98字日記ー2016年5月

5月31日(火)
熊本では8千人以上がまだ避難生活をしている。本当に日々きついだろうと察してあまりある。でも重なるように思い出すのは戦後の家がない人たち、道端で寝る孤児たち、食べ物がない一般家庭だ。戦争という人災で。

5月30日(月)
27日にバラク・オバマ米大統領が現役としては初めて広島を、原爆資料館を訪れた。「実は折り鶴を持ってきました・・私が作りました」の元の言葉を、米各紙も記者が入館できなかったのでクォートでは載せていない。

5月29日(日)

日曜日は早く起きて落語を聴く。桂文珍と五木寛之の対談では、最近の地獄の話つながりで文珍の「地獄百景」に興味が湧いた。五木寛之の親鸞は12世紀のルスタヴェリと重なって、それぞれの哲学と愛のテーマを想う。

5月28日(土)

『豹皮の騎士』についてゴギナシュヴィリ先生の講義を聴く。もっとも先生は虎皮という説。12世紀にショタ・ルスタヴェリが謳いあげた叙事詩のジョージア語が今もほとんど変わらず使われていることは奇跡のよう。

5月27日(金)
昼間の1時間半、コーヒーで生のジャズ演奏を聴く。誰も誘いあぐね、一人で。それも気持ちよかった。高野猶幸のサックス、皆川太一のギター、清水昭好のウッドベースは確かな響き。千円の入場料なので聴衆がほしい。

5月26日(木)
象のはな子さんが死んだ。今日の午後3時4分、井の頭公園で。69歳で国内最高齢だった。コンクリートの部屋で可哀想だという非難が公園に届いていたが、草が風にそよいでもビクッとする神経質なはな子さんだった。

5月25日(水)
カート・ヴォネガットの短編を幾つか読む。The Nice Little Peopleを課題の候補として考えたけれど、少し辛い。心が晴れる作品でないのは、みんなで一緒にやるうえで気が進まなく、それにしても何て飛んだ作品!

5月24日(火)
タンギョウって何? という質問あり。読んでくれて、ありがとう。下町に縁のない人は知らないのかな。タンギョウとは湯麺と餃子をいっしょに食べること。来々軒では餃子だけの注文に麺抜きの野菜をつけてくれる。

5月23日(月)
最近、来々軒のタンギョウが有名だ。私は餃子だけが目当てで、東陽三丁目でバスを降りたところにあるのが便利。近くの宝家もいい。理想は行きではなく帰りに寄ってビール一杯と、なのに道の反対側になってしまう。

5月22日(日)
50年番組『笑点』の司会者が歌丸師匠から昇太師匠に。がんばれ。複雑骨折して手術した腕を吊ってMと下北沢の独演会に行ったら、場内で私服で客を迎えていた昇太さんが「どうしたのですか」と心配してくれた。

5月21日(土)
タックスヘイブンによって失われる税収は5兆円という試算がある。介護士や保育士の給料を企業勤務並みに引き上げることなどすぐできる額。根底にあるのは自分だけが得をしたいというケチ精神で、モラルなさすぎ。

5月20日(金)
易しい本を読むことでジョージア語を保っているつもりでいたけれど、やはり無理。外国語は継続していないと、あっという間に忘れてしまう。独学できるレベルではないのを自覚して、隔週のクラスに通うことにする。

5月19日(木)
フローベールの『十一月』を笠間直穂子訳で読みはじめる。数行で、若く鋭い感性が迸る、リズム感のある日本語に惹きつけられる。好きなフランスの作品を「今」のことばで読める歓び。『サランボー(抄)』がつづく。

5月18日(水)
朝刊『耕論』の「被災地に仕事を」と題した二人の話を読みふける。避難者に配る弁当を地元のビジネスにした新潟の仕出し店。編み物の雑貨づくりで、主婦たちに支援されるだけでない日々をもたらした女性事業主。

5月17日(火)
久しぶりに雨らしい雨の日。緑が気持ちよさそうに息づき、傘をさして歩くのもわるくない。7階の部屋から眺める隅田川は雨を受けとめて水面にかすかな波を漲らせている。勝どき橋を渡る人影も少ない。ひとり静か。

5月16日(月)
20数年前、倫敦公演での言葉の苦労について私の質問に「あっちの役者はすべてに説明を求めます。でも納得すれば門に立つだけの役でも見事に衛士の顔をします」と語られた蜷川幸雄さん、80歳、今日が告別式。

5月15日(日)
神楽坂のアユミギャラリーは昭和風の家屋で、古木の床や柱をいかした永松ファミリー展は温かい。最年長の菅原都々子さんにもお会いし、絵手紙を拝見し、素子さんの作品である木彫のお地蔵さまを嬉しく手で包んだ。

5月14日(土)
放送作家の鈴木おさむさんが、10年に一度、テレビの空気を変える番組があり、そのひとつが「トリビアの泉」だったという。雑学に光をあてて驚きに変え、驚きはへえ~という言葉で表される。胸に響くものあり。

5月13日(金)
菅田将暉はすてきな役者だ。cm で、あの軽妙な鬼と暗い男子高校生と美しい女学生を一人で演じている。表情の豊かさが抜群。本人はダウンタウンが好きで、その想いを書き泣きながら読んだレターがまたよかった。

5月12日(木)
若冲は開会と同時にみるべきだった。すごい行列で数時間待ちとか。諦めよう。半分くらいは見ているし。日々、限られた時間のなかで納得いく選択をバチっとするのは難しい。なんとなく出来ることを、という流れで。

5月11日(水)
池澤夏樹が、「余震」という言葉は軽すぎる、「残震」とか「続震」とか、濁音の入った強い響きの言葉にすべきだったと書いている。すばらしい言葉感覚だと思う。翻訳でも単語訳に濁音、清音まで意識したいものだ。

5月10日(火)
入院している大勢の子どもたちに見せたいと、毎年5月5日、花火師の多々納さんはポケットマネーで、病院の窓から見える川岸で花火をあげてきた。もう10年になるという。島根大学医学部病院前の光景をTVでみた。

5月9日(月)
映画のパンフレット評というのを勝手に書いていて、誰も読んでくれる人はいないのに書き続けるのはなかなか大変。このところ10本くらい机の上にパンフレットがたまっている。でも『スポットライト』はすぐにも。

5月8日(日)
シュールなものが好きで、最近みつけた中では俵屋宗達(伝)の『月に秋草図屏風』。これまでさまざまに表現された月を見て、憧れを深めてきたけれど、こんなに変な月を見たのは初めてだった。おそるべし、江戸時代。

5月7日(土)

翻訳塾開始。課題はヒエロニムス・ボス没後五百年記念回顧展の記事。現代のボスはクエンティン・タランティーノかもと思い、最新作『ヘイトフルエイト』をみた感想をMから聞いて心動かされつつ、みる勇気はない。

5月6日(金)

「こどもの日、大人ばかりが遊んでる」という川柳あり。日本の子どもは6人に1人が貧困層にあたるという実態に国や地方や市区の行政は具体的に何をしているのかな?  子どもの数は35年連続で減りつづけている。

5月3日~5日(連休)
観た映画は『スポットライト』『くちびるに歌を』。展覧会は『美の祝典 やまと絵の四季』『シャルル・フレジェ展(YOKAINOSHIMA)』。気になる人たちへの電話と葉書。友と語らいつつ「すし好」カウンターでひかりものなど。日比谷公園「松本楼」で珈琲とアップルパイを見事な銀杏の大木に茂る葉を愛でながら。娘と語らいつつ「明月庵田中屋」で野菜天せいろ、焼いた若竹など。あとは掃除と本とジョージア語とぬりえ。

5月2日(月)
初めて好きなぬり絵を見つけたので、トンボの色鉛筆36本入りを買う。台湾のエミリー・シェンの手になるアリスはちょっと東洋的なのだ。台湾語では読めないし入手不可能なので、アメリカ版を取り寄せた。楽しみ。

5月1日(日)
「取材の別れぎわ、父親の上村好男さん(81)は私に『娘の智子と同じ年なんですよねえ』と2度言って涙ぐまれた。高度成長の陰画ともいえる、言われのない理不尽を彼女は背負わされた。それが私ではなかったのは、ただ偶然でしかない。」(水俣病の公式確認から60年目の今日・朝日新聞から・福島申二編集委員)