98字日記ー2019年5月

5月31日(金)
ジャン・モリスが随筆でディラン・トーマスの詩を引用していたので、パソコンに入れた『ウェールズの子どものクリスマス』私訳を読み返し、「海に片手を突っ込んで思い出を取り出す」箇所から離れられなくなる。

5月30日(木)
15年とか20年経った物は働きが悪くなるらしい。熱源機と一緒にガスレンジと、去年から動いていないエアコンも換えることにした。そして天井に埋め込んである20個近い電球。私の鈍い働きはどう換えたらいいのかな。

5月29日(水)
くるくると丸く連なるジョージア語を書いていると心が安らぐ。「ニノは鍵を持っていなかったので、家のドアを開けられませんでした」「わたしのハチャプリを食べたのは誰?」などという文章と取り組むのは楽しい。

5月28日(火)
無力な子ども達に刃物を持って襲いかかるような暴力に、どう対策をとれるのか。学校関係者は胸を痛めているはず。抑止力になるのは何?もう3回も力という文字をここで使った。想像力、魅力などと使いたいのに。

5月27日(月)
月曜も企画展以外は開かれている都美に行く。創造展の会場で「釈迦三尊」と題する素子さんの木彫作品と向き合う。細やかで強く、響きを抱えている。会場全体の雰囲気も個性的ながら主張しない。趣味は尊いなあ。

5月26日(日)
昨日、DIC川村記念美術館でのランチは地元の野菜がセンス良く使われ、いつものように美味しかったし、初めての茶室ではコーネルの箱に因んで金沢の老舗で作られた美しい錦玉羹「星の箱」を抹茶とともに愉しんだ。

5月25日(土)
川村記念美術館に誘ってもらって久しぶりに佐倉へ。コーネルのコラージュ・モンタージュ展で、手紙類も興味深かった。ステラやロスコの作品も何回も見ていながら、というか見ているだけに深く捉えられると思う。

5月24日(金)
江戸川区の水害(洪水・高潮)ハザードマップが新たに配られ、その表紙がすごい。「ここにいてはダメです」と広域避難をすすめるもの。中で清新町は浸水しないと断言され防災拠点となっている。どう考えよう?

5月23日(木)
朝。新鮮な胡瓜の皮をざっと剥き、横3つに切る長さで拍子木切りにして、ぱらっとローズソルトをかける。アンデス山脈で採取されたというピンクの岩塩粒がおいしい。卵料理を何かとアンジェレトマトが付け合わせ。

5月22日(水)
電車の中で読む本を買っておこうと横浜で有隣堂に寄った。あまり分厚くない文庫を、と思ったのに読みたいものに出会わない。意外だった。前は読みたい本ばかりが並んでいたのに。変わったのは私?それとも本棚?

5月21日(火)
色々なチケットをオンライン予約で入手する。最初の会員設定が面倒で大抵1時間かかるが、この数年で精度が上がり、ほぼ完璧な仕組みが出来ている。今日は五輪チケットのIDを取り、晴海トリトンの会員となった。

5月20日(月)
紙袋が捨てられない!ロッカールームに袋がいっぱい入った袋が四つもある。上等の厚紙にシンプルだったり凝ったりしている意匠、縒り紐やリボンや紙の取っ手。銀座、門仲、フィレンツェ、NY、金沢、京都・・・

5月19日(日)
ボタニカルアートは心を和ませてくれる。西欧の花の図像を百枚の小さなレターペーパーにした冊子を眺めて過ごす。誰に書いて出そうか。日野の明星大学でウィリアム・モリスの蒐集書籍を展示しているとも聞いた。

5月18日(土)
横浜に行くといっても、駅構内の京急線改札口横のルミネ8階までエレベーターで上がると朝日カルチャーの教室なので、街の様子はほとんど知らない。それでも「アド街ック」をみると駅が街の中心でもあるらしい。

5月17日(金)
イオ・ミン・ペイ死去。102歳。京都の奥の鬱蒼たる緑の中、MIHO美術館に着いて初めて、その光る建物がルーブル・ピラミッドをつくったペイだと知った。若冲の『象と鯨』をみにいってペイの峻烈な美を実感した。

5月16日(木)
エドワード・リア『ナンセンスの絵本』の柳瀬尚紀訳が凄いと私は幾度語ったことか。今日、見ましたけれど何がいいのか・・・と告げられた。ああ、そうだ。どう思うかは人それぞれ違う。押し付けはやめよう。

5月15日(水)
横浜市調べでは昼食の時間が15分という公立中学校が95%だったとか。他の地域や学校ではどうなのだろう。あの身体の割に小さな木の椅子に何時間も座って過ごす中学生たち。大人になると楽よ。それまでがんばれ!

5月14日(火)
上野での会議のあと都美で開催中のクリムト展へ。ウイーンでただ一点、『接吻』をみたくてベルヴェデーレに行ったこと、あの頃の自分などを思い出す時間となった。生涯をたどりたい作家と一点でいい作家がいる。

5月13日(月)
韓国・慶州にあるナザレ園の今の様子を夕刊で読んだ。かつて韓国の男性と結婚して一人になった高齢の日本人女性が今は9人暮らす。この施設を作った故金龍成さんや園で35年働く宋美虎館長がいて下さってよかった。

5月12日(日)
岩波新書の多和田葉子『言葉と歩く日記』が楽譜の下から出てきて拾い読みする。5年前に読んだもので、このひとの言語感覚が好き。慣用句が少しずれた時の不協和音に真意を込めるところなど、本当にそう、と思う。

5月11日(土)
ピアノの周辺を片付けた。やれば出来る。駅・空港ピアノのように私も、と思うものの今だにミクロコスモスから卒業できないしギロックも弾きたい。都庁の展望台にある草間彌生がペイントしたピアノを見にいきたい。

5月10日(金)
片付けていても切抜き1枚も捨てられない。金子史朗先生の葉書が出てきた。有楽町の職場宛て。懐かしくて検索すると90歳でお元気のよう。『アトランティス大陸の謎』以降、地質学者として数々の本を出しておられる。

5月9日(木)
東京五輪競技日程の大枠が発表されチケットの抽選販売の申し込みが始まった。手続きはインターネットでしかできないので、取り残され感を持つ人もいるはず。私はみに行きたくなるのかしら。幾つかの会場は近い。

5月8日(水)
今朝は富士山がきれいに見えた。バスの車窓から、京急の車内から。子どもの頃に富士山をどう見ていたか覚えていない。吉祥寺での小学生時代、小金井での中学時代は野原にいたようなものなのに見ていなかった?

5月7日(火)
生きていくのって大変、と思うことがある。私の場合は日常生活というのが苦手。それでいて我儘だからひとりで何でもしようとする。そして失敗して凹む。でも助けられる。その繰り返しで、生きていくのって大変。

5月6日(月)
今日までが長い休日。その間、5月1日に令和元年となった。西暦以外に国独特の年号を生活の中で使うのは世界でも天皇制を踏襲する日本だけ。数字に弱い私は同時に二つを正確に言えず、なるべく西暦ですませたい。

5月5日(日)
展覧会場や映画館は休日と週日のどっちが空いているのだろうと考えながら、今日は家で。ジョージア語の21課までをまとめたい。多分500例にはなる短文をそのまま全部覚えるといいのではないかしら。わくわく。

5月4日(土)
『カササギ殺人事件』(アンソニー・ホロヴィッツ、山田蘭訳)を文庫上下巻で読み終えた。昨年以来、日本でミステリーに贈られる賞を総なめ。もう少し短くてもよかったなあ。謎解き部分をもう一度吟味しよう。

5月3日(金)
遠足に行くように立川へ2時間半。駅から専用バスに20分乗り立川サンシティへ。花々と緑の大木に囲まれた避暑地の豪華なホテルの印象。ともかく私としては大切な友人が安心できる環境に身を置けたことが嬉しい。

5月2日(木)
混んでいる所は超ぎっちりで、空いている所はガラガラ。薄暗い新宿住友ビルでなぜか私の授業はあり、全員出席。申し訳ない。毎週甲府の先から来る人は高速バスが満員で「夫の運転で来ました」。ありがとう!

5月1日(水)
「少年のころ、花のうてなの中へおりて行くのを夢みた夢も、またよみがえって来た。彼のうしろからさまざまな形の世界全体がいっしょに歩みすべって、いっさいの形の背後にある秘密の中に没し去った」(ヘルマン・ヘッセ『アヤメ』から。高橋健二訳)