98字日記ー2021年10月

10月31日(日)
衆院選の日。朝7時、木立の間に見える一小の投票場に向かう人たちがもういる。10時過ぎに行き20人程の列につく。運動場から見て、白壁に赤い屋根で5階建の我が棟は周辺の高層住宅と比べて威圧感がないのがいい。

10月30日(土)
ずっと観たかった歌舞伎『ふるあめりかに袖はぬらさじ』を東劇シネマで。玉三郎のお園の熱演は聞きしにまさり、勘三郎、七之助、獅童はじめキャストが凄い。幕末の横浜に似合う数々の名前、魅力的な着物!

10月29日(金)
昨日、今日と朝4時半に起きてコーヒーの香りとクラシック倶楽部で藤田真央のピアノ。スイスのどこかの教会でモーツアルトのみ。きらきらと光り、すいっと沈む音。演奏の合間のトークがなんとも言えずピュア。

10月28日(木)
朝刊小説『また会う日まで』は水路図や海図という未知の分野を開いてみせてくれる。池澤夏樹の祖母の兄が一人称で語るなかに、ついに作家自身が帯広で生まれた。「ナツキトナヅク」タケヒコも文学史の1ページ。

10月27日(水)
このところコロナ感染者数が激減し、東京都で50人以下という数字が10日も続いている。でも外に出ればマスクをしていない人はいない。もうこれが通常の服装になってしまったら新しい知り合いを作るのが難しそう・・・

10月26日(火)
西葛西に神戸スパイスという店を見つけた。良い雰囲気。世界のスパイスの他、メインは印度で、極彩色の袋入りのお米も各種ある。マサラなど印度式カレーを種々買ってみる。淹れてくれたチャイもおいしかった。

10 月25日(月)
ネコが主役のTV番組に出ていた古書店がよかった。ワシントン州シアトルにある Twice Sold Tales 。これまで実際に訪ねたり本で見てきた店と違うのは書棚間に空間が広くあること。本の並べ方が窮屈すぎないこと。

10月24日(日)
留守模様を意識して画や絵巻を見てこなかった。ああ、あの物語の背景だとは思い至っても、そこに姿や所作を置くことまでしなかった。いま無性にそうしたいと感じている。場だけを見て、そこに姿を重ねたいと。

10月23日(土)
山梨幹子コスモスに触れることのできた束の間、数年ぶりにご本人にも会えて、よかった。単にスウェーデンの美を伝えているだけでなく、そこに日本の美の本質を忍ばせる感性の深さがあり技がある。Mと一緒に。

10月22日(金)
寒いと寂しい。今朝の紙面にあった森まゆみさんの寄稿、秋篠宮家「眞子さんの結婚に思う」は率直で真っ当ですごくよかった。「失敗のない人生はそれこそ失敗でございます」という人生の先輩の言葉を贈っている。

10月21日(木)
今日よかったことーー地下鉄の中で3歳くらいの男の子が私の青いコートを小さな手で触って「きれい」と言ったこと、反田恭平がショパン国際ピアノコンクールで2位に入賞したこと、バラちらしが美味しかったこと。

10月20日(水)
真っ青な空。スカイツリーも東京タワーも気持ちよく立ち、富士山ものびのびと中腹をひろげているように見えた。雪は山頂にしかない。夕方、ベランダの先の空を背景にピンクの雲の帯が5本、横に走っている!

10月19日(火)
Zoom 会議はその都度緊張する。事前のMとの二人会議で予習。おかげで本番はスムーズに終わった。多分主催者側の設定も丁寧だったのだろう。清水先生がパンダ模様のネクタイが見えるよう持ち上げてくださった。

10月18日(月)
「一病も天に飛びゆく半仙戯」。いい句だとしみじみ思う。無石として詠まれたと聞き、ウェブで幾つか探して見た。「郭公や牧の朝餉の木のナイフ」「駅の灯を残し雁木の街眠る」「ゲルニカの牛の涙や春の雷」

10月17日(日)
よく知っているのに、浮かばない言葉がある。例えばメンチカツ。時々食べるのに。好きな画家は、と聞かれてモランディを見失う。川村さんと川西さんを言い違える。別々のクラスの同じ席で背が高くて素敵な二人。

10月16日(土)
復刊ドットコムから『きんいろのしか』が89票になったとメールがあった。8900票とか、せめて890票なら復刊されるかも知れないのに・・石井桃子と秋野不矩が60歳の魂をこめた美しい絵本を絶やさないでほしい。

10月15日(金)
コロナ感染者数の減少は嬉しいけれど、GoTo トラベルとかで政府が旅を後押しする愚行はやめてほしい。旅したい人は賢く混雑を避けるべき。繁華街で飲まなければ楽しくない人達に感染を拡げる躊躇いはない?

10月14日(木)
今日から秋らしい日々に、という予報にもかかわらず私の服装は夏のまま。白いTシャツとパンツの上にヤッコマリカルドの薄手の青いジャケットで、念のため持った大判のスカーフはバッグに詰め込んだままだった。

10月13日(水)
子供達の受難の激しさに心が痛む。去年、不登校の小中学生は20万人近くなった。ヤングケアラーと呼ばれる、介護や家事で家庭を支えている中学生は17人に1人。穏やかな環境の地区にむしろ多いという飢えた子たち!

10月12日(火)
クリスマスをテーマとする翻訳課題を選ぶ時期。英語圏の人々の生活や考え方に触れるものをと過去のリストを眺めていて、今まだ10数人が15年以上続けてくれていることに気が付いた。ありがとうございます!

10月11日(月)
数少ない友人に自分のことをペラペラしゃべって、聞いてもらって、きちんと筋立ててまとめてもらうって、なんて心地よいのだろう。自分も元気な時は、そうありたいと思う。窓越しの秋空は深く青いのに家にいて。

10月10日(日)
T・ハーディ『テス』は家の書棚の世界文学全集になかった。もっとも50冊以上になる河出書房緑版の半分ほどしかない。1960年初刊で大学時代にはなかなか買えなかった。全部再読したい。記憶より長い『レベッカ』も。

10月9日(土)
無差別の携帯電話番号選択によるアンケートというのを受ける。内閣支持率と衆議院議員選挙に関するシンプルな10問。選挙区を特定して具体的に候補者名をあげていたから、こうして事前支持率を弾き出すのかしら。

10月8日(金)
昨夜は眠くて早めの10時頃ベッドに入った。スマホが鳴る音で目覚め、東京に着いてすぐのMから、大丈夫?との声を聞く。地震だった。あの10年前以来の震度5強。でも棚の物も落ちず、我が家は揺れが少なかったよう。

10月7日(木)
マルセール・ドゥレダ『ダイヤモンド広場』を読み終えた。主人公クルメタのもわっとした存在感が重く、軽く、柔らかく波のように押し寄せてくる。カタルーニャ語で書かれ、その原文からの田澤耕訳が素晴らしい。

10月6日(水)
木場でタクシーに乗ると女性の運転手さん。あ、と思ったのと同時に「前に乗っていただきました」と言われた。まだ実車8ヶ月だそうで、私は青い腕時計が印象的だったという。頑張って続けてねと言って降りる。

10月5日(火)
下村観山の屏風『白狐』が高階秀爾先生のことばで綴られるのを紙上で読む。1914年という年の重なりに心弾む。ディネーセン『アフリカの日々』の舞台、今週からの翻訳課題のモーパーゴ『世界一の贈り物』の背景。

10月4日(月)
ショパン国際ピアノコンクールの本選がワルシャワで始まり、いま反田恭平とMからメッセージが入り、家にいてオンラインで映像とともにリアルタイムで聴けるなんてね、とそれもスマホ画面で文字で交わす、時代。

10月3日(日)
また一人とお別れ。中学、高校と一緒だった平野貞夫さん。転んで心臓を強打し、救急車で運ばれながらベッドがないと自宅に帰され、数日後痛みに耐えかねて行った病院で手術したものの手遅れだった。口惜しい。

10月2日(土)
今月から新期のパスを買ったのに忘れていて横浜往復の交通費を全て普通に払い、2千円近いことに改めてびっくり。普段もパスは都の機関用なのでメトロや京急は別払い。庶民の生活の中で交通費が絶対に高過ぎる。

10月1日(金)
「ーー下がり眉/澪のことをそう呼んでいたひとも、今はもう遠い。確実に時が流れ、甘やかな思い出も、斬られるような切なさも、静かに引いていく。/橋の袂に立ち、澪はひとり、暮れなずむ天を振り仰いだ。」(高田郁『天の梯』から抜粋)