98字日記ー2020年1月

1月31日(金)
20年ほど前、ユーロが市場に出たとき、こんな夢みたいなことが可能だったのだと感激した。その欧州連合から英国が明日、離脱する。自国第一が露わな英国の言葉を深追いしている身としては残念としか言えない。

1月30日(木)
いしいひさいちの『ののちゃん』が今朝の朝刊で8004回目。専業主婦の母と祖母。会社勤めの父と勉強が苦手な兄。『サザエさん』と似通った日本の家庭が古めかしく見えないのは、それぞれの我儘が通っているからか。

1月29日(水)
街を歩く人、乗り物の中の人、みんなマスクをしている。中国で発生した新型コロナウイルスによる肺炎が広がっていて怖れている。昨日の強風に洗われて空は藍色が深く、月と金星がとりわけ煌びやかに光っている。

1月28日(火)
知子さんによると母はスイートピーが好きだったそうで、私は知らなかった。今日、素敵なスイートピーをいただいたので、更に私も買ってきて窓辺を飾り母の誕生日を迎えよう。母は庭一杯に花を育てていたけれど。

1月27日(月)
昨日千秋楽の大相撲初場所で、幕内で番付が一番下の徳勝龍が優勝した。最後は大関の貴景勝を自力で倒したのだから立派。偶然ではなく身体のどこにも怪我をしていないのは日頃の鍛錬の賜だとか。栃ノ心もがんばれ。

1月26日(日)
一日中、大事が続いた。吉祥寺での会食の後、三鷹に見舞い、東京SGで『坂田一男 捲土重来』の最終日に間に合う。構成を重視したアブストラクトの魅力。そしてMの指南でミニチュアの世界を垣間見る。はまりそう。

1月25日(土)
明日は母の三十三回忌なので、手元にある母の写真を見る。真夏以外はほとんど和服だった。最近は街で普段着の和服姿を見ない。ウールの着物と羽織の揃いは私自身も好きで時々着ていた。あの感触が懐かしい。

1月24日(金)
時間が足りない。とても足りない。観たい映画があるけれど来週末まで無理。と思いながら時間のかかるシチューを作ったりしている。トリフォニーホールの5月のチケットを予約して、本当に行ける?と自分に聞く。

1月23日(木)
世界堂の前を通るたび、折り紙サイズで少しずつずれて重ねられた千代紙風和模様の綺麗さに、買おうかなと思う。でもそういう物があちこちにあってガラクタばかりの我が部屋を思う。画材店・文具店は魅惑の塊。

1月22日(水)
女性の生理について男性も学んで、という女子大学生の声が支持されている。生理用品に10%の消費税がかけられたことに私は気付かなかった。せめて8%にと声をあげる若い人たちのキャンペーンに賛同し応援している。

1月21日(火)
石井連藏さんが野球殿堂入りを果たした。5年前に亡くなられているのがとても残念。元早大野球部監督として書かれた『おとぎの村のボール投げ』を読む。一緒に国際シンポジウムを担当した文化企画局時代が懐かしい。

1月20日(月)
三菱一号館での吉野石膏コレクション「印象派からその先へ」が今日までで午後からバスで。巨匠達の小品が70数点。それぞれ初期の作品が多く清らかな感じが共通していた。ゴッホの『白い花瓶の薔薇』をみられた。

1月19日(日)
昨日あった大学入試センター試験の「問題と正解」から国語と英語を少しみた。例えば国語で原民喜『翳』の一節について4択から解答を選ぶ。20個もの言葉に注がつく70年前の文学に取り組む高校生って本当に大変。

1月18日(土)
久しぶりの「カフェ・ロシア」。どうして横浜土曜クラスの全員と講座後に遠路吉祥寺まで行くことになったのか、とにかく私の趣味にお付き合いくださってありがとう!アジャプサンダリもハチャプリも美味しかった。

1月17日(金)
今夜と明日の午後と・・後ろ髪を引かれる。北川暁子さんのピアノと笠井叡さんの新作と。夜分に一人で帰りたくなかったり他の約束と重なったり。動きが不自由になった。明日は横浜クラス。雪になりませんように。

1月16日(木)
タクシーの運転手さんが若くてかわいい女性だった。道に出て1週間目だという。営業所が錦糸町にしては・・永代通りとか門前仲町と最新のナビに声で呼びかける。資金を貯めてケーキ屋を開くのが夢とか。がんばれ!

1月15日(水)
横浜の帰りにコレド室町で『ダウントン・アビー』をみる。ギリギリの時間でも販売機で席を決めてチケットが買える。TVで断片的にみていたよりずっと面白かった。数多い人物もドラマチックに登場して構成が鮮やか!

1月14日(火)
年賀状をゆっくりと読む。自分が思いつきでしか出さないのを反省しながらも″今年でおしまい″通告が増えて寂しい。私とつながりを切りたいのか、これまでも虚礼だったのか。私は絶対に来年増やす。生きていれば。

1月13日(月・祝)
振袖姿があちこちに見られた成人の日。白いふわふわのショールは、ついに定番になったようで、じつは個性なんて持ちたくない人が多いのね。三鷹の「珈琲や」では若い人たちがカジュアルな感じで心地よかった。

1月12日(日)
シニアの新年会。席番を書いた紙を引いてもらう。早く来た一人にもう座った場所がいいと言い張られ、30個の小さく畳んだ紙を開いて探す。やっと「あったわ」と言うと嬉しそうににっこり。年寄の我儘はかわいい。

1月11日(土)
真っ青に晴れた空を見れば外に行きたくなる冬日だったけれど昨日から体調が不安で蟄居。再放送のウィーンフィル・ニューイヤーコンサートを午後たっぷり3時間楽しんだ。初めてラトビア出身のネルソンスの指揮で。

1月10日(金)
伊藤理佐のエッセイがいい。本業の漫画はほとんど見たことがなくて申し訳ないけれど。自分が「わたしって、いい人」の発音をしていることに気付く大人なのだ。人、人間、人物、者の使い方は翻訳でも要注意の処。

1月9日(木)
ワケンビーテックという会社が作った絶滅危惧種カレンダーがいい、とMがユーパックで送ってくれた。絶滅の度合いと共に日々の枠にそれぞれ動植物が精密に描かれている。ブンチョウもワオキツネザルも絶滅危機!

1月8日(水)
横浜クラスで今年の講座が始まる。独文学の英訳を日本語に、という初めての課題。ノーベル文学賞受賞作家ハインリッヒ・ベルの短編を選んだ。英米圏からさらに世界を広げたい。話題はダウントンアビーの映画化に。

1月7日(火)
七草粥を食べることもなく朝、常態に戻る。コーヒー、キーウィー、トマト、バゲット、デンマークのブルーチーズ、納豆、緑茶。あとで野菜ジュース。一昨日の現美のハンバーグが美味しかったので、また行こう。

1月6日(月)
トランプ米大統領の指示でイランの司令官が米軍によって殺害され、互いに報復を宣言している。出光の日章丸が英国の砲火の間隙にイランの原油を直接買い付けた60数年前、中学生の私は世界に光りが差したと信じた。

1月5日(日)
現代美術館でダムタイプとミナペルホネンの展覧会をみる。総合的な展示は焦点が揺れ、12月に汐留でデュフィのデザイン展でも同様に感じた。むしろ新収蔵の作品が印象的だった。ゆりかさんと仲間お二人との同行。

1月4日(土)
勝どきでの仕事(デスクでのあそび)始め。ゴーリーのカレンダーを今年用にする。本を積み重ねて長い羽根ペンでサインをする女性の服装がエレガント。目深に被った黒いキャップで作家らしいと思うのはなぜかしら。

1月3日(金)
山梨県・日蓮宗定栄山遠照寺の和心さんから除夜の鐘に合わせて並べたキャンドル・メッセージの写真が送られてきた。何と1000個の空き缶とプラスチック・カップで仕上げ、ドローンで撮影したとのこと。PEACE 2020

1月2日(木)
16人の親族と時間を共にし、正月料理を食べ過ぎて唇の端が赤くなり、座の誰よりも自分が一番の年長者であることに気づき、それは二人の姉がそこに加われないからであって、寂しさを胸に抱える2日間でもあった。

1月1日(水)
「日本の過去にふれるたびに/韓国の人たちの心の芯がとがる/その時/無国籍のりんご人だったらいいなと思う/ハングルの「りんご」は「謝罪」と同じ文字・・・」(佐川亜紀・詩集『返信』から「りんご人」の一部を抜粋)