98字日記ー2018年9月

9月30日(日)
台風24号が今夜関東地方を通過するとのことで、首都圏のJRは午後8時に全線運休。地下鉄は動いているようだが、私はもちろん家にいる。こういう時に届くメールや電話は嬉しい。ゆっくりと返事ができる嵐日和。

9月29日(土)
涼しくなったかと思えば、気温34度などと驚かされる。まだ夏服をしまえず、洗濯機で洗える薄いシルクのブラウスをジャケット代わりに、がちょうどいい。明日は台風が通っていくとか。日本全国、雨傘マーク。

9月28日(金)
分厚い『バウハウス展』の図録をMに頼まれて家から勝どきに運んだ。1995年にセゾン美術館で開かれた伝説的な展覧会だ。でもMの図録ではなく父のだったことが挟まれたメモなどで分かる。当時、百歳だった父。

9月27日(木)
今日で今期の翻訳塾4クラスをすべて終わり、来期最初の授業用の課題訳もほぼ受け取った。もう続かないと思っていたクラスも続きそう。よかったのか、どうか。自然解体もわるくはない。寂しいとは思うけれど。

9月26日(水)
公演『舞踏言語 笠井叡 vs 吉増剛造』にシアターXへMと。熱風と題する吉増の詩を笠井叡は肉体と聲で「見せて」くれて、更に自身の言葉を重ねることでスパッと切った。いわゆるカッコつけが全くないのが最高。

9月25日(火)
煙草が日常から消えたのは嬉しいが、情景としての懐かしさはある。「わたくしの住む鎌倉から上京の横須賀線の電車で、時折、よい匂いが漂ってくることがある・・・葉巻の烟が含む薫りだった・・・」(吉屋信子)

9月24日(月)
夜の11時。ブラインドを上げても部屋の中からお月様は見えない。ベランダに出たら、まさに! 真正面の天高く、雲を払いのけて、月!なんて深い光、なんて重い存在感。3時に起きれば出窓を覗き込んでくれるはず。

9月23日(日)
仏映画『あしたは最高のはじまり』Demain Tout Commence をオマール・シーの魅力につられて家でみる。子役のグロリア・コルストンが今日、東レの決勝で実力を全く出せなかった大坂なおみにそっくり。

9月22日(土)
「世界を変えた書物展」は重厚な革表紙が部屋中を埋める壮観なスタート。ダーウィン、 ニュートン、コペルニクスなどの初版本がケースに並ぶ。ゲーテの『色彩論』初版1810年に哲学と文学と科学の鬩ぎ合いを見た。(上野の森美術館)

9月21日(金)
映画『ビルマの竪琴』の後半を家で。何回かみているけれど、また新鮮だった。最初は白黒じゃなかった?ちょうど「埴生の宿」を合唱しているシーンから。中井貴一は水島を演じただけで役者冥利に尽きると思う。

9月20日(木)
プロ野球に熱を上げたことはないが、土砂災害にあって生活の全てを失った人たちが地元のカープを応援している時だけ辛さを忘れるという。分かる気がする。他の人を応援することで元気をもらい前向きになれる。

9月19日(水)
女優・樹々希林さんが15日に亡くなった。追悼の数々がメディアに溢れていて朝日が河瀬直美監督の言葉を載せてくれてよかった。私にとっては『あん』が彼女の代表作だから。ドリアン助川さんの思いも聞きたい。

9月18日(火)
人と待合せの約束をする億劫度が増してきた。一番好きなのは、今日はどう? というもの。今から会える? もいい。なんだか刹那的だけれど、あまり長いスパンで考えたくなくなったのかも知れない。翻訳塾は別。

9月17日(月)
昼間は晴れて夕方に一時雷雨という予報通り、マルエツで買い物をしている間にどしゃぶり。稲妻が走る。しばらく待てば止むと思ったけれど、家まで3分の魅力に負けて歩いた。雨にびっしょり濡れたのは久し振り。

9月16日(日)
私にとって今年の夏一番だった「肌色という名のクレヨン(色鉛筆)12色」は、ある言葉を消すのでなく、その言葉を満たす発想に感動して、つい何人かに贈ったのだけれど受け取った人たちは戸惑ったよう。失敗。

9月15日(土)
Mがショートカットで現れた。ここ数年背中を覆う長い髪を見慣れていた。病気でウイッグが必要な人にドネーションするまで伸びたからとカットする様子の写真も。綺麗な色の大ぶりのピアスがショートに似合う。

9月14日(金)
私の右肘の複雑骨折を完璧に治してくれた救急病院の若き整形外科医が、今は東大病院所属だと発見。救急車で運ばれた私を夜勤勤務として診てくれたのだった。有名な先生でなければ、なんてことは決してない。

9月13日(木)
自分が暑さと寒さのどっちに弱いか、今夏、はっきりと分かった。絶対に暑さに弱く、熱中症というものに本当になるのではないかと数回思った。この数日ようやく気温が30度を下回り、涼しい風にほっとしている。

9月12日(水)
昨日の高橋悠治、今朝の賀集裕子と朝5時からのクラシック倶楽部は80歳の金の音楽だった。ただ今朝は途中で眠ってしまい、最後のドビュッシーの「月の光」の直前で起きてカーテンを寄せると朝の光が満ちていた。

9月11日(火)
ここに毎日、文字を記すことに何の意味があるのだろうか? 私は今日も生きていますと遠方の人に伝えるつもりもあるけれど、そんなことはどうでもいいかも知れない。気持ちが沈む時に取り留めなく思うことあり。

9月10日(月)
DNAシークエンスについて教えてもらったおまけに「DNAとして取り出してしまえば元の生物がヒトでもサツマイモでも同じ解析技術が使える」と知識の付録。生物って簡単なのか複雑なのか、なんだか手強いなあ。

9月9日(日)
全米オープンテニス女子決勝、早朝に見始めたとき、異様だった。セリーナ・ウィリアムズが激怒していて大坂なおみが冷静に得点するたび場内はブーイングが渦巻く。でも、でも大坂なおみは勝った。素敵だった。

9月8日(土)
NHKの藤田嗣治特集をほぼ偶然にみる。放送時間が変更になったりして怪しげ。明日の日曜美術館も藤田だし。とにかくテープに録音された藤田の肉声が聞けてよかった。晩年のアトリエが凄い。華やかで寂しい。

9月7日(金)
最近の災害連鎖にメディアは伊勢湾台風を引合いに出し、1959年は、いまだ戦後間もなく、社会全体が貧困の中にあったという。確かに、と我が大学時代を思い返して納得しつつ、でも面白みは多かったなあと考える。

9月6日(木)
昨日は台風で関西空港が陸の孤島となって8千人が閉じ込められ、今日は震度6の地震で北海道が本州から隔絶された。もちろん両方の地域で被害にあった人達多数。しかも全域で停電。暑い夏が一層暑くのしかかる。

9月5日(水)
あの「アンネ・フランクの家」を英語でミュージアムとし、それを日本語では博物館と訳している本や資料がある。こうして歴史や心が化石のようになっていくのは悲しい。せめて翻訳塾では記念館としておきたい。

9月4日(火)
もちろん安全第一はいい。それにしても台風情報は・・・朝から晩までTVで日本列島全土での風雨の動きを分析し、大雨の下にリポーターが駆けつけ、どなる。電車は大事をとって動かない。本当の災害はどこで?

9月3日(月)
足利の小林トヨさんから近くのホームに入られたと葉書が届く。若くして世を去った部員のお母様として毎年お花を受け取っていただき、その美智子さんが定年になるはずだった今年がちょうど最後のお供えだった。

9月2日(日)
水、木、土と授業をした週の日曜日はソファの上で一日のほとんどを過ごす。疲れているわけではなく、考え事のひとつひとつをぼーっと処理していく。なんて、本当は全米テニス中継で錦織圭を見ていただけ。

9月1日(土)
「もうそれ以上触るな  それが薔薇だ」(ファン・ラモン・ヒメネス『ポエマ』荒井正道訳