探し直しソファの上に見つけた。よくやる無駄。

12月17日(土)
横浜土曜クラスの後、朝カルのクラスにあるマトリョミンの演奏を聴く。マトリョーシカと世界最古の電子楽器テルミンを組み合わせた摩訶不思議な楽器を生で聴きたかった。ときに、ふと笑みがこぼれるのは、なぜ?

12月16日(金)
賀状欠礼の葉書をたくさんいただく。一枚一枚にご家族の悲しみがこめられているようで、静かに拝見する。でも同年代の友人のお母様との別れには、一緒にいられた長さを羨ましく思ったりもする。もうすぐ月の末。

12月15日(木)
駆け回る一日。新宿のクラスを5分早く終わらせてもらい、大江戸線で上野御徒町に行き、タクシーで精養軒へ。評議員と動物園長たちが居並ぶ中に着席し、採決に間に合う。大急ぎで帰り、岡野家へ。乾杯に間に合う。

12月14日(水)
またディランについて。授賞式を欠席するにあたって寄せたメッセージがよかった。シェークスピアは文学者だと自覚していたかという問い。言葉は舞台で語られるために書かれ、読まれるためではなかったこと。歌も。

12月13日(火)
音楽会とか美術展によく出かけて元気ですね、と言われるが、全然。週に1日か2日、そういう日はあるけれど、あとは椅子にかけている。インターネットがなければ、講座以外の時間は図書館ごもりだったに違いない。

12月12日(月)
ボブ・ディランはノーベル文学賞授与式には姿を見せなかった。パティ・スミスが A Hard Rain's A-Gonna Fall を歌ったそうで、途中で声が出なくなり歌い直したというのもパティらしい。6月に錦糸町で聴いたあの声。

12月11日(日)
サントリーホールで中村紘子リサイタルがあるはずだった日。7月26日逝去のためメモ
リアル・コンサートとなった。堤剛、漆原啓子、河村尚子でチャイコフスキーのピアノ三重奏曲「偉大な芸術家の思い出に」を聴く。

12月10日(土)
初めて訪れたデトロイトで美術館に行ってみると閉館中だった。若かった私はキュレイターにつながりそうな電話番号を回し、1点だけ見せてもらえないかと頼み、許された。ディエゴ・リベラが壁に描いた手のスケッチ。

12月9日(金)
 夜間開館の上野の森美でデトロイト美術館所蔵パウラ・ モーダーゾーン=ベッカー『年老いた農婦』をみる。隣の文化会館では現代音楽作曲家たちの会で新実徳英『ピ アノのためのエチュード』を寺嶋陸也で聴く。感動。

12月8日(木)
「銀座の明月庵に行きたい」とスマホに声をかけると、一番近いバス停と乗車時間と地図が画面に現れる。バスに乗るときは腕に着けたアップルウォッチをかざすだけでカードと同じ働きをする。Mの素敵な行動環境。

12月7日(水)
いわれなく読まない作品は沢山ある。金原ひとみ、がそうだった。芥川賞受賞作品もタイトルが嫌いだった。『蛇にピアス』。でも朝刊連載『クラウドガール』には、はまっている。才能の煌めきとはこういうものか。

12月6日(火)
いま毎日のように食べているのはミツカン製造の「北海道納豆(くめ納豆)」。北海道産大豆の粒の大きさが理想的で、風味も気に入っている。たれもいいけれど、ついている辛子は使わず、ときどき柚子の皮を散らす。

12月5日(月)
時間が足りない!と走り回るCMがある。それに似た状況で、今夜の落語会は白酒と昇太が終わったところで会場を抜けてきた。昇太は爽やかさをもつ円熟期にあると思うけれど、笑点の司会者になるマクラが長過ぎた。

12月4日(日)
東北大震災のとき、東北の動物園で職員たちがどれほど苦労したか十分には伝えられていない。仙台・八木山動物公園での餌料不足に差しのべられた救援を今朝、NHKの番組でみる。お腹を空かせていたカバも助かった。

12月3日(土)
バス通りから住宅区画に少し入った花壇横に、今年も大きなイルミネーションが仕掛けられた。木の枝が輝き、橇が走る。いいなあ。この明るさ、静かな華やかさ、無邪気さが、あまねく広がる世の中でありますように。

12月2日(金)
銀座の「泥武士」と「ローズベーカリー」は近所で働いている感じの外国人や女性が多く、ファミレスよりは落ち着き、プラス千円くらいの簡素さが私には合う。豪華さを期待して付き合ってくれる人にはごめんなさい。

12月1日(木)
「永遠がしずかに膝を抱いている絵本の棚の小さなすきま」「夕闇に触れた順からつぎつぎと人格をもちはじめる樹たち」「手を繋ぎ二人入った日の傘を母は私に残してくれた」「本好きな少女の脚に虐待の傷が静かな刺繡のように」(鳥居『キリンの子』から)