98字日記ー2020年4月

4月30日(木)
 疫病予知から今は疫病退散のお守りとなっているアマビエのシールのついた仙台駄菓子を送ってもらい、お茶が美味しい。「自意識過剰。もっと素直にわがままでいなさい」と書かれた上司からの昔の手紙を見つける。

4月29日(水・祝)
たまには勝どきに行って、アボカドに水をやり郵便のチェックをする。休日はバスもメトロも2人置きで座れる。銀座はモヌケノカラで、駅の構内などは薄暗い。勝どき周辺の方がスーパーが開いていて人の姿が多い。

4月28日(火)
「情婦」をまた見たいと思うのは、マレーネ・ディートリッヒを見たいことにつながる。せめて今日はウテ・レンパーの「ピアフ&ディートリッヒに捧ぐ」を聴く。クルト・ヴァイルの作品や「リリー・マルレーン」。

4月27日(月)
星野源のギターと歌は安倍首相がBGMに使ってつまらなくなった。レディーガガのピアノと歌は熱くていい。アナウンサー達の早口言葉も面白い。でも布マスクを作っては地元の施設に届けている中学生が一番素敵。

4月26日(日)
教えてもらったスーダンのウード奏者ハムザ・エルディーンをネットで追って一日中聴いていた。このところ古い映画を思い出していて、何の脈絡もないのにふいに「情婦」をみたいと思った。バーのシーンと最後。

4月25日(土)
翻訳塾の人たちからの原稿や手紙やメール、昨日は白石さん、今日はゆりかさんとの1時間近い電話などに心がやわらぐ。夕方、カルチャーからのメールで休講はさらに延び、5月24日までは再開しないと知らされる。

4月24日(金)
もう一度ならず見たい映画の続き。「フライド・グリーン・トマト」「イン・ハー・シューズ」「ドライビング・ミス・デイジー」「許されざる者(1960年のヘップバーンが出たもの)」「ものすごくうるさくて ありえないほど近い」などなど。

4月23日(木)
新型コロナウイルス対応として人との接触自粛が要請され、家に一人でいて、誰とも口をきかない日々があることは恵みでもある。私の人生で大切な人の2年も前の訃報を偶然目にした痛みを抱えるにふさわしい時間。

4月22日(水)
邦画やジョージア映画は別として、好きな洋画には「ギルバート・グレイプ」「スティング」「レオン」をこれまでは挙げていた。今は「ベンジャミン・バトン 数奇な人生」。フィッツジェラルドの原作を読みたい。

4月21日(火)
レバンテの閉店がコロナのためのはずがないと私は思った。浅はかにも。事態を分かっていなかった。思い出の詰まった吉祥寺の優雅な芙蓉亭が閉店するという! 数ヶ月前に会議をした上野の水月ホテル鴎外荘まで!

4月20日(月)
大切なことを忘れていて、やっと思い出したのに、もう遅い。どうやっても、もう届かない。そのことが心に刺さり、何かと何かの合間にふわっと持ち上がる。後悔せずに生きようと思っていたのに実は悔いが沢山。

4月19日(日)
タクシーは気遣いがわかる。窓の上部が開けてあり、運転席と客席の間に透明ビニールの幕を付けていることもある。バスは大抵空いているのに、よく私は人に横に立たれ、しかも頭の上で話をされたりする。要注意。

4月18日(土)
大橋美加さんから、新宿「J」へのライブ出演自粛と、40年以上の歴史を持つジャズハウスそのものが閉じられることを伝えられた。フロアで、すぐそばでジャズバンドと歌を聴く至福の時は、当分あり得ないのだろう。

4月17日(金)
寝室の隅にあった古い楽譜や練習曲集の埃を払ってクローゼットへ。譜面に散々レッスンの跡があるショパンのノクターン・・Mはこんなに難しいのを弾いていた? 私は右手しか弾けない。メロディーをたどってみる。

4月16日(木)
P・ルメートル『わが母なるロージー』を半日で読む。カミーユ警部三部作の番外編。この作家の残虐な部分(読後には納得する)は自分も心に傷を負っている時でないと耐えられない。爆破の緊張感が今の世界に重なる。

4月15日(水)
家にいると、かなり「ながら」ではあるけれどテレビをみる。ニュースはコロナ一色だが、いい番組も多い。今日はチャップリンの『街の灯』や、秋田を二人の外国人男女が訪ねるドキュメンタリー「雪と鬼の美」。

4月14日(火)
いつチェロを弾いていたのか思い出せない。 今も持つドイツの楽器を買ったのは、仕事と育児で潰れないようMが2歳になった時。それが2本目だった。タンスに入っているロングドレスは、どの発表会で? 錯綜する記憶。

4月13日(月)
早朝、ホルヌングのチェロでマーラー、ブラームスを聴く。そしてクライスラー「愛の悲しみ」。2017年の収録に時の重なりを思い、続くオッフェンバッハ「ホフマンの舟歌」とベネチアの街の様にうつろいを想う。

4月12日(日)
NYT の記事で。新型コロナによる死者が世界で10万人を超える今、フィンランドではマスクはもとより医療器具、燃料、食糧などの備蓄が十分だという。国民の幸福度で絶えず世界トップの国がどこより最悪に備えていた。

4月11日(土)
休みが続く機会に身の周りにすっきりした空間を作ろう。でも物を捨てるって難しい。仕方なく今日はレースのドイリーや汕頭のハンカチなど白い布を真っ白にする日にして、そういう物を外した。ああ、すっきりした。

4月10日(金)
ピアノをぽつぽつと弾くことで気を紛らわせる。それから「日本文学100年の名作」から、まるで選ばされたかのように梶井基次郎の『Kの昇天』を読んだ。「K君の魂は月へ月へ、飛翔し去ったのであります。」

4月9日(木)
普段も人の姿が少ない時間に勝どきに行き、つがわ歯科に。ドアは開け放たれてソファにクッションはなく、受付の人はマスクと透明のゴーグルをつけている。検温をパスしてから治療。NYでは昨日1日の死者8百人。

4月8日(水)
朝4時。縦長の出窓を額縁に光る大きな黄金色の満月。椅子を引き寄せ、長いこと封印してきた昔の手紙をいくつか読む。びっしりと書かれた500枚以上はある薄い航空便用箋を挟むファイルを膝に、月が西に沈むまで。

4月7日(火)
「うちで踊ろう ひとり踊ろう 鼓動弾ませろよ・・」星野源がギターを弾きながら歌い、それに歌手が、ダンサーが次々とコラボしていき、ネットで楽しめる。何て素敵な若者たち。そこから私は かてぃん にはまり込む。

4月6日(月)
ピコ太郎の『PPAP』の新作をオンラインで見られるとMに教えられた。手を洗う wash wash 版は時宜にかない、子供達が好きになりそう。最後のフレーズ We Will Win. に早くなりたい。明日、緊急事態宣言が出るようだ。

4月5日(日)
『岡崎乾二郎  視覚のカイソウ』の頁を繰る。あの豊田市美術館での展覧会の図録ではあるが、それ以上に、この作家に近づく魔法の絨毯。400頁をこえる、これ自体がアートといえる美しい大判の紙の世界はつきず・・・

4月4日(土)
あちこちから散る桜を惜しむ声をきく。先週、義兄が逝去。この数年は入退院を繰り返していたが、自宅で家族に囲まれ95歳の生涯を穏やかに閉じた。尽くしきった姉に気持ちを込めて数々の思い出を手紙にする。

4月3日(金)
全国民にマスクを配るのに数百億円?税金は使わず、政治家達のポケットマネーでどうぞ。国民は不安な時にちゃんと検査してほしい。歯医者の帰りにスーパーに寄り、野菜が山盛りになっている光景にほっとした。

4月2日(木)
レバンテが破産して閉店! コロナウイルスのせいとあるけれど、老舗がそんな咄嗟のことでつぶれる? 有楽町のあそこから国際フォーラムに移ったのが間違いだと思う。牡蠣フライも生牡蠣もレバンテだったからこそ!

4月1日(水)
「一億五千万キロメートルも 旅をしてくる  あなたの贈りもの、その光を  わたしは毎日  受けとっている。とどくたびに スゴイ と讃めたたえる、とくに むごすぎる夜々とか、 地震や 嵐に 不意打ちされた後などに。(略)あなたに抱きしめられてこそ  お日さま  わたしは自由なのだ。」(『お日さま』から リオ・アルマ作ータガログ語 マルネス・キラテス訳ー英語 木島始訳ー日本語)