98字日記ー2018年7月

7月31日(火)
フジロック・フェスティバルでのボブ・ディランの様子を岡村詩野が朝刊に書いていた。1時間半、ピアノを弾き、歌い、登場したときと同じように黙って去っていったという。受賞後のなんとクールな初来日。

7月30日(月)
東劇で見逃したメトライブ『ドン・ジョバンニ』をWOWOWで3時間半、観る。最近は幕間インタビューも入るので満足。ただ大スクリーンでこそオペラに近づけるのでチェックはしておこう。NYの舞台は遠くとも。

7月29日(日)
片付中に手紙の束が一つ解けた。本を出した時に頂いたものが多く、懐かしく読むと、たかだか18年前のことなのに名前も記憶にないことがある。あれから新たな世界を作ったからで、それでよかったと思いつつも・・

7月28日(土)
台風が直撃し東京も100%の雨の中にある一日のはずだった。大したことはなかったなどと思ってはならぬ。スレセリ先生の宿題伝言も受け取り、ジョージア語に集中した。『ふしぎ発見』でもジョージアを画面訪問。

7月27日(金)
ALSと闘いながら特注のギターを弾く船後靖彦と仲間のバンド演奏を船堀タワーで聴く。が、音楽だけならよかったのに説明や依頼が多すぎ。むしろ客演した東大の和太鼓グループ『彩』の弾ける響きが楽しかった。

7月26日(木)
TVで熱中症の分析と忠告ばかり聞かされて、暗示にかかりやすい私は今朝、患者気分だった。だるいような、息苦しいような。でも授業を始めた途端、全て軽やかになる。自分だけの思い込みかも知れないけれど。

7月25日(水)
暑さが雲の塊となって転がっているようで、気持ちも落ち着かない。横浜に向かう車窓の景色は涼しく見えるのに。街中は人通りが少なく、ガランとしている。かといって気になる美術展にも足を伸ばせないでいる。

7月24日(火)
一番遠い外出先はゴミ収集場。朝6時に5、6人のシニア達がカン潰しをしていた。すみません。家に閉じこもり映画『アーサーとミニモイの不思議な国』をみる。リュック・ベッソン監督の実写とCGのファンタジー。

7月23日(月)
日本列島中で熱中症が続出している。昨日初めて、その経験をした。岡野さんが入院したと聞いて臨海病院までバスで行き、歩く所が長く、受付で名前を書こうとしたら手が震えてびっくり。涼しいロビーで休んだ。

7月22日(日)
自分は行かれなくても、周辺の人たちが国内外を旅して伝えてくれる空気が爽やか。ポルトガルのファドや踊り、マッターホルンが常にみえるスイスの山々の懐、今日は奥蓼科の澄明な御射鹿池とニッコウキスゲ。

7月21日(土)
昨夜9時近く、 Ginza Six 内の蔦屋書店に寄った。外国文学のコーナーの本の並べ方が個人の部屋の本棚のようで、刺激的だった。書店の人たちのセンスによるものだろう。画集の棚の前の椅子で、横文字を縦に眺めた。

7月20日(金)
北海道のチーズとシャンパン、Mはヴィシソワーズ、シーザーサラダ、徳島で獲れた大きな舌平目一尾をムニエルでシェア、たっぷりの野菜、パン、Mは苺パフェとハーブティー、私はエスプレッソだけ。資生堂。

7月19日(木)
スポーツ中継は各種楽しむけれど、ゴルフはついに好きにならなかった。する気もなければ見にいくなんて言語道断。山を削ってゴルフ以外には使えない広大な平地にするのも許せない。島国には似合わないこと。

7月18日(水)
猛暑続きに熱中症が急増。それなのに生徒達の屋外運動や課外授業を禁止していない行政や学校があり、危機感、責任感の薄さがもどかしい。でも高齢者の致死的な熱中症も増え、災害につながらない雨よ、降れ。

7月17日(火)
朝から勝どきの部屋にこもって今週3クラス分の添削に集中する。もちろん1日では終わらない。かなり済ませてあって、それを仕上げる。合間に深蒸茶を飲み、熱気が立ち昇るような川面を眺め、ラフマニノフを聴く。

7月16日(月・祝)

このところ時間の経つのが早く、いつの間にか月半ばになっていた。困る。したいことが先に進まないまま真夏日より上の激暑に気持ちも思考力も絡め取られている。外に出て五分歩くと身体から湯気が立つようだ。

7月15日(日)
東京で36度。豪雨災害地も暑い。Mによると福岡で災害に直撃されなかった海岸もまだ泥色をしているそうだ。住処を失った人達の苦悩を想う。一方、電話でNさんがシニアハウスに移ると聞く。確かな人生設計だ。

7月14日(土)
大きなアイロン台が姿を消してくれた。このところ何年も使わないのに高く脚を伸ばして物置きになっていた。それをガチャっと畳んで軽々と担いで、いつものように笑顔で持っていって下さって、ありがとう!

7月13日(金)
カタカナ語ばかりでなく中国語からも新用語が採用された。対口(タイコウ=ぴったり合う)支援。被災市町村ごとにパートナー自治体を決める。死者が200人を超えた西日本豪雨災害に専門職員の応援は心強い

7月12日(木)
今日のBは欠席が多く、出席は3人だけ。しかも課題は短い。早々に終えて残りの時間はロイヤルホストに3人を私が招待、といってもこの場所でお茶の時間なので残念ながらささやかに、でもゆっくりと話ができた。

7月11日(水)
夜遅くなる理由ばかり増えて朝5時からのクラシック倶楽部を最近、聴けない。でも今朝は安田謙一郎のチェロを半ば夢の中に引きずり込みながら聴いた。オール・ベートーベン。明日は堤剛らしい。起きられるか。

7月10日(火)
タイ北部の洞窟に閉じ込められていたサッカーチームの男の子たち12人とコーチ1人が、さっき18日ぶりに全員救出されたという。断面図でみると入り口から押しやられた場所まで恐ろしい遠さだったのだ。人知の勝ち。

7月9日(月)
西日本の豪雨の被害が全容をあらわし始め、ついに「平成最悪」と言われるまでになった。地震でも台風でもなく雨だけで堤防が決壊し濁流は家々をひっくり返した。岡山、広島、愛媛と死者の数も増えるばかり。

7月8日(日)
桂歌丸追悼の放映演目は「紙入れ」で、昇太で聞いたばかり。同じ噺の語りが随分ちがう。昇太のオッチョコチョイの間男に対して歌丸のは大人の男だ。紙のように薄い身体だから手術が楽だったという腰痛が枕。

7月7日(土)
大雨による死者がなんと50人を越しつつある。これが梅雨前線の活動によるというから驚く。行方不明者を合わせると百人以上。広島の被害が大きく、美しい川が流れ低い山々に囲まれた新庄の地を思い浮かべて祈る。

7月6日(金)
いま夜中の12時。九州から近畿地方にかけて大雨特別警報が出ていて、数十年に一度の災害だとNHKが強調し続けている。あっちで3万人、こっちで12万人が避難勧告を受けているけれど、そんなに沢山がどこに?

7月5日(木)
『大家さんと僕』(矢部太郎の画と文つまり漫画)を昨日買って、読み、今朝起きて出かける前にまた半分以上拾い読みした。87歳の大家さんとお笑い芸人さんとの丁々発止(書評では、ほのぼの、と紹介される)。

7月4日(水)
サッカーのW杯ロシア大会で、日本チームがベスト16でベルギーに負けた試合はよかった。日本が2点取って実力を見せ、それで相手の闘争心に火をつけて取られた3点は世界ランク3位を納得させる速さと技を見せた。

7月3日(火)
桂歌丸、死去。京子さん、道のりが賑やかかもね。躊躇していた本多劇場での夜公演・春風亭昇太独演会に出かける。Mがいるし。例の立ち喋りで歌丸さんのことで記者達に追われると笑いをとる。『抜け雀』ほか。

7月2日(月)
インドネシア語科の男子同級生たちは、6年前に会ったときの元気な京子さんの様子を思い出すらしい。6年って、中学生になって高校を卒業するまで。老年の6年のなんと短く、変化の起伏の穏やかなことか。私も同じ。

7月1日(日)
「とにかく前向きにね」とあなたは言った。先週。「美味しいものを、と思うのだけど何が美味しいのか忘れたの」と唯一の弱音。その数日前には病室でワインパーティをしたという。50年来の友人、京子さん、逝去。