98字日記ー2016年10月

10月31日(月)
先週の疲れが尾を引いて、家でぐったりとしている。せめて寝具を全部まとめて次々と自宅で洗い、さらにlこ心地よく怠ける環境をつくる。ジグザグを友に、お茶を欠かせない連れとして、好きなものに囲まれている。

10月30日(日)
4棟399戸の仲は良く、防災訓練も大勢が参加して、役員たちの綿密な準備の元に消防署などの協力も得て和やかに。コンセプトは役員のノウハウを全員が知って、誰でもできるようにしておくこと。でも寒かった!

10月29日(土)
10数年で初めての失敗をした。横浜に行き、事務局でコピーをお願いして、その時に怪訝な、慌てた顔をされて、そしてようやく悟ったのだ、今日の土曜クラスはないことを。ああ、5週目。有隣堂をゆっくり回った。

10月28日(金)
昨夜はあの後、ぱくきょんみさんの家に寄った。Mが一緒でなかったら元気は出なかったけれど、前から聞いていた岡崎乾二郎さんデザインの家に初めて。作品のタイルが床に敷かれて踏むのが躊躇われるゴージャスさ。

10月27日(木)
気づけば1時間半、高橋悠治は即興の合間にバッハやバルトークを挟んでピアノを弾きつづけ、その目は絶えず舞台上の踊る姿を追い、踊りつづけた笠井叡は美しく明哲であり「をかしい」。「無心所振り」を国分寺で。

10月26日(水)
小さな一枚ガラスの出窓が、朝、すっかり曇って外の寒さを告げる季節となった。白い三角の空間を飾るのは青を基調としたプリザーブドフラワーとさつま芋。さつま芋は端から赤い莖ときれいな緑の葉が出てきたので。

10月25日(火)
いつでもというわけではないけれど、おそらく生まれてこのかたの変な癖がある。癖というか、自分ではどうにもならない生理現象。食事の最後の一口がどうしても食べられない。それが他のことでも同じだったりする。

10月24日(月)
時間が足りない今週。取りこぼせないことが重なり、そんな時は一層ぼんやりしていたくなる昔からのだめな傾向が顔を出す。ぱりぱりとやることが出来ない。予定以外の実のあることは諦めるから余計ぐだぐだする矛盾。

10月23日(日)
田部井淳子さんが亡くなった。一度、お会いした。仕事がらみだったけれど、まるで長い知り合いのように親しく笑いながら話した。女性で世界で初めてエベレスト登頂に成功した人らしい柔らかな動じなさがあった。

10月22日(土)
展覧会も音楽会も映画も一人で行くことが多い。チケットを買うときは誰かと、と思うものの、約束するのが億劫で。若い時は「これから、どう?」と誘える人が多かったのに。わがままでいることに慣れてしまった。

10月21日(金)
やっと気に入った中古映画パンフレットのネット販売に出会い、DVDを持っている『優しい嘘』をまず買い、ずっと探していた『ものすごくうるさくて、ありえないほど近い』『あなたを抱きしめる日まで』をゲット!!

10月20日(木)
今朝のクラシック倶楽部は宮田大。フォーレ「エレジー」、黛敏郎「BUNRAKU」、メンデルスゾーン「チェロ・ソナタ第二番」。目覚めとともに聴ける素晴らしさ。ここで知ったパクキュヒのチケットを買いに行った。

10月19日(水)
家の前の枝垂れ桜がほろほろと花をつけている。春に満開の花で辺りを明るくしてくれる一本の木は、秋にも花をつけるのだった? 暑さがたびたび戻ってきているから? 明日も30度近くあるらしい。緑委員に聞こう。

10月18日(火)
『独裁者と小さな孫』をWOWOWで放映したので、冒頭シーンだけ見直そうと思いながら、つい全部みてしまった。ショックなのは、と言っても当然なのだけれど、ジョージア語が全く分からない。挨拶くらいしか。

10月17日(月)
20年ほど前に読んだポール・オースターの The Locked Roomを柴田元幸の好訳で読む。『鍵のかかった部屋』で、もちろん塩田千春の同名の作品に触発されて。あの赤い部屋の存在が文字の世界にかぶさって。

10月16日(日)
世田美での至福の時を思い返す。それでもなお作品を工芸品としてでなく、光、空気、息遣いを感じさせる展開において「志村ふくみ」の宇宙をさらに遊泳させてほしたかったと思う。格調の高さが目的だったのかな。

10月15日(土)
ボブ・ディランがノーベル文学賞を受賞して2日。我が青春の歌手でありながら思いは複雑。本人がコメントを出していないのがいい。横浜の仲間がディラン・トーマスから名前をとったと教えてくれた。それもいい。

10月14日(金)
「志村ふくみー母衣への回帰」展をみて、会場で笠井叡踊る『美紗姫物語』の世界に没入する。世田谷美術館で。手と心の極致と、見知らぬ時と場を生む舞踏・・二つの最高の芸術を〈見せる〉工夫がもっとあれば。

10月13日(木)
今期の4クラスを今日で全てスタートできた。ほぼ15年前からのお仲間である新宿の峯岸さん、木谷さんが3カ月の闘病から復帰されたのが嬉しい。全体で5人の新規参加もあり、新宿の館内移動もあって斬新な感じ。

10月12日(水)
もっともっと出来るはずなのに、と思いつつ添削をする。直しや書き込みが多くて、時間が足りなくなる。餃子、食べにいきたかったなあ。適当にやっておく、というわけでもないでしょうし。レベルは下げたくない。

10月11日(火)
天候不順で野菜が高騰。たしかにレタス1個300円は、うわっと思うものの普段の野菜の安さには感謝しているので仕方がない。朝夕で食べたのはトマト、アボカド、長葱、人参(一本をラペでナッツと)、ジャガイモ。

10月10日(月・祝)
休日でも朝カルは普通通りで、私たちのジョージア語のクラスの後にはゲール語のクラスの人たちが部屋のあくのを待っていた。授業を受けるのは楽しいながら、ほぼ6時から8時まで集中すると、もう帰って寝たい。

10月9日(日)
声欄で点字に感謝する野崎礼子さん(73歳)の投稿。義母が38歳で失明、聴覚も失ったと知り、婚約中から点字を習って結婚してから教え、90歳で亡くなるまで共に暮らし
膨大な本を読んだ。天使のような人がいる。

10月8日(土)
なぜかピンクのカーディガンを買ってしまった。このところ着るものがマンネリ化していて、あまり考えもしなくなっていたので、ふと魔がさしたように。袖を通すかどうか分からない、ネットでの衝動買い。秋よ、来い。

10月7日(金)
ジョージアの映画『みかんの丘』『とうもろこしの島』を一度に見て疲れきっている。どちらもアブハジアとの戦争を背景にしていて、思うこと、感じることが多すぎて、1本ずつ別にみるべきだった。映画としては最高。

10月6日(木)
暑い。秋らしくなったと思った途端にまた暑い。冷凍ブルーベリーを食べながらTVで「昭和の日本を照らしたふたつの太陽」として美空ひばりと石原裕次郎の実録特集をみる。時代が重なっているのに実感を持てないまま。

10月5日(水)
塩田千春のインスタレーション『鍵のかかった部屋』をみる。横浜で。無数の赤い糸が編まれ、五つの扉があり、大量の鍵が頭上に浮く。強靭さ、夢の華やかさ、霧のような柔らかさ、そして静寂。その中を歩き回った。

10月4日(火)
池澤夏樹さんの「権利」という漢字に対する考察が明快。つまりこの言葉の外国語はright, Recht, droitなど「正しい」という意味を含むので、日本語も「権理」としていたら物欲しげな語感を避けられたというもの。

10月3日(月)
中古の英語の本をアマゾン経由で買うとき、イギリスのBook Depository が所蔵リストに入っていると、少し値段が高くても必ず選ぶ。しっかりと送られてくるし、いつも入っている紙の塗り絵式栞もおなじみだ。

10月2日(日)
夕べは新装開店したGINZA PLACE の中の「ライオン」でビール三昧。といっても私は本当に飲めなくなった。良き家族の屈託ない会話に疲れがほどけて、ふわっと眠くなる。豪華シンプルな建物は看板を外に出さない。

10月1日(土)

「闇に埋もれていた無数の嘆息。そうとしか言い様のないものとの出会いがそこにはあった。行って良かったのか悪かったのかと問われれば、もちろん良かったに決まっている。千太郎は正直にそう思う。」(ドリアン助川『あん』から抜粋)