98字日記ー2015年9月

9月30日(水)

ずっと前にもらったパイロットのフリクソンボールをふとクロスワードに使ってみて、書きやすさと頭についた消しゴムの優秀さに感激!絶大の人気を納得した。とくに手帖には使い勝手が最高なので文具の整理を開始。

9月29日(火)

ほかの人の翻訳をみていて、時に思いがけない混乱に出会う。普通のハイフンを、突然ダッシュのように考えて単語を二つに分けて訳す。当然、文章にならない。信じられない!と私は叫ぶが、ありうること、誰にでも。

9月28日(月)

石井連蔵さんが亡くなられたのを新聞で知る。いつも若々しく、友達のように気軽に付き合っていたけれど、お年はずっと上だった。4年ほど前から数十年ぶりに年賀状が届くようになって・・・それがお別れのことば?

9月27日(日)

みたいTV番組が多い。『題名・・』を7年半振った佐渡裕のラスト。ドキュメンタリー賞受賞番組ー『憎しみとゆるし』はキリノ・フィリピン元大統領の日本軍戦犯への恩赦。『満蒙開拓団』『薬禍』も。夜は『山崎豊子』。

9月26日(土)

国勢調査への回答をインターネットで済ませたけれど、これからのナンバー制の活用もこんな風に描かれているらしい。パソコンすら持ってない人たちも大勢いて、その実情をどうするかという考えは全くないごとく。

9月25日(金)

「フィールド・オブ・ドリームス」をTVで、また、みる。バート・ランカスターの医者がいいし、どこでゾクッとするか分かっているから、そこだけと思ってみていて、新たな発見がある。人生って、と思わされる映画。

9月24日(木)

このところ食卓には新潮文庫百年記念の『日本文学100年の名作』がいつも置いてあるようになった。時間があると短編をひとつ読む。選者の三人の個性がバランスよく魅力的だ。今夜は上林暁の『薔薇盗人』(1932)。

9月23日(水祝)

お彼岸らしいといえば花を買って、思い出をこめて花瓶に挿したことくらい。年譜がいかに記憶を刺激するか、創作につながるか、こもごもと話し合ったのが頭にヴィヴィッドに残っていて、何かしたい気になっている。

9月22日(火)

きのう車で走り抜けた六甲アイランドの位置を地図で確かめる。運転手さんが子どもの頃は泳いだという海だったところに広大な神戸製鋼があり高速道路が曲線を描く。印象的なファッション美術館は蔵書も日本一らしい。

9月21日(月祝)

今日いちばん心に刻まれたのは、やはり悠治さんのピアノ。三ノ宮ハンター坂途中のクレオールで。六甲アイランドにある美術館も幾人もとの久しぶりの再会も日帰り往復の新幹線の中での語らいも最高だったにせよ。

9月20日(日)

百歳以上の人が日本には6万人以上いる。いつの間にかそんなことになっていた。一方、周囲には無念にも若くして世を去る友人、知人も多い。寿命はわからない。喜寿を自ら祝おうと明日は例のトラたちが神戸に集う。

9月19日(土)

今日から5連休で、シルバーウィークと呼ぶらしい。でも横浜の講座はあったし、日本橋のデパ地下も普段と変わらず目移りするばかりで輸入コーナーでクロテッドクリームがあるかどうか見てくるのを忘れてしまった。

9月18日(金)

明日の日付で1時を過ぎているが、参院本会議の中継がまだ進められている。安保法案への反対、賛成の立場から交互に意見が述べられているが・・・この後で与党は採決に踏み切り成立を図るだろう。多数という暴力。

9月17日(木)

「おっとっと」にレアな魚の骨があった。いかとか、うにとか、たこのような少しふくれているのが楽しいので骨は食べる部分が少ない気がするけれど、取っておくのも変で、食べたらカリッとした感じがとてもよかった。

9月16日(水)

雨の中、TV画面にみる国会前は安保法案成立に反対する人たちの激しいデモ。憲法を変えて戦争ができる国には絶対にしてはならないという思いに共感する。原発といい安保法案といい、なぜ?と問うことの多いこと。

9月15日(火)

あの女性主審はエバ・アスデラキ・ムーアというギリシャ出身の人で、テニス界で有数の審判の一人だった。選手名と得点を遅すぎず早すぎず心地よい声で告げ凛として判定を下した。松岡修造コメントでも触れられた。

9月14日(月)

全米オープンテニス男子決勝。スタジアムのほぼ全体がフェデラーを応援する中、ジョコビッチが優勝。厳しく美しい試合だった。そして史上初めて女性の主審は落ち着いた透る声で見事な判断を下し最高の場を演出した。

9月13日(日)

自宅も仕事場も都心ながら川のそばで、それが氾濫する可能性はいつでもある。そのとき、そのどちらかにいたい。避難はしない。電気だけ通っていてほしい。多分倒れそうにない建物だから籠城していよう、と甘い考え。

9月12日(土)

銀座通りで、laox、鞄屋、ファンケルに人が群がっていた。多分、中国から来ている人たち。日本人も以前、パリやニューヨークで同じように決まった店に群がり、ブランド名の入った紙袋を山のように下げて帰りましたよ。

9月11日(金)

マイナンバー(なぜカタカナ英語?)が実施されそうで大変。消費税が10%になったとき食料については8%にしてこのナンバーカードを示すという政府案。上限は年4千円。月に一度、バスに乗らないほうがいい。

9月10日(木)

栃木と茨城で観測史上はじめてという大雨が降っている。何万人もが避難し、すでに倒壊したり流されたりしている家屋も多い。東北にも及び仙台の町名があがっていたけれど、皆、無事でいますように。明日は晴れる?

9月9日(水)

台風の接近もあり、雨がときどき激しく地面を打つ。一気に秋の気配。濡れてもいいようにナイロン製のバッグにしたら、ポケットが多すぎて、何かを取り出そうとすると必ずファスナーを全部開けた最後に入っている。

9月8日(火)

今朝のクラシック倶楽部はパトリツィア・コパチンスカヤのバイオリン。クルタークの作品が多い聴いたことのないプログラムで、すてきな演奏だった。すべて無伴奏で、バルトークもあり、爽やかな5時の目覚めとなった。

9月7日(月)

今年は戦後70年の区切りで多くが語られ、課題のひとつもジョージ・オーウェルの短い随筆にした。1945年に英国料理への熱き思いに寄せて彼なりの愛国心を語っている。戦勝国の英国人も耐乏生活をしていた頃。

9月6日(日)

スリランカへの紀行文の中のセレンディピティを「しあわせな偶然」と訳して済ませないよう説明したくて『セレンディップの三人の王子たち』(竹内慶夫編訳)を読み、その解説に翻訳をする動機の原点をみる。感激。

9月5日(土)

奥沢の中華料理店「荒木」で良き時間。くつろげる人たちといて、料理が美味しくて。四川の辛さが程よく、絶大人気の麻婆豆腐、アボカドと海老、カレージャガイモ、バンバンジー、えー、それから麺もあり、紹興酒も。

9月4日(金)

鶏肉のカシューナッツ炒めを新しいフライパンで作ったら焦げ、玉ねぎとピーマンもくしゃくしゃで、わけのわからない食べ物になったのに臆面もなく岡野さんに届けた。呆れているかもしれない。料理の腕が落ちている。

9月3日(木)

和風総本家という番組で職人さんたちの仕事をみる。畳表、麻布団、漆器、お豆腐、とさまざまな分野で、ときには過酷な、手仕事が日本中で根付いている。外国で使われている数々の道具もあり、その現場を見ると感動的。

9月2日(水)

ドクター・スースの新作というか没後24年に発見された作品が、この夏、出版された。初版はなんと百万部。横浜の人たちと日本の子どもには絵が受け入れられないという話になったが、確かに。Mはどうだったかしら。

9月1日(火)

「踏幅のひろい階段を、一つ一つ、ゆっくりと踏んで降りた。数は十一段であった。人間とは、自ら非常に哀れな時と、空白なまで心の爽やかな時に階段の数を知っている。」(尾崎翠『地下室アントンの一夜』から)