98字日記ー2015年7月
7月31日(金)
20日に鶴見俊輔さんが93歳で亡くなり、手元の『鶴見俊輔座談』全10巻をいくつか読み直している。50年にわたり約200人と交わした言葉から広がる思考の網にからめとられながら、この人の存在を記憶に刻む。
7月30日(木)
自分ができることと、できないこと、どちらを数える場合が多いか考えると、圧倒的にできることを思っている。楽観的なのかもしれないが、できないことの膨大さが十分骨身にしみているので、今更期待しないともいえる。
7月29日(水)
京急の車内でペットボトルから冷たいお茶を飲もうと顔をあげたら広告が目に入った。若い女性の写真とともに「バスの運転士」募集だった。なるほど、こうして職業が広まるのか。女性ができる仕事が増えるといい。
7月28日(火)
チケットをオンラインで買う。日を設定し、会場を呼び出すと空いている席が色で示され、そこから好きな席を選んでクリックする。すぐに席番号と代金と受付番号がメールで届き、7ー11で支払うと発券される。楽。
7月27日(月)
昼間のバスでは女性の運転手さんによく会う。タクシーの運転をする女性は多くなったがバスはまだ多いとはいえず、どういう経過でこの職業についたのかと思う。どんな試験があるのだろう。素敵な仕事のひとつだ。
7月26日(日)
普段づかいの小さなワイングラス。軽めでやすっぽいガラスなのに形だけは、とてもよく、赤でも白でも合う。ふと梅酒を飲んでみた。ウイスキーよりはるかに早く酔いがまわってしまったのは、どういうことかしら。
7月25日(土)
このままIT化が進むと、今の仕事の半分がなくなるというレポートがある。欧州の人は好きなことをする時間が増えると喜び、日本人は多くが危機感を覚えるという。私はロボットが受付でも介護でもすることに賛成。
7月24日(金)
土砂降りかと思えば青空が広がる不思議な天気を家の中から眺めていた。来週は4クラスあり、添削が間に合うのかどうか今日のうちに見通しをつける。週末になんとか出来るでしょう。暑さにアイスノンで闘いつつ。
7月23日(木)
今日は忙しいので、年に一度のバンケットは延期。Mはこの頃コムデギャルソンが多いようだ。好きなおしゃれが出来るのはハッピーに過ごす大条件なので私もまた・・という気に少しなっている。元気になった証拠か。
7月22日(水)
スーダン人留学生M・O・アブディンさんの『わが盲想』を読む。19歳で来日し東京外語大特任助教になった38歳の今までの日本語上達ぶりがすごい。はちゃめちゃに歩んでいるようで、蓄積したものの豊かなこと!
7月21日(火)
同期の人が亡くなると寂しいというより、なにか後悔に近い、きりっと鋭いもので胸をつかれた思いをする。もう同じ時を共有できないという事実が重い。学校や職場やさまざまな場での時があって引きずっていたいのに。
7月20日(月祝)
日本橋三越本店で疲労困憊。半蔵門線の三越前から本館までが遠い。売り場では前客がいたので頼んで椅子にかけて待ち、そこで売ってほしかったのに、ケースの前に延々と立たされた。次の銀座線までがまた遠く・・・・
7月19日(日)
柳家喬太郎の「孫、帰る」を久しぶりにきく。終盤の泣き顔の場面が前より長かったように思うものの、しっかりとした見せ場だった。うまい。「ハワイの雪」は昇太できいていて、やはり喬太郎で新作をもっときこう。
7月18日(土)
横浜でのランチにサンドイッチも蒸しパンも飽きて、今はヤマザキのランチパックおたく。「夏野菜カレー」や「焼きそば&静岡県産わさび入りマヨネーズ風味」よりも「イチゴジャム」や「深煎りピーナツ」の類が深い。
7月17日(金)
カズオ・イシグロの「文学白熱教室」を今、テレビでみている。10分ほど吹き替えで聞いていて、折角の機会なのだから肉声で聴きたいと思い、はたと思い出し音声切り替えで英語にすることができた。生粋の文学者。
7月16日(木)
夜になって、又吉直樹の『火花』が芥川賞に選ばれたとの発表。この「お笑い芸人」をいいなと思ったのは、エッセイで「子どものとき、よく一人で散歩していた」とあったのを読んでからだ。これからの作品が楽しみ。
7月15日(水)
安全保障関連法案が衆院特別委員会で自民・公明の賛成多数で可決された。事の重要性から、多数という曖昧さがとてもいや。議員は信念として個々の名前のもとに賛否を明確にするべきだと思う。その自信があるのか。
7月14日(火)
10年ぶりに眼科に行く。西葛西で新しい場所に移転した井上眼科はすっかり現代的になっていて視力検査も今はこうなのかと新鮮な体験をする。幸いにも軽い感染症とのことで次の診察予定もなく目薬だけ処方された。
7月13日(月)
30度を越す暑さだけれど、外では強い風がさわさわと吹いていて木陰は涼しい。いつの間にか7月も半ば。ということは今年も半分が過ぎ、次々と寂しい別れの知らせが思いがけなく届く。きれいな花を買って帰ろう。
7月12日(日)
日本語弁論大会で上海からの留学生が、彼女なりの中国人や韓国人の中での「日本人を見分ける方法」を披露した。⒈ ハンカチを持っている ⒉ 長い傘を使う ⒊ お辞儀を深々とする。そうかあ、おもしろいなあ。
7月11日(土)
東京駅丸の内北口2階のコンコースはステーションギャラリーの回廊となっている。大きなガラス窓を経て、ギャラリーの入口を反対側から見られるし、音のない丸いロビーを大勢の人が
動いている様子を見下ろせる。
7月10日(金)
「おおかみこどもの雨と雪」と「セント・オブ・ウーマン」と好きな映画がTVで時間もばっちり重なる。でももう何回もみているので、ぜひシーンだけ見逃さないようにする。狼に変わるところ、タンゴを踊る場面。
7月9日(木)
そういえば朝のTVでさそり座の今日の運命はBADだと告げていた。あまりいい授業ができなくて、めげる。課題はAがスリランカ紀行、Bがアルマナックから週の起源。自分では好きな内容でも、皆はのっていない感じ。
7月8日(水)
雨で足運びが少し怖い。世の中が静かに沈んでいる感じはわるくないけれど。ウインブルドンは、なぜかあまり乗り気になって観ていない。昨夜はジョコビッチがアンダーソンに最初の2セットをとられての辛勝だった。
7月7日(火)
『つるとはな』の2号が出て、メイ・サートンに関してちょっと質問があり編集部にメールをいれたところ、岡戸編集長(かの有名な)から真摯なお返事をいただいた。紋切り型でない言葉の温かさを受け取るのは幸せ。
7月6日(月)
これまでに作品はほとんどみていると思うけれど、東京駅だし、なんとか鴨居玲展に行こうかな。と考えて坂崎乙郎さんの本の頁を繰る。没後30年! 二人とも今、いてくれていいのに。最近のことのように思い出すのに。
7月5日(日)
昨夜、お隣がユリノネを煮て届けてくれたのは何時だったかしら。机の上のがらくたを片側に寄せてウイスキーのオンザロックで話しこみ、今日中に帰るわと言っていたから12時頃まで。おかげで私もぐっすり眠れた。
7月4日(土)
英国での話。97歳の女性が、幼少期に読んだ本を曾孫に読んでやりたいと古書店に電話し、たまたま1冊あった古本を取り寄せた。本には、贈り主の名前と忘れようのない傷跡があった。その女性自身の本だったのだ。
7月3日(金)
横浜の翻訳塾は二つとも満員状態、というか、14人を上限としたため、そういうことになった。数年前のように20人までという体力がない。添削が重くなってきたのだろうか。楽しみであることは変わらないけれど。
7月2日(木)
部屋にいて外に目を向けたとき木々の緑がひろがっているのを、幸せに思う。梅雨時で濡れた葉もいい。でも、ふと懐かしくなる。縁側や庭や、玄関から門につながる敷石を踏みながら嗅いだ、もっと身に近い植物の匂いを。
7月1日(水)
みんな、云っとくがな、/生まれるってな、つらいし/死ぬってな、みすぼらしいよーー/んだから、掴まえろよ/ちっとばかし 愛するってのを/その間にな。(ラングストン・ヒューズ「助言」 木島始訳)