98字日記ー2015年2月

2月28日(土)
今日は手紙の返事を書いたり、ためてあることの始末をするつもりでいて、実際には予定の半分も終わらず、でもそれはよくある状態で、きのう武さんがつけていたブローチが素敵だったなどと考えているうちに過ぎる。

2月27日(金)
林のり子さんの『ブナ帯ワンダーランド』のオープニングできのうに続いて夜の外出。もう大丈夫、だと思う。久しぶり、と挨拶する人が次々いて、考えてみればのり子さんを通じて知った人ばかり、だとまた思う。

2月26日(木)

いくつかの秘かな再スタート。都庁前駅の長い階段を交互に左右の足で一段ずつ降りる。夜の演奏会に身を置くのもロビーの低いベンチから立ち上がるのも、そばに誰かがいてくれたおかげ。高橋悠治さんのバッハは宝。

2月25日(水)
肺炎で入院するって、よほど重いということか。風邪をひいてもすぐ、気管支炎とか肺炎になりかかっている、といわれたりする。でも菌が肺に入るのは怖いこと。どうか前田さんの胸がはやく穏やかになりますように。

2月24日(火)
夕方といわず4時過ぎにはもう行列が店の前にできている。立ち料亭「かねます」は健在だ。でも築地のてんぷら「いしい」はおじさんが亡くなって閉店していた。あの天丼、懐かしい!そうだ、「岸田屋」にもいこう。

2月23日(月)
朝から米アカデミー賞授賞式のライブ。レディー・ガガのSound of Musicが歌とはこういうものと心に響き、白いドレスも完璧でスタンディング・オベーション。しかも、そこに出てきた作曲賞のプレゼンターがジュリー・アンドリュース!

2月22日(日)
ボランティアというほどのことはない地元での気持ちのいい助け合い活動に区からわずかな資金援助がある。でも会長が飛び回る交通費や支援が必要な人たちを招いての会合での茶菓代には使えないという。これも政治。

2月21日(土)
先月出た『洋子さんの本棚』をMから回してもらい、一気に読む。なにしろ小川洋子と平松洋子という、まったく結びつけずに愛読してきた二人が本についてとことん語り合っているのだから。二人とも岡山生まれの50代。

2月20日(金)
気持ちに深くもぐりこんでくることは言葉にしない。大切なことも幾つか心に突き刺さっているけれど、表には出さない。そんなことを思いながら久しぶりにシチューをつくる。牛乳の白さがこっくりと懐かしく温かい。

2月19日(木)
いつも通る径のはたの直径150センチほどの鉢に四季それぞれに小さな薔薇が咲き、とても慰められる。ところが、今日は葉牡丹とパンジーが紫と黄色の世界をつくっていた。そうか、自然の妙技ではなかったのね。

2月18日(水)

松家仁之『優雅なのかどうか、わからない』にファブリティウスの「ゴールドフィンチ」が登場した背景にあったのはドナ・タートの小説か、マウリッツハイス美術館か? 課題にしているものとの思いがけない出会い。

2月17日(火)

雪がちらつく中を勝どきへ。空から隅田川に雪が舞い降りる光景をたのしみにしていたのに、着く頃には止んでしまった。明るい灰色をした川面はひとつの粘着性のある大きなゼリーのように、ゆらゆらと揺れている。

2月16日(月)

ゴーリーの特集をしていたので月刊誌『モエ』を初めて買う。特集はよく出来ていて情報も多い。甥の言葉に、エドワードはマッシュポテトなどすべてを青くした食事をつくってくれたとあった。雑誌の他の部分がtoo much

2月15日(日)

ブラームスのピアノ協奏曲第一番と交響曲第一番をドイツのカンマー・フィル、ハーボ・ヤルビ指揮、ラルス・フォークトのピアノでTVで。ホールで聴くのが最高だけれど、家でくつろいで愉しめるのもありがたいこと。

2月14日(土)
最近、具のない、ふんわりとした蒸しパンにこだわっている。アザレーの小さな蒸しパンはチーズや苺を煉り込んであり、紫イモのは見た目が宝石のようだ。セブンイレブンの98円のシンプルで大きな蒸しパンもいい。

2月13日(金)
インフルエンザが流行している。予防策のひとつがこまめに水を飲むこと。翻訳塾では遠慮せず持参の水を飲んでくれるよう始まる前に言うのを忘れてしまった。昨日はここに余裕のないことを書き、反省すること多し。

2月12日(木)
朝5時半から添削。今日の講座の分が終わっていない。一人に1時間は優にかかる。小説だし、たまに分量を多くして大きな流れのなかで細部を、というのは誤算で表面的な訳の細部の直し、直し。翻訳をもっと楽しんで。

2月11日(水・祝)
地下鉄から銀座三越の横に出るエレベーターが便利で、その後バスに乗るまでの地上の短距離移動中に耳に聞こえるのはアジアの国々の言葉。数人で道をふさいでいる楽しそうな人達の言葉もそう。どいて、と言えない。

2月10日(火)
歯医者に10年くらい行っていない気がするし、1本、水が沁みる奥歯があるのを機に全体を診てもらうことにする。かなり長い時間がかかりそう。脚のリハビリはどうするのと聞く自分がいる。どうもしないと答える。

2月9日(月)
夜のバス。優先席の老人の手から袋が落ち、床に中身がぶちまけられた。紙類、タオル、空の丼・・・拾えない。と近くの高齢の女性が膝をついて手伝った。老人はキラキラ光るビーズの長いネックレスを取り出し女性の首にかけた。

2月8日(日)
草間彌生が富士山を描き、アダチ版画の彫師と摺師が版画にするドキュメンタリーを部分的にしか見ていなかったので、今日、念願達成。大画面に赤い絵具をたっぷり含ませた絵筆を直接ぶつけて描いていった絵はさすが!

2月7日(土)
密かにファンとなっている相手は朝日新聞の稲垣えみ子編集委員。今朝の阪神大震災20周年に向けたコラムも心に響く。そう、そうと各行にうなずく。あのアフロヘアで街の食堂に入ると漬け物か何か一品つくという。

2月6日(金)
杉田祐さんが1年以上も前に亡くなっていた。では留守電に入っていた声を聞いて、またかけるとのことだったので放っておいて1年以上?なんの用だったのだろう?その前に話したのはジャカルタで、30年も前。

2月5日(木)
都心でも雪に注意、と気象庁が呼びかけ、テレビは夕方の帰宅時に交通が乱れる恐れありと脅かし、結局は小雨で終わり。踊らされるのがわるいのか、ポレポレ坐での林のり子さんのトークをキャンセルしてしまった。

2月4日(水)
先週、母の誕生日を祝って飾った薔薇が華やかすぎるような。この季節は花選びがむずかしい。水仙と黄色の薔薇との組み合わせは好きだけれど、もうひとつ何かいれるとよかった。葉でごまかさず、薄緑色の花がほしい。

2月3日(火)
給水管改修工事で水回りの物をすべて移動し終わったのは朝、工事の人達が入る5分前。ラックなどは青年が気持ちよく運んでくれた。そこに宅急便が届き、爽やかな女性が重い箱を玄関に置く。働く若い人達って、いい!

2月2日(月)

めずらしく二人の姉と続けさまに長いおしゃべりを電話で。年子の二人から10歳近く下のため大人と子どもといった関係が長く、年取ってきてようやく大人三人になったよう。二枚同じ服のお下がりもなくなったし。

2月1日(日)
古い上衣よ さようなら/さみしい夢よ さようなら/青い山脈 バラ色雲へ/あこがれの 旅の乙女に 鳥も鳴く//雨にむれてる 焼けあとの/名もない花も ふり仰ぐ/青い山脈 かがやく峯の/なつかしさ/見れば涙が またにじむ(西条八十『青い山脈』二番、三番)