98字日記ー2013年3月

3月31日(日)

京急のボックス席に70代の同級生らしき男性たち。向かいの二人がお洒落だった。それぞれ赤の線の入ったチェックのシャツで、一人は渋い上衣とハンチング。一人はグレイのジャンパーに毛糸の帽子。こうありたい。

3月30日(土)
昔、改築前の吉祥寺の家で、出窓のひとつを父がステンドグラスのように描いていた。いえ。黒い線で幾何学模様を描いて、その中を色とりどりの透明のセロファンで埋めたのだったと思う。夕方の光がきれいだった。

3月29日(金) 

この冬、初めて手の指先が乾燥して、ひび割れのようになるのを経験した。薬局に、そういう指先のための薬が何種類もあるのに驚いた。実際にはクリームをこまめに付けるだけで治り、今はもう消えている。春の訪れ。

3月28日(木) 

人恋しい時は誰にでもあるのだろうか。ずっと一人でいると寂しさは訪れないのに。花見時で屋形船が競うように隅田川を滑っていき、今年初めて見る華やかな青いライトアップが多い。花の傍では消しているのかしら。

3月27日(水)

上野・精養軒の3階から見下ろす満開の桜花に心が柔らかくなり、会議の後、まさに道の両脇から覆いかぶさってくる樹花の下をゆっくりと歩く。今日はとくに寒かったのに人出は多く、外国の言葉もとびかっていた。

3月26日(火) 

数十年前、保育園へのお迎えをして激務の日々を支えてくれた日本女子大の学生たち。その一人、幸子さんとはずっと賀状を交換し、今度、もう一人の恭子さんから素敵な手紙が佐渡から届いた。信頼は決して消えない。

3月25日(月) 

新じゃがの季節。たっぷりのお湯でゆでると、するっと皮が外れる。毎年いただく手作りのカレンダーは1年がひと目で見渡せ、月の変化や旧暦との比較までわかり、物語を読むように見入ってしまう。もうすぐイースター。

3月24日(日) 

寺山修司。19351983。芦花公園にある世田谷文学館に、恩師への手紙を中心とする資料展示を見にいく。こなれた字による横書きが多く、その葉書の形や添えられた小さな絵からも、生でこその息吹を感じとる。

3月23日(土)

辺野古埋め立てに政府が強硬な一歩を踏み出し、沖縄県知事を普天間飛行場の固定化との板挟みに。美しい海辺を壊して、また壊して、私たち人間はいつまでも過去から学ばない。学んでも、それを現実にしていかれない。

3月22日(金)

桜が満開になり、家の周りでも角を曲がるごとにユキヤナギが真っ白にふわっと広がって迎えてくれる。きっとすぐにレンギョウの鮮やかな黄色が加わる。夜——10時、11時と小学校の教員室の電気が消えない時期。

3月21日(木)

『サザエさん』は復刻版が出るなど、また改めて見直されているが、本当に50年前の漫画とは思えない、いきいきとした絵やせりふに感激してしまう。くすりと笑える細かい点も沢山あり、近所のお屋敷の表札は「湯水」。

3月20日(水)

オーケストラの音をごく近い席で浴びるのは久し振り。しかも初めて聴くシマノフスキの交響曲4番は木田佐和子のピアノで、そうなんだろうな、納得と思う。マーラーの1番「巨人」は本を読んでいる気がした、なぜか。

 3月19日(火) 

ふと昼食をとりに入った初めての店は築地に近く、マグロやイカの丼ものが人気のようだった。若い夫婦らしい二人が元気に切り盛りし、低く流れているのはジャズ。いい雰囲気だった。お味噌汁の塩がきつくなければ。

3月18日(月)

心はいくつもドアをもち/わたしはそっと叩くだけーー/優しく「おはいり」と言ってくれないかと/耳を澄ませてーー/拒まれてもすぐには悲しまない/わたしには必要なのだから/どこかで応えてくれることが(Emily Dickinson

3月17日(日)

なにか大きな忘れ物をしたような、でもなにを忘れているのか分からないような、心に薄い雲がたなびいている感じ。でもそれは幸せと寂しさが往々にして混ざって訪れる時の感覚。人に優しくなれそうな刻でもあり。

3月16日(土)

国際文化会館の庭に春の陽射しが煌めいた。真っ白なトレーンが芝生のうえに長く引かれるのを姉弟や甥、姪の身内たちと見守り、その主がパートナーと新たな身内を得るのを嬉しく認める。伸びやかな美しい儀式で。

3月15日(金)

明日の天気予報は晴。大切な日だから金色のバッグを持って幸せな気持ちを表したい。身につける色は圧倒的に黒が多いけれど好きな色は青だし、赤や黄色に元気をもらうことも。でも明日は金色が似合う日、きっと。

3月14日(木)

藍色の空に細い金色の月がいる。数日前、TVで「Billy Elliot」をまたみた。最後の場面のアダム・クーパーの後ろ姿、頭を下げたときに見える顔、ほんの数秒のジャンプ!涙が出そうに美しく、今日の月のようだった。

3月13日(水)

98字を書き上げて、気に入らなくて全部消して、タコスチップとアボカドディップと台湾茶でひと休みする。いろいろなことが間に合っていなくて、余計、ひと休みが長くなる。矛盾している。さて、がんばらなくては。

3月12日(火) 

「あなたはミステリアスでいればいいのよ」と言ってくれたのは誰だったかしら。包み隠すことなど何も持ってさえいず、すぐぼろぼろに自分をさらけ出し、心配したり慌てたり反省したりするばかりの毎日なのです。

3月11日(月) 

「さくさくと星をわけゆく音のして 君は去りゆく夜星の果てに」歌人の唐澤るみ子さんが共通の友人敦子さんの死に捧げたうた。二年前の今日の津波のあと私たちは現生での苦悩についてさまざまな言葉を交わしてきた。

3月10日(日)

お昼過ぎ、空一面が黄土色に染まり、これが黄砂かとおののいたけれど、ニュースによれば強い北西風によって地表のほこりが舞い上がった煙霧とのこと。一時は地上を走る電車はすべて止まった。穏やかな春はまだ?

3月9日(土) 

病院の待合室に盲導犬と女の人が入ってきた。小さな男の子が犬に手を出すと、お母さんが「お仕事中は触ってはいけないのよ」と教えた。隣の人が「年取った盲導犬の面倒をみる人もいましてね」と私に話してくれた。

3月8日(金)

江東区役所に用事があって、幾つかの福祉作業所が作ったものを売る入り口近くのコーナーに寄った。クッキーを買いながら、カード入れやコースターを見る。もっと好きなように作って色に個性が出るほうがいいのに。

3月7日(木)

受験勉強のない大学一年と中学三年の兄弟に、教文館の二階で文庫本を20冊選んで送った。星新一、チャペック、宮沢賢治、沢木耕太郎•••持っているのもあるだろう。二人のパパが中学生のときに確か、同じことをした。

3月6日(水)

メデア先生が生まれて2週間の赤ちゃんの写真をメールしてくださった。ものすごくハンサムな男の子。切れ長の目をしっかりと見開き、口元がきりっと締まっている。この間会ったときはお腹の中だったのに。不思議。

3月5日(火) 

確定申告の作業。仕事場を別にしているため、翻訳塾でいただく収入はすべて、その維持と資料代になることを年に1回、納得する。ちょうどいい。素敵な人たちとの触れ合いと毎日の川と船を見る楽しみとなっている。

 3月4日(月)

あれから2年近くたち、さまざまなメディアが振り返り、現状を伝える。世田谷区経堂と石巻との鯖缶をめぐる友情の熱さには、じーんとくるけれど、家族を失った人は絶対に癒されてはいない。北海道では昨日、暴風雪。

3月3日(日) 

ひな祭り。五段飾りは久しく出していず、最近はお内裏様だけを並べていた。Mも、置くところがないから持っていかないという。田中さんの百歳近くなるお母様が40年近く前に作られた木目込み、大切にしておこう。

3月2日(土) 

生粉蕎麦のせいろと春野菜の天麩羅で4時過ぎの昼食。新宿のビルの13階でも竹があしらわれ陽射しは簾で遮られて、日本はいいなあと思いつつ、朝早く横浜へ行き新宿でグルジア語の授業を受け買物をした疲れをとる。

3月1日(金) 

「のどかなる折こそなけれ花を思ふ心のうちに風は吹かねど」(和泉式部)2月から3月へ、たった1日の違いなのに、一気に心がざわめく。この歌は、自分の想いを認めまいと花にことよせて言い聞かせているようだ。