98字日記ー2014年3月

3月31日(月)

タモリとビートたけしが『笑っていいとも』が幕を下ろす思い出話の中で、30年前はTVADがやたらと威張っていたと話していた。その頃まで、たしかに怖い人が多かった。タクシー、病院、学校、役所、駅・・・

3月30日(日)

花開いた桜が散ってしまいそうな激しい風と雨。午後からは少し晴れて、白い雲のかたまりがまるで叫んでいるかのように顔をあげて空を走る。中には周りを金色の光で染めた雲もあって、天空のショウのはじまりだ。

3月29日(土)

日本で桜が一番多いのは東京ではないかとタクシーの運転手さんがいう。長距離トラックに乗ったり町中の路地から路地へ配達してきた印象だそうだ。「ふと曲がるとぱーっと咲いていたり小学校には必ずあったりして」

3月28日(金)

疲れているからか、感覚が鈍い。考えることより、感じることより、話すことより、鈍さは動きに出る。不思議。でも助けてくれる人たちがいるおかげで辛くはない。あるいは辛さを感じないほど鈍くなっているのかしら。

3月27日(木)

この間の早朝、パソコンで祝電を打った。『聖霊舞踏』という言葉を入れて仕上げ、孔雀の表紙を選び、文字の形も確かめて、そして最後の支払い方法で間違った。届かずに空に浮いている。手書きにしよう、やっぱり。

3月26日(水)

横浜の帰り、どこかの事故で品川までしか京急が動かず、JRで浜松町まで来てタクシーで。汐留にかけて大工事現場の横を通る。線路や道路の拡張と建設らしい。がんばれば歩ける距離を名高い渋滞の中、ゆっくりと。

3月25日(火)

朝日新聞の半年間のモニターも終わったし、自治会の班長も今夜の防犯見回りでほぼ終わり。大きな懐中電灯で足元を照らしておしゃべりしながら黄色の草花が群れて咲いているのを見つける。あとは仕事場の引越し!

3月24日(月)

雑然とした仕事場から静かな自宅に戻って、ああ、いいなあと思う。両方が、いいなあ、なのだ。とくに今日は三人の友人たちが仕事場の本の雪崩を山にしてくれて一歩進んだ感じ。もっとも山の高さが改めて気になる。

3月23日(日)

昔のものを整理していると、朝日ウイークリー時代が本当に懐かしく、同じ時間を共にした編集部員の一人ひとりが今、個性をいかして充実した日々を送っていますようにと祈るおもいになる。夭折した数人への想いと。

3月22日(土)

琴欧洲が引退した。202センチの姿を土俵上で見ることは、もうできず、華やかさがひとつ減ってしまった。10日目に白鵬に負けたのが最後。負けて負けて終わり、というのがとてもよかった。ブルガリアの31歳。

3月21日(金・祝日)

冷凍食品で気に入っているのは南瓜とブルーベリー。南瓜は電子レンジに5分かけ、カルピス特撰バターと粗塩をほんの少し、のせる。ブルーベリーはそのまま。はじめは凍っているのが柔らかくなっていく。日本酒に。

3月20日(木)

内澤旬子さんの『捨てる女』を読み直した。まさに今の私にとっての手引き。でも最後に捨てすぎた寂さが書かれているではないか。私は好きな本の背が目の先になければ落ち着けない。どうする? 本たち、あなたたち。

3月19日(水)

地下鉄の中で最近あまり見ない「すごくお年寄り」が向いに座っていた。西洋魔女風の痩せたお婆さんは居眠りし始め、隣の屈強な若いアメリカ人(多分)の男性が凭れかかってくる枝のような身体を肩で支えていた。

3月18日(火)

森岡書店の森岡さんが仕事場を最高の場所と言ってくれた。たしかにこの景色にずっと支えられてきたと思う。今日は風が強くて川を小さな白波がせっせ、せっせと進んでいく。川上に向かってがんばって泳いでいる。

3月17日(月)

誰かに贈るために買ったのに何となくあげそびれて自分の手元にある物は、結局、見るたびにその人を思い出す。優柔不断な自分がそこにいる。陶器の3センチほどの女王様は腕と脚が動く。光浦靖子さんを思い出す

3月16日(日)

仕事場で気に入っていた鉄製のパイプと帆布と革紐が優しい曲線を描いていたパーティション。次の部屋では必要ないため藤居さんが取りにきてくれて、大丈夫よ、と軽々と車まで運んでくれた。ほれぼれと頼もしく。

3月15日(土)

手放せない本を仕事場から自宅に運んでいる。今日は服部之総の随筆集『微視の史学』(1953年発行)。村上春樹訳『グレート・ギャツビー』と、並べておくために『ゼルダ・フィッツジェラルド全作品』も。美しい。

3月14日(金)

笠井叡さんが芸術選奨を受けたのは嬉しい。(賞金は0がもうひとつあるべき。)対象となった「日本国憲法を踊る」は横浜で踊られただけなので再演が待たれる。DVDでみた吉増剛造とのコラボは激しい静寂だったし。

3月13日(木)

ブエノスアイレスにはフロイト地区と呼ばれる一角があり精神分析医のクリニックが軒を連ねているという。行くとしたら私の相談内容はなに? 思いつかないことが呑気さの証拠かもしれないが、悩みがないわけではない。

3月12日(水)

咳は治まったと思っていたのに、授業で少し大きな声を出すと途端に喉がおかしくなった。手拭いを口に当て水をたえず飲み、とても聞き苦しかったに違いない。空気が乾燥していたからと慰めてもらったけれど。

3月11日(火)

地震と津波が襲った3年前のあの日、たまたま家にいて惨事をテレビの画面で見つめ、Mと連絡が取れなくて電話をかけつづけ、家のすぐ外の道路でも液状化現象となっていることなど知らずにいた。慟哭に満ちた日。

3月10日(月)

最近、東京タワーはオリンピックや何かを記念して彩られることが多かったので、いつものオレンジと金の冬色が新鮮に見える。と思っていたら6時過ぎ、それが消えて、真っ暗。これからまた色をまとうのだろうか。

3月9日(日)

金沢の和菓子といえば我が家はいつも森八の長生殿だった。それと餡を包んだ練り菓子はなんといったのだったか。柴舟はおせんべいだし。今年の冬は漆器のお重を金沢の店で調達したい。重厚で清らかな艶の赤か黒を。

3月8日(土)

風邪が抜けなくて力が出ず、音楽会が重なっているのにパスせざるを得ない。思いがけないときに咳がこみ上げてくる。何をするにも時間がかかり、その重さはデジャヴ。でも今朝のことかと思うと、数年前のことで。

3月7日(金)

朝の連ドラ『ごちそうさん』の主人公め以子が戦時中に着ている上下揃いのもんぺ姿がきれい。着物は筒袖。つややかな薄青色の濃淡が細かな格子柄の陰影となっている。今、なくなったのが惜しいファッションでは。

3月6日(木)

ようやく仕事場の片付けを始めた。本をもらいに来てくれるという有難い人も3人になったし、多分なんとかなりそう。同じマンションの中での移動だから楽なはずで、これから積もった紙類をなんとか整理していこう。

3月5日(水)

喜多川歌麿の幻の肉筆画『深川の雪』が見つかり修復されたという。『品川の月』も『吉原の花』も明治時代に栃木からパリに渡りアメリカにある。『雪』は日本人が買い戻したまま行方しれずだった。でどこで見つかったの?

3月4日(火)

久しぶりの落語は、トリが柳家権太楼の「文七元結」。何度きいてもいい噺だし、切り替えがうまかった。喬太郎は「うどん屋」で、本当においしそうにうどんを食べる。具は何だったのか、歯に挟まったものもあった。

3月3日(月)

アカデミー賞授賞式の中継は、思いがけない往年のスター達の登場に目を見張る。キム・ノヴァック!あの透き通るような怖さが、柔らかくなっていた。シドニー・ポワティエ!歩くのも話すのもゆっくりになっていた。

3月1日(土)

悼み、嘆き、別れねばならないひとがこんなにも多くいるとき/悲しみをひとりでなく大勢と分かち合い/ひとつの時代全体の批判に/わが良心と苦悩の弱々しさをさらすことになったとき/だれについて語ろうか、われわれはW.H.オーデン『ジクムント・フロイトを偲んで』冒頭私訳)