98字日記ー2019年8月

8月31日(土)
夜8時近く、武蔵境駅前の武蔵野市立図書館に。以前から訪れてみたいと切望していたところ。入ってすぐ豊かな種類揃えの雑誌群が迎えてくれてわくわくする。映画の名作上映もあるし、近くだったら入り浸りたい。

8月30日(金)
『ハッピー・・・』の女先生は、いじめに気付くとすぐ校長に相談して、いじめる子の精神状態や友達関係の環境を直そうと努める。演じるサリー・ホーキンスは今、課題としているモード・ルイスの役をしていた!

8月29日(木)
少し壊れかけ、戻り、また壊れかけ、という90歳のひとを武蔵野日赤の病室に訪れる。授業のあとで疲れ気味の私がだんだん無口になりがちなのをMが埋めてくれるのを有難く思う。そういえば私は大連の日赤で生まれた。

8月28日(水)
この十数年、ごく近い身内に不幸がなかったことは奇跡としか言えず、30年前に母が亡くなった時の辛さは癒されることはない。昨夜、長姉にもしやという報せがあり胸が潰れそうだったが弟夫婦が救ってくれている。

8月27日(火)
新学期にいじめが恐くて登校できない子供達がいるという。周辺の大人達は何をしているわけ? マイク・リー監督の英映画『ハッピー・ゴー・ラッキー』でサリー・ホーキンス演じる超いい加減先生の対処に習えば?

8月26日(月)
水の携帯を忘れ、そういう時に限って自販機に出会わずヘロヘロになる私が気に入るマグボトルをMが探してくれた。日本最小というステンレス製で120mlの実容量。軽いし形が美しいしコップを持ち歩くようで嬉しい。

8月25日(日)
スポーツ競技を見るのは種類によっては好きでも、とにかく勝つことが大前提なのが時々うんざりする。今日はバドミントン、明日からは全米テニスと気になる試合はありながら、国の威信をかけて、というのもきらい。

8月24日(土)
力の出ない日だったけれどMの顔を見たく、銀座でお蕎麦を食べ、ポーラミュージアムへ中村弘峰・博多人形作品展をみに行く。古典がアスリートや動物達となり、絢爛たる美しさ、凛々しさ、愛らしさが加わって秀逸!

8月23日(金)
私の人生でパズルを解いていた時間を全部合わせたら何年分になることか。言い訳としては、パズルをしている時こそ他のことを深く考えている。いま残念なのは、買ってあるドイツ製のジグソーに取りかかれないこと。

8月22日(木)
どこかの雑誌で見た「ダークな透け感」という言葉がいま、したいおしゃれ。自分に似合うかどうかは、ともかくとして。重かったり閉じていたりするのは、もう飽きた。でも優しい、淡い、きれい、ももう要らない。

8月21日(水)
寝たり起きたりだった夏休み明け、横浜で気持ちよく講座を開き、最後のバスを降りて、緑茂り蝉時雨が降り注ぐ中、トボトボと歩く。ジージーとミーンミーンばかりでカナカナカナはこれからか。最近あまり聞かない。

8月20日(火)
メールに慣れて、すっかり筆不精になっている。今日は遅れ遅れになっていた5通を書き上げ、それぞれに切手を選んで仕上げる。10月から郵便料金が値上げになるので新しい切手が決まったとニュースが伝えていた。

8月19日(月)

アフリカに想いを馳せる日だった。世界教師賞最優秀賞にケニアの小村の小学校教師が選ばれ、図書館が出来そうで嬉しい。一方、人口の6割が18歳以下というニジェールの子供達の食べることさえままならぬ貧しさ。

8月18日(日)
週末になるとダウンして寝こむのは現役のときと同じ。でもあの頃はもっと仕事に都合よく週末にも働き、やっと取れた有給休暇にダウンした。アルフレックスのソファのクッションをはずして心地良いベッドにする。

8月17日(土)
今日は静かにジョージア語に向き合う。文字の形も好きなのだけれど大文字がないので、文章の中で固有名詞を見極められないことがある。でも日本語も同じで、だから自動翻訳機が人名を直訳してしまうのだろう。

8月16日(金)
日本橋にちょっとした買い物があリ、高島屋の『山口蓬春展』に寄る。新しい形の日本画といわれる作品群は心地よく、品の良さが光る。葉山の記念館を訪れたのは20年以上も前のことだった。細い坂道と緑の印象が深い。

8月15日(木)
この時期、同年齢だからか一番気にかかるのは、空襲で瞬時に親や家族を失った”孤児”達のこと。戦没者追悼式に遺族として招ばれることなどないのだろう。収容施設にいたと伴侶にもついに語れなかったという人も。

 8月14日(水)
今週はカルチャー全体が休み。世の中は休日ではないがオフィス街は静か。ニュー新橋ビル内の「ユック」で昔の友人達4人と福士京子さんを偲ぶ。彼女の話と屈託ない話と世界のあれこれの話とで気持ちが落ち着いた。

8月13日(火)
るみ子さんの夢の中で私は冠をつけた美しい中国人だったそうな。目眩で死にそうと思いつつ古代服で飛び回っていたのかも知れない。綺麗なクコの花の写真が入っていて、地骨皮は漢方薬だから通じていたのかと思う。

8月12日(月・休)
夕方、トリフォニーへ。ジョヴァンニ・ソッリマの『100チェロ コンサート』を聴く。エンリコ・メロッツィと共に熱気に溢れるステージを展開。それが類まれな時空間であると理解しながら私は外から見つめていた。

8月11日(日)
ふと、あまり読まない物を読みたいと思い、千野隆司の「おれは一万石」シリーズから題にひかれて『贋作の謀』を手に取った。双葉文庫でさらっと読めたけれど、時代物は肩書きも難しい。舞台は馴染み深い小名木川。

8月10日(土)

「鶴瓶の家族に乾杯」という番組を見る。今日はニュージーランドで家族探し。その時の人との接し方にはらはらする。関心のポイントが結婚なので、国によっては質問自体が失礼になることがあると知っていてほしい。

8月9日(金)
スーパーが届けてくれる食料品で冷蔵庫と冷凍庫がいっぱい。薄い豚肉を色づきよくカリカリに焼き、ブロッコリーとしめじは蒸し、マヨネーズ・醤油・ごま油を混ぜて添える。昨日までの「のに愚痴」は終わりにする。

8月8日(木)
この暑さは世界規模だそうで、北極圏の氷まで溶けているという。強い日差しに足がすくみ、日傘を差しても地面から跳ね返ってくる光を遮ぎれない。翻訳塾も来週は休みで寂しいながら、気になる展覧会が沢山あるのに。

8月7日(水)
夜間に九州を直撃した台風を不穏ながら羨ましく思う猛暑の日々。夕立は思い出にしかない。一人でいると滅入るけれど横浜クラスでは調子の悪さは全く忘れていた。聴いてくれている人達はどうだったか分からないのに。

8月6日(火)
ようやくクリニックに行く気になり漢方薬を処方してもらう。広島の平和記念式典をNHKは黙禱から15分経ったところで中途なのに中継を終えてしまった。他局でもつまらない番組ばかり。あと20分ほどなのに・・・

8月5日(月)
「あいち・・」で、各地の美術展で撤去された作品による企画展「表現の不自由展・その後」が3日で中止となった。私も見たくない作品があったかも知れないけれど、本当にそうかどうか見なければ分からないのに。

8月4日(日)
これは熱中症かしら。その辛い症状に耐えて家にこもっている。再配達の郵便が届き、ネットショッピングで日々の食料品が届き、何気なく受け取れたのだから生きているのねと思う。ジャズを聴きに行く日だったのに。

8月3日(土)
歩けそうではあったけれど、朝一番に、カルチャー事務局からクラス全員に休講を知らせてもらう。残念。部屋のTVでコトリンゴの『この世界の片隅に』映画音楽ライブ、こうの史代原作の『夕凪の街桜の国』をみる。

8月2日(金)
夕方、強烈なめまい。勝どきからタクシーで帰ってきて、夜になり一層ひどくなる。2時間近く歯医者で治療を受けていたせいだろうとようやく気づく。治療中にかすかに感じたのを告げればよかった。眠いのが救い。

8月1日(木)
国の紹介=天空の王国ともいわれる南アフリカに囲まれた国(レソト)、カヘティ地方はワインの一大産地(ジョージア)、伝統的な刺繍文化を持つ国(ハンガリー)、ゴッホが生まれた国(オランダ)・・・日本レジストリサービス社の広告の一部