98字日記ー2022年12月

12月31日(土)
読み始めた本、読みたい本、もう一度読まなきゃと思う本が手元に山となっている。マーガレット・満谷訳・多和田葉子『Scattered All Over the Earth (地球にちりばめられて)』、笠間直穂子訳・ジャン・フランソワ・ビレテール『北京での出会い』、岡崎乾二郎『絵画の素』、新実徳英『生きることが音楽』、ゴギナシュビリ訳・三島由紀夫『オクロス タジャリ(金閣寺)』、現代中国SFアンソロジー『月の光』、他にも。

12月30日(金)
昨日、電話でヤスコ姉が、佐喜子姉は食事時にテーブルを共にする人たちと打ち解けて楽しそうに話すけれど、自分はそれが得意ではなくて部屋に閉じこもっているのが性に合っていると言う。印象は逆なので、おかしい。

12月29日(木)
『二兎』のNo.10として『水野るり子さんを想うーユニコーン忌にー』が送られてきた。どこに、だれに向けたらいいのか苦しいほどだった惜別の想いを受けとめてくれたかのように。るり子さん、もっと会いたかった・・・

12月28日(水)
コロナの新規感染者数、全国では昨日27日は208235人(東京だけで22063人)、死者1日過去最多の438人。こんな数字を、いつの間にか、こともなげに見ている。駅も電車もデパ地下も人でいっぱい。いいのだろうか。

12月27日(火)
バスの中で後ろから「もしもし」と男性から声をかけられた。振り向きざま「はい」と答えた。その人はスマホを耳に当てていた。2秒足らずで私は気が付いた。でも車内は通話禁止ですよ。私はとても恥ずかしかったし。

12月26日(月)
我が家に入る外階段の両脇も含めて大きなサザンカの樹が10本ほど、きれいに刈り込まれた全身一杯に赤い花をまとっている。それでもまだ六分くらいか。新年を満開で迎えてくれそう。でもこれはツバキ? 西日本は大雪。

12月25日(日)
ランチに林檎をシナモンスティックと一緒に煮る。ジャガイモと玉葱はおろし金でおろし、片栗粉を混ぜて味は塩だけ。小さいフライパンに流し込んで2枚焼く。ソースは何が合う? さっき煮た林檎を乗せてみたら完璧。

12月24日(土)
昨日、万里さんが電話で、予定で埋める日々はやめたと言う。よかった。シニアハウスでグループでの楽しみに忙しいのは、どんなに深い趣味だとしても、一人の時間を殆ど捧げる対象として何かもったいない気がしていた。

12月23日(金)
凄いルイ・ヴィトンの新聞全面広告は幾度目か。TV欄を中面に追いやったページに大きく草間彌生の目から上だけの頭。その上に黒白ドットの小さなショーツとブラウスの女性がアスリートのように乗りバッグを捧げる。

12月22日(木)
防衛費増額に次いで出てきた、政府の原発新規建設と運転期間延長という方針。私が答えを見つけられない疑問はいたってシンプル。で、「核のゴミ」を捨てる場所はどうなったの?そこは次世代が引き受けてくれるのね?

12月21日(水)
明日の新宿2クラスで年内の講座は終わる。このところ添削にギリギリまで時間をかけていて、美術館に行っていない。暮れの日々に期待しよう。映画もチェックしておきながら期間が過ぎて、いつの間にか霧消してしまう。

12月20日(火)
新宿Aクラスでスパークの短編を課題にし、大社淑子著『ミューリエル・スパークを読む』と『ドリス・レッシングを読む』を書棚から出す。英国現代文学の女性作家トップ二人を深く読解し論評していられることに敬服する。

12月19日(月)
庭の木から今朝、採りましたと土曜日に頂いたレモン四つ。ずっしりとした豊かさーーこんなに重いレモンを手で持ったのは初めて。艶やかでヘタの緑の葉が美しい。一つ、薄く切って蜂蜜に付けた。濁りのない酸味が爽やか!

12月18日(日)
私のカード番号を不正使用された疑いがあって変え、それに伴う支払い先への連絡が、すらっと行く場合もあればAmazonのように、こじれてしまった所もある。国民個人番号については是非ともデジタル環境整備を完璧に。

12月17日(土)
山川さんから句集『雪蛍』を献呈された。亡くなられた奥様の一周忌に捧げたもので、濃紺の表紙に紅色の裏表紙が私の新刊と似ていて、発行日が同じ12月10日。社の同期として並行した一つの人生を見つめるような気持ち。

12月16日(金)
食料品の値段がジリジリ上がっている。自動販売機の飲み物ですら一気に10%以上高くなった。コロナ禍で抑えつけられている間に税金も上がりそう。そして年金はひそやかに、いつの間にか下がっていっている。政府は変。

12月15日(木)
満谷マーガレットさんが長文のNYT記事を送ってくれた。subscription していなくてもgift link で読めるというのも素敵。ジョージアで Anna Dlidze という若い女性が元気よく政界に打って出ているという楽しみな内容だ。

12月14日(水)
105号室の岡野さんのお宅のリフォームについて業者が騒音などの了解を取りに来た。3、4ヵ月とのことで、全面的に行うのだろう。あの中国の古美術品やインドの宝物はどこへ。切れぎれのお付き合いだったけれど寂しい。

12月13日(火)
高校1年の時のクラス会と此処でのシニアクラブの誕生会とが重なって、行くだけで2時間かかる立川はパスした。万里さんとは電話で昨日1時間ほど話したし。たいそう痩せたというのが気にかかる。私の半分くらいしかない。

12月12日(月)
贅沢なものを見るのは、ずいぶん久しぶりな気がする。金色の厚紙ケースに濃赤に金を塗したリボン。中にシャネルのリップスティックとネイルエナメル。絶えずマスクをしていて口紅をつけることも忘れてしまったから。

12月11日(日)
『ひとりのときに』が出来上がり、届く。装丁がいい。佐々木未来/イラストに吉良幸子/レタリングが絶妙。濃藍に薄紅色の帯がかかる。でも中身があまりに軽くて、読んで、と頼めない。horo books には応えたい。

12月10日(土)
遠いソウルのホテルから「ワクチン接種で具合がわるくなったら連絡して」と美礼からメッセージが入っていたけれど、どうということなく5回目を済ませた。4回目まであった問診などもなく、ごく簡単にポンと打っただけ。

12月9日(金)
パヴァロッティに捧げるドミンゴとカレーラスのコンサートが1月に有明のホールで開かれる。三人のあの祝宴から20年経った。実演でなくとも大きなスクリーンで上映されるもので十分だった。今回のSS席は六万八千円!

12月8日(木)
今年は翻訳塾で意識的にゴブリンを登場させてきた。モーリス・センダックの絵本にチャールズ・ディケンズの短篇。鬼とか訳さずゴブリンとして。何と英オックスフォード辞典の Word of the Year が Goblin Mode に。

12月7日(水)
朝9時に郵便局のシャッターがガラガラと開くのを待ち、今年もにいづまさんに年賀状の印刷を受け付けてもらう。この習慣、段々廃れていっているそうで、私は続けようと思う。少なくとも私は虚礼でしたことはなかった。

12月6日(火)
一日中家にいてもまったく退屈しないのは困ったこと。むしろ時間が足りない。映画や美術展で行きたいものがあるのに行かないことにも慣れてしまった。読みたい本も多く、いつも手元に何冊かが同時に待機している。

12月5日(月)
日本ペンクラブから永年表彰を受けた。表彰式を兼ねた「ペンの日」懇親会への案内状を私は未開封のまま気付かず、終わってしまった今日になって見つけた。見ていたら出席したかどうかは分からない。35年だそうだ。

12月4日(日)
東京宝塚劇場で1月から1ヵ月ある星組公演「ディミトリ」を観たくて、今朝発売と同時に美礼にも頼みチケットに挑戦したけれど、取れないうちに1時間半で売り切れ。熱烈な会員、貸切、団体などがいるからとはいえ、残念。

12月3日(土)
枯れ落ちる寸前の木々の葉が美しい。黄、茶、濃赤、グレイと足を止めて見入ってしまう深い色が空を切り取り、その間に変わらず豊かに広がる緑の葉がある。家からバス停までの短い道のりだけれど、束の間の晩秋に。

12月2日(金)
通常は2、3ヵ月ごとの美容院と歯科医院が今日に重なってダブル緊張! 美容院はクリスマスの楽しい飾りの中、ではまた来年2月に、よいお年を、なんて一気に暮気分。歯科医院は「祝 サッカー日本決勝T進出」があちこちに。

12月1日(木)
「田辺聖子は女学校に通っていたころに『少女草』という手製の雑誌を三号まで出した。挿絵や表紙の絵も自分で描いた一部限定。戦禍をくぐりぬけたその『少女草』の写真を見ると四つ穴のある和綴じになっていた。ほら、やっぱり製本、なのです。」(八巻美恵『水牛のように』から抜粋)