98字日記ー2019年12月

12月31日(火)
大晦日には1年を振り返るべき? せっせと生きてきただけで、あれをした、これをしたと書くべきものがない。それより「孤独のグルメ京都の大晦日篇」が最高。演出でありながら実際に全てを食べる美しさがいい。

12月30日(月)
声欄に田中真紀子元衆院議員の投書。教員免許取得要件に介護体験があってよかったという20日の大学生の投書に感動したもの。この議員立法に苦労したという。政治家には、まさにこの気持ちを目標としてほしい・・・

12月29日(日)
姉にあげれば読みたくなる本はあるかと書棚を眺めると自分が読み直したい本ばかり。読み通してない本も数百冊ある。結局ちいさな花束を持っていき、三鷹から西葛西まで各駅停車でぐっすり眠りながら帰ってくる。

12月28日(土)
香港デモを気にしつつ、それにしては香港の人を知らなすぎるので2年前に翻訳が出て話題となった陳浩基『13・67』を読んでいる。短編集、警察物、ミステリ。とにかく難しい。人名が頭に入ってこない。でも面白い。

12月27日(金)
NHKの井上陽水50周年SPにぼーっとなる。『傘がない』が1972年の、『氷の世界』が73年のリリースだったなんて。「リンゴ売りの真似をして・・毎日 吹雪 吹雪 氷の世界」。あの頃が暗かったわけでは全くなく。

12月26日(木)
年賀状。昔は手作りで、そのうち丸善に頼み、次に高島屋になり、今年は例年のシリーズがなくなって郵便局に替えた。企業としては情ないけれど町の郵便局は大切。相談にのってくれて手を貸してくれて出来上がった。

12月25日(水)
予定のない幸せな日の第一日目は、延ばしていた苦手な書類書き。大したことを書くわけではなく、区役所に出した元の書類の訂正の承諾。かように書類を書くのはきらいで緊張する。やっと仕上げてポストに入れに。

12月24日(火)
今年最後のクラスは家で。用意してきてもらったケーキと紅茶と共に。この時期に風邪を引いていず、したいことは山程あり、一昨日戻ってきたジョージア語の添削もスレセリ先生からこの調子で続けていいとの伝言付き。

12月23日(月)
課題の記事にエジプトの英国に対する文化遺物返却要求の一文があり、ギリシャのメリナ・メルクーリの話をした。それで思い出し、アンゲロプロス監督の『旅芸人の記録』のパンフレットを読む。心が揺さぶられた。

12月22日(日)
この3ヶ月、病院やリハビリを巡っていた91歳の長姉は、今日、介護付き老人ホームという安定した住処に移った。個室の大窓は並木道に面していて、木はおそらく桜。春が楽しみ。ホールで一緒にトーンベルを鳴らした。

12月21日(土)
年をとると、ただじっとしていることは何の苦でもなく気持ち良いことなのだと私は分からず、姉にも何がしたい? 好きなことは? といつも聞いていた。明日からの住処が、じっとしていて楽しい処でありますように。

12月20日(金)
今年中の講座は新宿で昨日終わり、横浜で明日終わる。あとは火曜日だけ。なぜか後半、気持ちに余裕がなく年によっては入れ込んで作るメッセージを考えられなかった。せめて明日返す訳に緑の木のシールをつけよう。

12月19日(木)
新潟県の中学生が学校の教員用サーバーにアクセス、自分の成績を高く改ざんしていた。神奈川県庁は個人情報満載の行政データをずさんに処理してネットで流出させた。氷山の一角かも。正せるのはモラル? 技術?

12月18日(水)
カードを貰うとうれしい。12月に入った時、私も何人かに送る予定だった。でももう半ばを過ぎていて、きっとすぐにクリスマスになり、そうすると1週間足らずで新年。毎年、同じ感慨にふけって焦る、成長のない私。

12月17日(火)
大学共通テストで記述式問題の見送り決定。有識者会議とか教育委員会とかほぼ素人の集団(自分でしていたから分かる)に教育の基盤を預けてはだめ。豊かな経験と研究と学会などでの切磋琢磨を経た叡智に頼みたい。

12月16日(月)
ケン・ローチ監督『家族を想うとき Sorry We Missed You』をみる。馴染みのある現代がジンと迫る。館を出ると有楽町の電飾が眩しすぎた。原題は宅配便の不在伝票に書かれている言葉で、直訳とかけていると思う。

12月15日(日)
今年、詰将棋の神様・若島正の作品集『盤上のフロンティア』が出た。私はまだ『盤上のファンタジア』を終えていない。それも表面的に解くのが精一杯で、回答と解説を読んで背後の創作の芸術性にやっと触れるだけ。

12月14日(土)
家にいる日はみるTV朝日の『食彩の王国』。今朝は築地「田村」の主人とゆず農園との交流だった。でもこの番組が好きなのはナレーションがいいから。明るく弾みながら、はしゃがず、いい余韻がある。薬師丸ひろ子。

12月13日(金)
去年のアドヴェントカレンダーが気に入っていて、それをまた置いている。どういう物語なのかわからない。ヨレヨレ気味のおじいさんが客を迎え、ボサボサ髪のおばあさんがトナカイ達の後ろでたづなを握っている。

12月12日(木)
クラスの一人が単語訳の違いを指摘されて「痛恨の極み」と言った。その気持ちはよく分かる。自分で気づけなかった、その理由まで思い当たる悔しさ。ただ教壇側にいると、そう言われることは稀なので今日は嬉しい。

12月11日(水)
今朝の5時は先日、チャイコフスキー国際コンクールで優勝したロシアのセルゲイ・ドガージンによる、正にそのチャイコフスキー「バイオリン協奏曲 ニ長調」。大胆で細やかで情感に満ちていて、生で聴きたい31歳

12月10日(火)
魚魯魚魯でたっぷり話を聞き喋って一人、竹橋へ。『窓』展では好きなのはやはりロスコ、眼に残ったのは奈良原一高の写真。『鏑木清方』では明石町、築地と日々通る処と縞の着物に黒い半襟を我がことのように見る。

12月9日(月)
美容院に行くと沢山の新しいことを教えられる。こんな雑誌があるのね、と知ることもあれば、今日は膝に暖かな湯たんぽを乗せてもらった。充電式で水を換える必要がなく8時間も保つという。早速ネットでチェックした。

12月8日(日)
バナナは重いので、配達してもらう食品に入っている。今日も受け取り、安いなあと思う。ちょうどいいサイズの新鮮な一房が148円。昔は滅多に食べられない贅沢品だった。初めて食べたのは、いつ? 思い出せない。

12月7日(土)
雨の朝。バス停で初老の女の人と。「ねえ、門仲の〇〇知ってる?」「ううん、知らない」「そこで小鳥、買ったら2日で死んじゃって、弁償させるの、ほら」私はタオルの包みを取り出す手を慌てて止める。「ごめん」

12月6日(金)
注文していたモーリス・センダックの『Outside Over There』が届いた。センダックの絵本はどれも飛びきりユニークだが、これはまた絵が凄い。A・ビナードが出した新訳と以前に出ていた訳の違いが気になるものの・・・

12月5日(木)
昨4日、ジャララバードでNGOペシャワール会の中村哲アフガン現地代表が銃撃されて死去。国際的支援に関わる会合で幾度も敬意を込めて名前があげられるのを聞いた。アフガニスタンはどこへ向かうつもりなの。

12月4日(水)
月島のもんじゃは5、6年ぶりかも知れない。以前はよく行っていたのに。古い店も残ってはいたが全体的にきれいになった。8人でお茶を飲める店はないはずと心配していたら、新しく出来ていた。横浜クラスの人達と。

12月3日(火)
メールで逐一入る区の緊急情報は強風や雷などの注意が多いが、認知症の方の行方を捜したり、女の子に手を出す不審者情報が服装の描写とともに伝えられることもある。今日は初めてイノシシが走り廻っているとの注意!

12月2日(月)
大学入試英語改革が延期になって、朝日もやっと現状について連載を始めた。今ごろ。研究者や教師が大反対していたのに文科省は聞かず、メディアも知らん顔だった。本質を見極めてリードする行政であってほしい。

12月1日(日)
辻井伸行は天才。トリフォニーに聴きにいったもののスクリーンに名画を映写しながらという趣向は疑問だった。音楽だけで絵は眼に浮かぶ。余計なことと思っていたが、ドビュッシー『映像』と北斎は・・よかった!