98字日記ー2016年6月

6月30日(木)
新宿クラスの奥山さんは図書館の司書の仕事のためいつもは訳文の郵送での参加が、今日は久しぶりの出席で嬉しかった。翻訳絵本で「ハグ」を「だっこ」としているのが気になって・・と興味深い話を聞かせてくれた。

6月29日(水)
横浜のクラスの帰りに仕事場に寄って自宅に戻る途中、ふと一日中携帯をみなかったことに気付き、でも携帯がないので落としたのかと心配しながら帰ると寝室にあって、要するに起きてから触れてもいなかったのだ。

6月28日(火)
上野動物園を久しぶりに歩き、動物医療センターの新しい建物は外からだけ見て、アシカとオットセイにゆっくり会う。オットセイの親子は岩の上でドダンドダンと遊び、アシカは濡れた身体を光らせて水から跳び出した。

6月27日(月)
Mに借りて、『乙嫁語り』8巻を読む。一族15人が大敷物の上で食事をする情景など相変わらず美しい。実際には中央アジアを経験していない森薫さま、あとがきに3カ国を回ったとある。きっと壮麗な天井が描かれる。

6月26日(日)
英国の国民投票で気になるのは年齢分析。離脱賛成派は65歳以上が多く、若い人たちは自由にヨーロッパに行き来できる残留を望んだ。若い世代こそ将来を選ぶべき。もっとも棄権した若者が多かったのなら仕方ない。

6月25日(土)
夕方、6時には間があると気がつき外に出てバスに乗る。出光美術館に15分で着いて鈴木基一を目指すが、江戸名所図屏風が面白くて時間をかけ、その後、大きな窓から皇居の緑の上に広がる銀白色の空と夕日をみる。

6月24日(金)
英国が国民投票でEU離脱を選んだ。欧州統合は奇蹟のように立ち上がってきて、まだ完結していない理想形であるのに、英国はやっぱり帝国として君臨したいのか。後戻りという感じで、これからどうなるのだろうか。

6月23日(木)
ボンタンアメ。意外と若い人たちも知っていて、好きらしい。少し小振りになったけれど昔の姿で、「飴旦文」と右書きも嬉しい鹿児島の会社の製造。今日は一箱いただき帰りの車内でひとつ食べると、もうやめられない。

6月22日(水)
間もなく横浜美術館で『メアリー・カサット展』が始まる。その告知に「35年ぶり」とあるのに目を見張った。つまり1981年、あの日本初の回顧展が記憶されているということか。徹夜を重ねた日々がよみがえる。

6月21日(火)
一日中、勝どきの部屋に閉じこもり、明日と明後日の翻訳塾の添削をする。日本列島を駆け抜けるような豪雨が束の間ここも掠め、その後は夏を思わせる空が広がった。それだけでも隅田川は水かさを増し、揺れている。

6月20日(月)
いくつかの言葉が偶然に重なって、ふと、もう会えない人を思い出す。旅立つ友人や知人が多くなってきた年齢でもあり、そういう静かな時間が大切だ。今日は玉子さん。最期に氷を口に含み「おいしい」と言ったという。

6月19日(日)
沖縄の県民大会には6万人以上が集まり米軍海兵隊の撤退を求めた。いよいよ参院選に向けた選挙活動が激しくなる時期、沖縄の状態について真摯に取り組む議員がいてほしい。世の中には優れた人が沢山いるのだから。

6月18日(土)
何年ぶりかで敦子さんと会い、3時間話し込んだ。交際の場が数多い彼女の習い事の話で印象的だったのはオートクチュール。月に2回、6時間ほぼ立ちっ放しで手縫いをする。70万円の生地でブルゾンを作るとか。

6月17日(金)
家から15分の美容院まで歩くと汗ぐっしょり。雨は降らなくとも、まさに梅雨時。冷たい麦茶とおしぼりでほっとする。店長が母上と見学してきたという迎賓館の絢爛豪華な部屋や調度をのせた小冊子を見せてもらう。

6月16日(木)
萩尾望都の『ポーの一族』だが副題が「春の夢」。笠井叡がシューベルト『冬の旅』をソロで踊ったのをみて触発されたとご本人が週刊誌で語っている。今日も細江英公撮影の写真集『透明迷宮』をみていたので嬉しい。

6月15日(水)
吉祥寺は相変わらず関心の的で、今日もNHKで1時間半の特番。下駄で歩いていた昭和通りも大正通りも賑やかな店々でいっぱい。こう見ていると市民文化会館のチャイムのペンダントは高いだけの気がして、だめと思う。

6月14日(火)
名前も書きたくない現都知事選のとき、私は別の候補者に一票を投じたけれど、結果について、まあいいかと思った。いかにも権力志向なので、きっと名と実績をあげるために必死になるだろう。それが、なんて愚かな。

6月13日(月)
夜になってみると一日中何をして過ごしていたのか分からない。葉書を書いたり、食べたり、本の数ページを読んだり、トニー賞や都知事の集中審議の中継をみたり、食器を洗ったり。でもずっと一つのことを考えている。

6月12日(日)

10時からの集会所での会合寸前に終わるまで、あの映画『Still Life』の感動的な最後の40分をTVでみる。ロンドンで孤独死を弔う仕事をする主人公が人生で輝いた瞬間に事故に会う。その墓を次々と訪れる人たち。(だめな邦題は『おみおくりの作法』。)

6月11日(土)
文庫本『女子の古本屋』(岡崎武志)を昨日、三島で、ふと買った。5年前のものでデータが少し変わっているかも知れないが、女性が店主の古書店が15軒ほど紹介されている。胸に迫る1軒1軒で、やく読みたかった。

6月10日(金)
どう書き留めようか、楽しかった今日を。クレマチスの丘は行く度に新たな愛(うつく)しい思い出を差し出してくれる。新宿Bクラスの人たちと書けば素っ気ないが5人での小旅行は緑と花と心に響くアートに溢れた。

6月9日(木)
今夜のスーパープレゼンは日本人の母親をもつ米国人高校生で、祖父の介護に役立つアプリを発明した。6歳ですでに、風呂場の壁につけるセンサーを作った、ケネス・シズオカ。人の幸せにつながるテクノロジーがある。

6月8日(水)

仕事場のアボカドが大きくなった。丈は50センチくらい。たて15センチの葉が6枚、つやつやと輝いている。小さなグラスに水を入れているだけなのに、その中で白い根がたくさん、ぐるぐる巻きに成長している。

6月7日(火)

萩尾望都が『ポーの一族』の続編を40年ぶりに書き下ろした少女漫画雑誌「フラワーズ」がたちまち重版とか。買わなくては。先週まで吉祥寺で原画展をしていたことも気がつかなかった!『なのはな』も読み直そう。

6月6日(月)
昨夜は2時までテニスの全仏オープン決勝戦をみていた。ジョコビッチとマリーの勝負は3-1でジョコビッチが4大大会全制覇をついに達成。史上8人目の偉業を成した瞬間だった。親友同士の挨拶が心地よかった。

6月5日(日)
パンクでもヒッピーでもなく、とろいだけだと思う自分だけれど、たとえばパティ・スミスの声、歌、言葉こそ魂にガシッと入ってきて、生きていく力を与えられる。娘のジェシーのピアノで歌うnatural さもよかった。

6月4日(土)
アレン・ギンズバーグの詩をフィリップ・グラスのピアノでパティ・スミスが朗読する一夜。スクリーンに投影される日本語は村上春樹、柴田元幸の訳。トリフォニーホールがマイホールになってきた。席はバルコニー2L。

6月3日(金)
今夜、やっとゆっくりと火星を眺めた。夜空が晴ればれと冴えわたり、家のベランダから正面に赤い星、西の方角には金星。なんてゴージャス。月はどこ? あれは本当に火星? 綺麗だから、そういうことにしておこう。

6月2日(木)
高橋悠治さんのピアノを聴きに代々木上原のMUSICASAへ。駅前から急な石畳の坂をあがってすぐ。気持のいい小ホールでピアノを囲んで深く澄明な響きに心身を委ねる。17世紀の作曲家パーセルの曲から始まった。

6月1日(水)

「この物語は、あまりかんたんに、すらすらと順序よくお話しするわけにはゆきません。・・・この話をはじめからしまいまで見守っていた、つばさのさきの黒い大きなまっ白な鳥は、もと来た北国のくらい凍った沈黙の世界へ、もどっていったあとなのですから。」(ポール・ギャリコ『スノーグース』矢川澄子訳から)