98字日記ー2012年10月

10月31日(水) 

ハロウィンは本で知るだけ。子どもたちがローソクやお菓子を貰って歩く「ローソクもらい」という行事が七夕に北海道であると教えられた。札幌の歌「ローソク出せよ/出さないと、かっちゃくぞ/おまけに噛みつくぞ」

10月30日(火)

久しぶりに熱を出す。ひたすら静かにしていることで通過してくれるのを待つ。いつものように素足でいて寒気を覚え、プレゼントの毛の靴下を履いたら、なんて暖かなこと。こういう低迷も全く知らずにいるよりいい。

10月29日(月) 

細々したことを片付けるので一日が過ぎた。会合への出欠の返事、チケットの手配、支払い、問い合わせのメールへの返信、と切りなくつづき、とつぜん大事なことを思い出したりもする。鉢植えのコスモスも元気がない。

10月28日(日)

豪雨の予報にしばられて、家にいた。大切な電話を幾つかゆっくりとできたからいいものの、美術展に行きたかったという飢餓感がある。作品に触れること、作品のある空間に身を置くこと、その時間。雨は降らなかった。

 10月27日(土) 

朝の熱いお味噌汁がおいしい。石井光太責任編集『ノンフィクション新世紀』を1ヶ月くらい前から手元に置いて、あちらこちらを読み、感想はとにかく、この本を出してくれてありがとう。まだしばらくは読み終えない。

10月26日(金)

秋の空を飛行船が横切る。ジャズのCDをはずし、ユンディ・リとジャン・マルク・ルイサダで、気にならないショパンをかけておく。一日中パソコンに向かい、目を上げるごとに雲と水の壮麗な響き合いに、ああ、と呟く。

10月25日(木)

晴海通りに沿った歩道で若い外国人男性が踊るように跳ねながら両手を挙げて笑っていた。目の先には晴海方面に向かう大型バスがいて、窓の中から大勢の中学生たちが嬉しそうに手を振っている。確かなふれあいの瞬間。

10月24日(水) 

一昨日、久しぶりに行った寄席を、今日、電車の中で一つ一つ思い返した。初めてあまり面白く思わなかったのは、なぜだろうと考えた。聞いたことのある演目ばかりというのは理由にならない。巧い人たちだったのに。

10月23日(火) 

篠突く雨という言葉を思い出す日だった。黒い雲が厚くかぶさり、月に一度、四人の友人たちが来てくれる時だったのを幸い、一歩も外に出ず、涼しい大気を部屋に通して気持ちよく過ごす。今日はシナモンティー。

10月22日(月)

Mは我が子ながら綺麗な人だ。十代の頃、ピアノの発表会などで全部終わった時によく、その日初めて会った小さな子がMのスカートを握って、別れたくないと泣いた。道ですれ違った犬が、ハッと振り向く人でもある。

10月21日(日)

朝5時はまだ暗い。新聞を読み終わって6時近く、辺りがすっかり明るくなった頃、熱い紅茶をマグカップにいれてベランダに立つと、樹々も目を覚まして枝を精一杯伸ばしてくれる。音はなく、ひとり緑に包まれる。

10月20日(土)
9月末に東京湾に「青潮」が発生しているのを、電車の中から葛西臨海水族園の飼育展示係三森亮介さんが見て、急いで水族園に引き返し、魚たちが波打ち際で大量に死んでいるのに対処した話を読む。TokyoZooNet メルマガで。

10月19日(金)
13日に丸谷才一が亡くなった。5月22日に吉田秀和が亡くなったとき、朝日新聞に追悼文で「われわれクラシック音楽の愛好者は彼によって創られた」と書いた人。今度は池澤夏樹がいい言葉を贈ってくれるだろう。

10月18日(木)

「踊るペンギンレスキュー隊」を家で観る。動物たちの食うか食われるかはアニメであっても好きではないけれど、歌と踊りと効果音が気持ちいいのだ。「ペングイン」とアザラシとパフィンとオキアミが輝いている。

 10月17日(水) 

サッカーでフランスに勝った日本チームのGK川島選手に腕が4本ある合成写真を映し「福島(原発)の影響」と言った仏国営テレビ。冗談にしてはひどいと思いつつ、原発は恐くないと言うのも結局は似たり寄ったりでは。

10月16日(火)

調べたいことがあって、ニューヨークに行くと寄っていた子どもの本屋さん Books of Wonderのサイトを久しぶりに開いた。前より賑々しくなっているけれど、とにかく健在なのが嬉しい。今も店の扉は緑色かしら。

10月15日(月) 

センスあるGoogle のロゴには、よく目を見張らされる。今日はまた格別。現れたシーンの右下にあるタブをクリックしていくとウィンザー・マッケイの「リトル・ニモ」が展開する。出版107年記念とか。わくわく。

10月14日(日)

深川不動尊前にある深川伊勢屋のお団子、おはぎ、大福は味も形もずっと変わらない。創業明治四十年の店。今日はあさりの入った炊き込みご飯のおにぎりを昼食に買う。近くに抜群においしい大学芋の店もあったはず。

10月13日(土)

エクセルシオールでコーヒーを飲みながら、入り口の先の広い歩道を通る人たちをぼんやりと眺めていたら、ベネチアの広場で同じように一人で濃いデミタスを前にしていたときの気分になった。東京にいるのがいい。

10月12日(金)

司馬遼太郎が、アメリカ初訪問(1986年)で、ジョン・スタインベックを片手に歩いて書いた『アメリカ素描』が面白くて、つい読みふける。アメリカにはアメリカ料理店がないって、たしかに言われてみれば・・・。

10月11日(木) 

ヤバイ、なんて言葉は使いたくないが、これほど我が身ににぴったり合う言葉もない。虎屋の最中がおいしくて、こし餡入りと白餡入りと、尋常でない数をぱくぱくといただく。とくに水、木の講座が終わった後は「ヤバイ」。

 10月10日(水) 

暑い夏が長く、東京タワーがオレンジ・金色の冬色をまとっていることに気持ちが向かなかった。冷たい湿気を含んだ濃灰色の雲を背に硬質な温かさを放っている。でもなにか寂しく、同じ色の屋形船が通り、安堵する。

10月9日(火)

世界初のiPS細胞作製で京都大の山中伸弥教授がノーベル生理学・医学賞を受賞。数ヶ月前までまったく縁のない世界だったのに、そこに携わっている研究者と親しく話したことで身近に感じられるのが不思議で素敵。

10月8日(月)

シューベルティアーデ。いい響き。32歳になる前に生涯を終えたシューベルトが歌曲を700曲以上作曲して世に残せたのは、こういう友情があってのこと。午後の野口玲子リサイタルで200年前と今とが一直線上に。

10月7日(日) 

「金の猿」は井の頭自然文化園の入り口にあり、とくに吉祥寺周辺に住む家族が多い親戚一同が日曜日の昼食に集まるには気持ちのいい場所だった。大学1年生の男の子が床に座って能のひと節を謡い、八十八歳を祝う。

10月6日(土) 

「小さな職人たち」は、藤田嗣治が15センチ四方のタイル画の体裁で描いた油彩の作品。38点すべてがポーラ美術館所蔵で、Mがくれた図録と来年のカレンダーで初めて熟視している。夢中で。これこそレオナール!

10月5日(金)

よく歩く月島の、しかも古書店が舞台なので『緑金書房午睡譚』を楽しく読む。篠田真由美著。取り寄せたのも古書店からで磐田市から送られてきたのは新本だった。便利だけれど、書店に行くことも決して忘れるまい。

10月4日(木) 

それにしても、もう少し時間がほしい。細切れにぼんやりしている時はあるのに、まとまったことが出来ない。でも生きてきている間ずっとそうだったような気もする。もしかすると、そう思いこむ性分なのかもしれず。

10月3日(水)

新期に、やめる人がいれば席もこちらの気持ちもぽっかりと空き、その代わり新たな顔がみられれば嬉しく、そうやって全体の人数が少しずつ減り、求められる時間が少なくなるのは、別のことをする時間が増えること。

10月2日(火) 

朝早く家で映画を観ると、いい作品であればあるほど一日、気持ちが落ち着かない。ヴィスコンティの『熊座の淡き星影』(1965年)はギリシャ悲劇『エレクトラ』をモチーフに、白黒の画面が際立って美しかった。

10月1日(月)

東小金井から東京駅に。1914年開業時へ復元された駅舍での営業初日だった。ドーム天井は華麗で、都05のバス停から見る横長の姿も落ち着いた煉瓦で引き立ち、美しい。またお弁当を買いにこよう、15分だから。