98字日記ー2019年7月

7月31日(水)
梅雨が明け、途端に猛暑で日本全国が34度とか35度とかに喘いでいる。学校が休みだからか今朝は交通機関もガラガラで、横浜に向かう京急車内では観光パンフレットを手にした姿が多く、夏休みモードは気持ちいい。

7月30日(火)
インターネット上の住所「国別トップレベルドメイン」が250くらい並ぶ表を眺める。こんなに素晴らしいものが地球で生まれ人類が共有していることに感動する。それでも戦争をしたり武器を作ったりするなんて。

7月29日(月)
絶滅危惧種ジュゴンを水族館で飼っているのは世界で四つだけ。そのひとつ鳥羽水族館から若井副館長がタイの海洋生物学研究所に行き、迷子になった赤ちゃんジュゴンの育て方を伝えているという今朝の素敵な記事。

7月28日(日)
川上弘美の『神様』も『神様2011』ももちろんずっと前に読んでいたけれど、1冊にまとまっているのを見つけて、改めて両方を読む。「あとがき」を読むことができたのもよかった。作家は、こうでなきゃと思う。

7月27日(土)
この数年、夏に一度は美味しいヴィシソワーズを、というMの希望で資生堂パーラーへ。慣れた落ち着きがあって、くつろげる。博品館に寄って、楽しいドールハウスや思いがけない今時のおもちゃの賑やかさに驚く。

7月26日(金)
好きな選手はスウェーデンのサラ・ショーストレム。韓国で開催中の世界水泳でも女子バタフライでぶっちぎりの強さ。そして優しい。何かの表彰後、闘病中の池江璃花子向けエールを掌に書いて台上から示していた。

7月25日(木)
終わらない、疲れる、などと愚痴をこぼしながら、実は時間があると一番やりたいのが新たな添削分。どう訳してくれたかと一人一人が気にかかる。結局は好きだから17年も続いたのだろう。あと何年できるのだろうか。

7月24日(水)
この集合住宅に住んでいて楽しいことは数々ある。一階の入口にあるボードに張り紙が少なくて15個位ピンが余った時、その透明の緑、橙、黄、青などのヘッドが綺麗な形に並べられている。蝶々だったり船だったり。

7月23日(火)
長い課題を出して添削に時間がかかり、2日間朝から晩までかけても終わらない。やり方を考えなくては。できるだけ沢山の言葉や文に触れることが大切なのだけれど、ただ上辺を流れていくだけでは意味がないし・・

7月22日(月)
昨日の投票率は48・80%で戦後2番目の低さ。メディアは原因の分析を始めたけれど、とにかく熱量が足りなかった。ワクワク感なく、面白くなかった。選挙はお祭でなきゃ。九州は大雨だったし当然の結果じゃない?

7月21日(日)
参院選の投票は早朝、清新一小で。前は数人の受付係が台帳で投票者名を確認していたのが、用紙のアイコンをピッと読み取るだけだった。区のHPには1時間ごとの投票率が載る。投票率アップにつながるといいのだけれど。

7月20日(土)
「家にあるのに同じ物を賈う」「家電操作にまごつく」「日付が言えない」「あれ、これで話す」とかずーっと昔からそうだった。長寿健診で「物忘れ、軽度認知障害に気づくための10の質問」の半分は当てはまる。

7月19日(金)
このごろ毎日、15分位ピアノを弾く。弾ける曲が長くて3分なので、新しい曲を練習するとしても15分でお終いにしたくなる。もう何年も調律してもらっていないので音がずれているに違いない。でも全然気にならない。

7月18日(木)
登山家ラインホルト・メスナーを課題で扱っているので関係書を幾つか読む。8000メートル峰を14座全て踏破することの凄さを私は頭で捉えるだけだけれど、ザハ・ハディドに設計を依頼した山岳博物館は見てみたい。

7月17日(水)
市川海老蔵の声が出なくなり、七月大歌舞伎の夜の部が3日間公演中止という、あり得なかった事態に。13役早替わりも含め、過酷な状況だった。昨日はたまたま玉三郎、海老蔵の『天守物語』をシネマで観たところ。

7月16日(火)
信号待ちでバスが天賞堂の前に停まったので、しみじみと「移転のお知らせ」を見る。店舗改築のためとのことだけれど少し寂しい。昔はよく時計を贈り物にしていた。仮店舗の入口には天使くんもいるそうだけれど。

7月15日(月・休)
サミュエル・イェスルン・デ・メスキータ。1868~1944(アウシュビッツ)。木版の簡潔な線が時に細かく、時にくっきりと、時に柔らかく、独特の世界をつくる。ほぼ全て黒白の世界。日本初の回顧展を東京SGで。

7月14日(日)
いいなあといつも思う日曜朝5分の番組「献立日記」。沢村貞子が26年半!記していた献立のメモから一食を選んで作る飯島奈美の手が美しい。今朝は夏ずしに冷たいおすまし。饒舌でないのもいい。胡瓜を刻む音がきれい。

7月13日(土)
昨日アメリカから郵送された本、包装にはこちらの住所と名前が日本語で印刷されていたが、名前に読みが付いていて Takahashikaya Kyosu。茅までを苗字、名前を将棋の「きょうす」としたらしい。自動翻訳機さ~ん!

7月12日(金)
平出隆の文章で意識に刻まれたドナルド・エヴァンズ。小川洋子の短編でも。エヴァンズの水彩画は全て切手。自分が創った国に文化も人も産物も与え、切手を産む。風車、鳥、果物。作品集が米・古書店から届いた。

7月11日(木)
クラシック倶楽部の時間になり、夢うつつでピアノを聴き・・はっと起きた。トーマス・ヘルの「ピアノのための練習曲 (リゲティ作曲)」。『ワルシャワの秋』から幾つ聴けたのか、すごい演奏だった。全部聴きたい。

7月10日(水)
電車内で隣に座った人が前に立った人と速い口調で話していた。大抵は何語か見当がつく気がするのだけれど、全く分からなかった。アジアでもヨーロッパでも中近東でもない。聞いてみればよかった。次はそうしよう。

7月9日(火)
若い頃、風邪を引いただけで不治の病いにかかったように思った。昨日、腰が痛くて、滅多にないことなので重病だと思い込んだ。でも今日は勝どきまで行かれたし、気がついたらスーパーで盛大に買い物をしていた。

7月8日(月)
梅雨の晴れ間の一日に、なぜか体調がすぐれず家にこもる。明後日から続く3クラス分の添削も、ジョージア語の宿題も、幾つかのお礼状もあるのだから家にいていいのに、気持ちはすぐに美術館や映画館に飛んでいく。

7月7日(日)
日曜朝刊連載「大志」に藤井聡太より上位の棋士が対局について「無我夢中で戦い終えた」と語っている。錦織圭との試合でジョコビッチが同様に「ケイには真剣に向き合う」と言った。美しい場を創る二人だと思う。

7月6日(土)
銀座アスターに。きれいな螺旋階段は使わず、いつものようにエレベーターで二階へ。今日の一番は青菜の炒めかな?色々な種類の青菜がニンニクやその他の香辛料であっさりと、しかも深い味で仕上げられていた。

7月5日(金)
自分がどんな子育てをしたか、あまり覚えていない。いつもその場凌ぎだったのではないかと思う。Mに外で買ったものを、その場でとか帰り道で食べるなんてことは許さなかったと言われてびっくり。そうだった?

7月4日(木)
誰が決めたのか知らないけれど、自然災害から身を守るためにマイ・タイムラインというのを個々が作成して避難行動の規範にするそうだ。ナンバーカードに続いて英語を借用したというだけの言葉。日本語にして!

7月3日(水)
横浜の帰りに庭園美術館の『キスリング展』に寄る。明るいのに静かで、描くことが心から好きだったのだろうと思う。藤田嗣治と仲が良かったのも納得。シニアは550円という入場料、国立美術館も倣ってほしい。

7月2日(火)
ずっとポレポレ座に行きたいと思っていて、今日は頑張って11時過ぎに家を出たのに門前仲町辺りで12時40分には間に合わないのが分かった。東中野は意外と遠い。『作兵衛さんと日本を掘る』は見られないかも。

7月1日(月)
「展覧会をひとつの作品のように見せる。時代順に作品を紹介するのではなく、個々の作品を組み合わせ、一つの大きなインスタレーションにする。」(『クリスチャン・ボルタンスキー』に寄せる作家自身の言葉)