98字日記ー2015年8月

8月31日(月)

先週、夏休み明けで5クラス全部あったうえに、予定外のことが幾つか入り、明後日からの3クラスに響いている。求められていないのに出かけたり、自分の判断のわるさに振り回された。週末の中華料理で挽回しよう。

8月30日(日)

全国一斉で安保法案反対のデモ。国会議事堂の前に12万人が集まったという。送ってくれた写真を見ると、わあ、さすがに壮観。あの道がびっしりと人で埋まっている。イージス艦一隻のお金で保育園がいくつ出来る?

8月29日(土)

知らない土地を侮ると大変なことに。昨日、溝の口からの帰り、別の線の溝の口から電車に乗ったら、どうしても東京方面に近付けず、大崎から乗った電車がなぜかまた大崎にきた。最後は山手線で有楽町に着き、生還。

8月28日(金)

秋は突然やってくる。あんなに暑かった夏をぐいっと押しのけて、今日は涼しい。でもまだ8月だし油断はできない。なんの油断?翻訳塾では伝えたいことが多すぎて、20人近くの顔を全部見たかしらと後で思い返す。

8月27日(木)

努力しない人間だとつくづく思う。努力していたら出来ているはずのことが沢山ある。ひとつのことにじっくり取り組んだり続けたりしているのは、それが好きだからで、そう分かっていても、努力は全然しないのだ。

8月26日(水)

陸上の世界選手権が北京で開かれている。ほとんど知識がないけれど、ふと耳を澄ませたくなる言葉が飛び込んでくる。やり投げで金メダルをとったケニヤのイエゴ。独学で研究を重ねて、ここまできたという。えらい!

8月25日(火)

ある時間になったら寝るのではなく本当に眠くなったら寝ることにしたら、ベッドに入るのはどんどん遅くなるのだけれど、眠りが深くなった。でも昔は・・と思う。明け方まで本を読んで3時間爆睡、で平気だった。

8月24日(月)

ビルケンシュトックに若い女性はすぐ気がつく。病院では看護師さんが、美容院では美容師さんが「あ、ビルケン」と言う。毎年モデルが変わることが話題になる。今年の夏の私は毎日、素足に去年の水色のサンダル。

8月23日(日)

志村けんが、聴覚が低いか全然ない子どもたちにして見せたコントがとてもよかった。転げ回るほど笑わせたのは、大きな鏡を使ったもので、映っているのが自分なのか自分を真似している他人なのか分からないもの。

8月22日(土)

ピアソラはやっぱり好き! 長谷川きよしが自ら編曲したものだと思うけれど、ギターの弾き歌いで『忘却』をTVで。久しぶりで『黒の舟歌』を聴こうか。いつの間にかピアソラから移って、となるとゴンチチもたまには。

8月21日(金)

錦糸町から大塚駅行きのバスに乗り、蔵前駅前で降りる。蔵前通りで石原という地区を一丁目から多分四丁目くらいまで通り抜けた。懐かしいような、何かふしぎな魅力をもつ地域。八百屋もスーパーも喫茶店もある。

8月20日(木)

映画『マン・オン・ワイヤー』は忘れ難い。フィリップ・プティが世界貿易センターのツインタワーの間を渡った、あのドキュメンタリーを随所に挟んでいることに惹かれてコラム・マッキャン『世界を回せ』を訳で読む。

8月19日(水)

電話がかかってきた。すっかり忘れていた声がさわさわと響いて本を貸してくれるかと聞く。何の本? 小さな絵本がいい。綺麗な月の本は?うん、それがいい。机の上に Papa, please get the moon for me を置いておく。

8月18日(火)

なんとなく体調を崩している感があるけれど、明日から講座が始まるのでリズムに乗れることを期して。朝、時間があったら胡瓜のサンドイッチを作って持って行こう。保冷剤を添えて籠に詰めれば、冷サンドができる。

8月17日(月)

落雷、突風、豪雨、竜巻が局地的に襲う一日だった。この予測不可能な自然と日々向き合っている日本に原子発電所なんてものがあっていいと思えるのが不思議。桜島は噴火の恐れがあり、火口に近い住民は避難している。

8月16日(日)

上野動物園の夜間開園に残念ながら行かれなかったので、携帯に届いた写真で慰められた。パンダのリーリーが10歳の誕生日だとか。夜8時だというのに脚を投げ出して笹を一心に食べている。ハシビロコウも元気。

8月15日(土)

カントの小冊子『永遠平和のために』(池内紀訳)が世に出たのは1795年。200年を経てなお今を語っていると思うのは人間社会が成長しない証だろうか。家族と月島の上むらで天せいろを食べる平和も永遠なれ。

8月14日(金)

国分寺は何十年ぶりか。駅は様変わりしていたけれどタクシーで数分行けば、昔ながらの坂や茂みがあった。白いアーチの下の玄関から一歩、中へ誘われると、心からくつろげる温かで知的で豊かな時間をたっぷりと。

8月13日(木)

少し気分が落ち込み、いつもよりさらに怠惰になり、生きるのは面倒くさいと軽く考えたりして、さっきリストの「ためいき」が流れてくるのに惹かれ、辻井伸行のドキュメンタリーをTVで見始めた。輝く音があった。

8月12日(水)

お盆休みで普段は出席できない集会所寄席に。三遊亭楽市師匠の「錦の袈裟」は、吉原を懐かしむような枕とともに、この会には似合わなかった。お世話係の要望もあったのかも知れないけれど夏の午後の題ではなく。

8月11日(火)

夏の夕方の空は、いい。下町には橋が多く、あちこちでお祭りをしているようで、どの橋でも法被や浴衣姿の子どもや若者や大人たちがそわそわと歩いている。嬉しそうに急いでいる。顔は笑っている。空が藍色になった。

8月10日(月)

『芸人と俳人』(又吉直樹×堀本裕樹)を読みあげる。「すばる」で幾度か読んだときは関心が続かなかったが、見事に読みでのある単行本になっていた。俳句と翻訳は創作過程や気合いや精神環境がよく似ていると思う。

8月9日(日)

ベランダで育てたゴーヤの今年最初の収穫、とのことで朝、ゴーヤチャンプルを分けてくださり、豪華な朝食をとる。ほのかな苦味が暑さにぴったり。深蒸のお茶をおいしく飲んでいたら集会所での会議に遅刻しそうに。

8月8日(土)

ジョージアの詩人で作家のヴァジャ・プシャヴェリが子ども向けに伝記をまとめた本を、ジョージア帰りの三輪さんからいただく。一番欲しかったもの。停滞気味のジョージア語の独習もノートに書き写すだけで胸が躍る。

8月7日(金)

今日から2週間はほとんど予定のない日々で、やっておきたいことが山ほどある。添削は4クラス分抱えているけれど、どう訳してくれたか、むしろ楽しみなものばかり。で、今日はというと、ぼんやり過ぎてしまった。

8月6日(木)

広島被爆から70年。遠い昔のことではない。戦後、吉祥寺周辺にも浮浪児たちがいた。一方で21年には全国高校野球大会が開かれている。その熱狂ぶりを写真で見て、優先すべき、忘れてはいけないことを今、思う。

8月5日(水)

都心で6日連続の猛暑日となり、観測記録を更新し続けている。正午で36度とか。風があっても熱い空気をかきまわすだけで、バスを待っていると、じわっと汗が吹き出してくる。外を歩く距離は短いけれど息が弾む。

8月4日(火)

カザニの水泳世界選手権。ケイティ・レデッキーが世界記録を続発し1500米も圧巻だった。予選でも手抜きのない姿勢が美しい選手。200米個人メドレーで2位の渡部香生子も8位から追い上げて素敵な18歳だ。

8月3日(月)

ラングストン・ヒューズの短編を課題にしている。12年前に詩を取り上げて以来のことなので訳者としての木島始さんの話もしていたら、偶然に今日、光子夫人から『木島始詩集』の復刻版が送られきた。懐かしい。

8月2日(日)

2年ぶりに花火の煌きと音と色と光にさらされる感触。きのうのこと。1日前のブルームーンがまだ丸く、最初は橙色で、やがてレモン色になって、ずっとそばにいた。小さな椅子を用意して運んでくれたMのおかげ。

8月1日(土)

「はじめに言葉(ロゴス)があり、その思想の完全な実現にむかって努力するというふうに、目標を・・・さだめたくない。私が自分の前におく人生行路のモデルは、気配にはじまり、言語化された思想をとおって、気配に終わる。」(鶴見俊輔『民主主義とは何だろうか』から抜粋)