98字日記ー2020年9月

9月30日(水)
新型コロナによる死者が世界で100万人を超えたという。今年になってからのことで、改めて何という状況に遭遇していることかと思う。感染者数では世界人口の240人に1人って・・。気をつけましょうね、みんなで。

9月29日(火)
気になっていた人からのメールを深夜に読み、疲労困憊していた日々を察したものの一安心。私のこの半年にも区切りをつけられそうな気がした。後戻りのできない人生で、言った、言わない、の程度のことだから。

9月28日(月)
私大医学部の学費が6年間で4、5千万円から、さらに値上げの動きとの記事あり。それでも医者がほとんど自分の子供を医者にするのは適性とか志からではなく儲かるからだと医者の友人が言っていた。きっと本当。

9月27日(日)
森美術館に行きたい。そう思いつつみた日曜美術館での作家達の生の声が貴重だった。李禹煥「専門家は専門について話せ」。杉本博司「写るはずのないものを写す」。宮島達男「時間はない。記憶を繋ぐ数字・・」etc.

9月26日(土)
マクファーレンが紀行文中で書いているエリック・ラヴィリアスの風景画と、いま読み耽っている『ネガティブ・ケイパビリティ』(帚木蓬生著)の「宙吊りの状態」という言葉がぴったり合って胸に落ちている。

9月25日(金)
近美で『ピーター・ドイグ展』。現代の大きな絵、と言うだけでは単純だけれど、そこがよかった。絵を描くのが好きで、描きたい物語があった、その爽やかさが心地よい。4階の窓辺で雨に濡れた皇居と堀を暫く眺める。

9月24日(木)
姉の昔ながらの細くて小さな字で書かれた葉書が届いた。私はガサツな字しか書けないので、いつもその小ささに感心していたのだけれど、字の力はなくなっていた。文は整っている。私が妹だと分かっているかなあ。

9月23日(水)
池澤夏樹の朝刊連載小説『また会う日まで』は、海軍で海図製作をする実在の人を主人公とするもの。いま海軍兵学校のあたりで三角法の授業などが面白い。「知識は甘露」と思わせるのは事実に即した話運びだからか。

9月22日(火・祝)
メールでだけ話を交わしていた人からぱたっと返信が途絶えている。どうしよう。病気ではありませんように、と祈りつつ、もうひとり、病気が気になる人と電話で1時間以上話す。この年になると「無事」が何より大切。

9月21日(月)
昨夜TVでマシューボーンの「白鳥の湖」を懐かしくみていたら、その後エイフマン・バレエの「ロダン」。人の悩み、苦しみは凝視できないのに振付と肉体があまりに見事で3時まで。次がチェロの無伴奏コダーイ。朝!

9月20日(日)
山本茜制作の截金硝子作品が美を溢れさせていた。池野晃将は数字を散りばめた漆工芸作品で別世界に心を沈めてくれた。何千とある数字は貝を一つ一つ手で薄く磨いたものだという。『和巧絶佳展』。パ汐留美術館で。

9月19日(土)
忘れないうちに欲しいものをMに伝えたのは、ほんの数日前だったのに・・ニューヨークに注文してくれて、今日もう届いた! MOMAから取り寄せたフリーダ・カーロのジグソー1000ピース「Viva la vida」。生きていこう。

9月18日(金)
偶然手に取った社報が1986年のものだった。一人で全米5都市9社を周り約60人と会って、ANSの記事について現地の要望を聞いた報告を書いていた。でも留守番をしているMがいつも心配だった。それで精一杯だった。

9月17日(木)
涼しく、外出日和ではあったのだけれど映画を家でみたくてグズグズしていた。『ラ・ストラーダ(道)』。F・フェリーニ監督の1954年作。切ないジェルソミーナのメロディー、見つめる海、薪が燃える火・・・

9月16日(水)
大相撲秋場所。栃ノ心が黒星スタートで、江戸川区出身で新入幕の翔猿が連勝中。相撲は知らないけれど化粧回しに目を凝らす。織や刺繍の贅の見本のようなもので、あの「きもの展」にも出してよかったのでは。

9月15日(火)
フランソワーズ・サガンは私よりたった3年早い生まれの同時代人だった。でも没してもう10年以上経つ。膨大な数のインタビューを自らまとめた『愛と同じくらい孤独』を読み直した。率直で深い熱さが心に沁みる。

9月14日(月)
N響もいい。定期公演も全てキャンセルになった中で、指揮者を替え曲目を変えて休憩なし1時間の演奏会にした。昨13日夜には前夜行なった演奏会を全てTV放映。山田和樹指揮で武満徹の『レクイエム』で始まった。

9月13日(日)
大坂なおみ選手が全米オープンで優勝! 爽やかな強さを見せてくれた。入場時に、警官に撃たれた黒人の名前が白字で書いてある黒いマスクをつけて意思表示したのもよかった。全体的にスポーツが戻リつつある。

9月12日(土)
天人にアガサ・クリスティーと文通をしていた、年齢も住まいも私と近い人が紹介されていた。作家の没年は1976年。60数冊を全て読み終わったのはいつ頃か、その初期に著者に手紙を書くなんて思いつかなかった。

9月11日(金)
『レオン』を好きなのは、ストーリーが最後の最後までしっかり書かれているからだと思う。これからが始まりというような終わり方は落ち着かない。全くの嘘としか聞こえない話が真実だという部分がとくに好き。

9月10日(木)
午後、新宿に行く前の冷たいラタトゥイユには熱いコーヒーとガーリックトーストがいい。後でマスクするから大丈夫。帰りのメトロの中でジョージア語のテキストを口を動かして読む。マスクしているから大丈夫。

9月9日(水)
今日と明日、郵送式も含めて3クラスあるのは嬉しい。あとどれだけ続けられるか分からないけれど、知っていることを伝えよう。ジュリアン・フェロウズもロバート・マクファーレンも手強い個所だからこそ遣り甲斐あり。

9月8日(火)
ばかじゃない? と思うのは、自分についても。大切な人が2年半前に亡くなっていたことを最近知り、ずっと、その人の一生と自分の来し方とを辿っている。あなたは素敵に生きてきたと言ってくれる友人はいるけれど。

9月7日(月)
家にいるとTVをよくつけているが、どのニュース番組も全く精彩がない。コロナ、次期総裁、台風の扱いが全部同じで、解説どころかつまらない感想ばかり。強風の中継で「信号機も揺れています!」ばかじゃない?

9月6日(日)
台風10号が最大級の猛威で九州を襲っている。今夜には福岡も暴風雨にさらされる予報が出ていて、Mも万全の準備はしたと電話で聞く。停電になるかも知れないし、スーパーの棚が空っぽになったそうだ。心配。

9月5日(土)
新しいラップトレイが気になった。三越の英国展にモリスの図柄のが出ていてネットでも買える。でも改めてMから30年ほど前に贈られて手元にあるのを見ると、傷だらけだけれど馴染んでいて心地いい。これが最高。

9月4日(金)
牧南さんがマルグリット・デュラスの『ラマン』に私を思う一文があったと教えてくれた。デュラスは7冊ほど棚のいい所に揃えてある。読みたい。でもサガンを読み始めたので、その後何かを挟んでデュラスにしよう。

9月3日(木)
白黒映画は気持ちに優しい。懐かしいピエトロ・ジェルミ監督の『鉄道員』をTVでみる。ブオノ・ナターレ!と祝う声が響いて始まり、最後もクリスマスの夜。幼い息子サンドリーニの科白で終始することは忘れていた。

9月2日(水)
廊下の両側、ベランダに面した部屋の壁一面、寝室・・・作り付けの本棚に溢れる本を眺めていて、ふと思った。ここにある本を読もう。過去の感情に今を重ねてもいい。読んでいないものだってある。図録だって。

9月1日(火)
「寂しさにたへたる人のまたもあれな いほりならべむ冬の山里」西行。バースデーカードには似合わないと受け取った時は思った。返歌「嘆けとて月やはものを思はする かこち顔なるわが涙かな」西行