98字日記ー2015年11月

11月30日(月)

シェンゲラヤの『ピロスマニ』をみる。待望のジョージア語版。私はコップでも服装でもパンの形でもあらゆるディテールに興味があるけれど、同行した人はぐっすり眠っていた。もう一度か二度、岩波ホールに行こう。

11月29日(日)

TV好きには時間が足りない。今日は片岡鶴太郎が中国の安徽省・黄山を訪ねる番組に見入った。聳え重なる山の美しさ、文房四宝(硯、墨、筆、紙)に中国の伝統を垣間みる。とくに宣紙の製作は目を見張るものだった。

11月28日(土)

部屋に花があるのが嬉しい。すぐ本ばかりが山となりがちなので、外から帰ってきたときも、パッと目に入るように置いてある。外のライトアップもあちこちで華やかな季節。でも優しい花びらにまさる美しい色はない。

11月27日(金)

忘れず、しっかりと「孤独のグルメ」をみる。千葉県いすみ市大原が今日の舞台。本当によくぞ延々と続けてくれると思う。松重豊がただひたすら食堂で完食するだけなのに、見入ってしまう。日本紹介に最適の番組。

11月26日(木)

アンリ・シャルパンティエの最高に美味しいマカロンを食べ、新潟県で作られた割りせん黒豆を食べ、ハーゲンダッツのマカデミアナッツを食べ・・・反省している。マカロンはいいとして、あとがだめ。明日から自粛。

11月25日(水)

朝5時55分から5分間のBSプレミアム「名曲アルバム」。5分で何が聴けるかと思うけれど大抵満足する。演奏者紹介も可能なのは余計なアナウンスがないから。ただし画面の文字を追うほど目は覚めていず聴くのみ。

11月24日(火)

『群像』の十月号がよく、ずっと傍に置いている。特集の「個人的な詩集」が素晴らしい。吉増剛造、山田詠美、島田雅彦、長野まゆみのそれぞれの選択と編者解説は文芸誌ならではの白眉。雑誌を読む時間がほしい。

11月23日(月)

家でじっくりと文字と向き合っていると、24時間がきれいに4分割される。起きてから昼まで。昼から夕方まで。夕方から夜まで。寝ている間。いちばん心豊かに過ごせるのが朝の6時間で、後はただ流されていく。

11月22日(日)

年とったなあと思うのは、どういうときか。身体的には、のろのろ歩きも手のしわしわも自然で大したことではない。多分「ま、いいか」とすぐ思ってしまうこと。人柄が丸くなったわけではなく面倒くさがりになった。

11月21日(土)

パリの同時多発テロ発生から1週間。横浜の土曜クラスの、よく旅をする一人がそのときパリにいたという。でもホテルで寝ていたから何にも知らなかったんですよね、とニコニコして言うのだけれど、無事でよかった!

11月20日(金)

「イン・ハー・シューズ」を横目でみていて(もう何回かじっくりとみたので)、みるたびに中で朗読されるカミングスの詩とエリザベス・ビショップの詩を読み直そうと思っていることを思い出す。とくに『One Art』。

11月19日(木)

『I Am David アイ アム デビッド』は米映画だが、原作者はデンマークのアン・ホルムであり、舞台はブルガリアに始まる。偶然TV でみて心に残る。先月、映画館でみた『二つの名前をもつ少年』と似たもの。

11月18日(水)

格好わるいことは書きたくない。でも重大事は書かなくては、とも思う。授業中に板書のあと手をかけた椅子が滑って遠くに飛んで行き、床にバタッと転んで立てなくなり、クラスの方たちに助け起こされたこととか。

11月17日(火)

ジョージア語を学ぶ仲間が集まって来日中の児島先生、メデア先生、将太くんを囲む。ジョージアについて次々と新鮮な情報を、好きという温かさの中で得て、ああやっぱり離れられないこの世界、と思いを新たにする。

11月16日(月)

イスラム国によるパリでの同時多発テロ(13日夜)で123人の死者。テロに対して恐怖を覚える。でも・・その前日にべイルートで犠牲となった40数人の死者は? フランスの戦闘機で即座に空爆されたシリアは?

11月15日(日)

ATPファイナルズがロンドンで始まり、開幕で錦織圭とノヴァク・ジョコヴィッチ。8人のファイナリストの8位と1位で、厳しい試合がいまライブで放映中。とにかく錦織に最後まで参加してほしい。8位のままでも。

11月14日(土)

この日付を記しただけで睡魔に襲われ、そのまま朝までぐっすりと眠った。夜中に一度や二度は目を覚まし、気が向けば本まで読む日々の中でめずらしいこと。体調を崩しているのかもしれないと思うけれど、思うだけ。

11月13日(金)

つまり、昨日の続きだけれど、近所のどの国とも親しくて、その一つ一つも平和で穏やかだったら、どんなにいいだろう。今週末はベトナムで食事なんていうことが気軽にできれば。人間は諍いを捨てられないらしい。

11月12日(木)

若き日の願いはアジアの平和だった。遊びたいという呑気な気持ちからだった。日々働き、休日は愉しむ。近隣のアジア各国が何よりの憧れだった。ベトナム、インドネシア、カンボジア、タイ、ミャンマー、ラオス・・・

11月11日(水)

美味しいものは味わっている最中よりも後から思い出すもののようだ。今日は明月庵田中屋の牡蠣南蛮そば、湯葉とアボカドのサラダ、玉子焼。大粒の牡蠣と椎茸、しめじ、水菜などが熱々のおそばに絡みあって・・・

11月10日(火)

訳をみていて、なぜこの人はこう考えたのか理由を納得して手を入れたい。構文が分からなかったとか理由が分かれば、間違っていても構わない。単に適当にやったのだなと思うと疲れる。ああ、もっとサクサクとやろう。

11月9日(月)

ミャンマーの民主化が実現されるだろうか。総選挙の開票中でアウンサンスーチーの野党・国民民主連盟が議席を多数占めそうだ。長い軍政の時代が明けてミャンマー(ビルマ)の人たちが平穏な日々を持てますように。

11月8日(日)

年賀状欠礼の葉書が届く季節で、思いがけない人の逝去を知ることにもなって、時々つらい。秦さんの、あの孫娘さんに寄せた言葉を「折々のことば」が引用して「死なれる」という自動詞の受身形について述べている。

11月7日(土)

住処の周辺がしみじみ美しい自然に取り囲まれる季節。径には深緑と黄葉とが入り混じって天蓋をつくっている。棟の4つの入り口にはそれぞれ形のいい大きな山茶花の木があり、赤い花がぱーっと開きはじめた。秋。

11月6日(金)

ヌンムルロ  スン  ピョンジヌン  イルグル  ス  ガ  オプソヨ.  涙で書いた手紙は読めません。大学ノートの1ページにハングル文字で書かれた美しい詩が続く。韓国語もこの詩を暗記するくらいは進んだのに我が中途半端。

11月5日(木)

今日あった愉快ーー1 船堀駅行バスが道を間違えて大迂回で修正し、謝りっぱなしの運転手さん。2 琵琶湖周遊のお土産にいただいたちりめん山椒。3 金丸さんの遺児が初個展を開くと20数年経ってお知らせ、感謝。

11月4日(水)

中国の桂林だけでなく陽朔ももっと知ってほしいという英文記事を訳していたら、そこのカフェでバナナ・パンケーキを出すとあった。どんなものだろう。昔懐かしいチェンピとは違うのかしら。あの薄い皮の大きな丸。

11月3日(火・祝)

晴れている休日は大好き。でも添削が間に合わず、せめて青い空と川と舟を眺めながら勝どきにこもる。合間に乙川優三郎の短編「太陽は気を失う」の涼しい文章に触れる。せりふの中には句点をいれず読点にしている。

11月2日(月)

20歳の時の日記を捨てる前に読む。吉祥寺の家にはよく友達がとつぜん訪ねてきていた。男の子の方が多い。休みの日など私はほとんど家にいず会わなかったのに全然気にもしなかった。まだ電話は使わない時代だった。

11月1日(日)

「いったい私はあの檸檬が好きだ。レモンエロウの絵具をチューブから搾りだして固めたようなあの単純な色も、それからあの丈の詰まった紡錘形の格好も。ーー結局私はそれを一つだけ買うことにした。」(梶井基次郎『檸檬』から)