98字日記ー2023年1月

1月31日(火)
いまだに命日より誕生日に母を想うのはおかしいかもしれない。そろそろ、ちゃんと命日に声をかけるべきかと。ほんの数日前のことだし。でも何をプレゼントしようかと考えた何十年かが私の身体に染みついて離れない。

1月30日(月)
田川律さんが亡くなった。訃報で知る。このところ何年も会っていない。それほど親しいわけではなかったけれど、音楽会や飲み会で会うと「ねえねえ、ちかちゃん」と仲間にしてくれた。自由な服装で弾けている人だった。

1月29日(日)
最近ドキッとしたニュースから二つ。一つは日本から海外に生活拠点を移す日本人が連続して増え続け、この10年でおよそ14万人が日本以外の永住権を取得したという外務省発表。もう一つは週刊朝日の5月休刊つまり廃刊。

1月28日(土)
『モリコーネ 映画が恋した音楽家』を日比谷でみる。原題は『Ennio』。トルナトーレ監督によって書かれた壮大な年表を1行ずつ読んでいくような、あっという間の3時間だった。とにかく本人が終始登場する凄いドキュメンタリー。

1月27日(金)
一日中、家で細かな整理、片付け、1週間の段取り。でも合間に本を読み、食べ、お茶を飲んだりしているので、書くべき手紙が何通か書けないまま。大瀧拓哉のピアノを聴きたい。マチネー、ないかなあ。藤元高輝のギターも。

1月26日(木)
黒い服が着られない。夏でも黒が多かったワードローブを変えなくては。理由は白髪。少なくはないうえにパーマをかけてフワッとさせたのはいいけれど、抜ける。黒に目立つ。冬は黒のタートルネックが一番好きなのに。

1月25日(水)
東京は晴れていたものの、全国的にはこの冬一番の寒気に覆われた。昨夜、降雪のため京都の辺りで満員電車が何本か数時間、停まったままだったという。コロナ禍は去ってはいず、1日に10万人近くの新規患者がいるのに。

1月24日(火)
やはりあらゆる動作に時間がかかるようになった。この数日では、どうしても「モリコーネ」をみにいく時間が取れないのが残念。明日から3クラス続けてあるのに、もう夕方だというのに、まだ明日の分が終わっていない。

1月23日(月)
J.F.ビレテール『北京での出会い もうひとりのオーレリア』(笠間直穂子訳)を読む。48年を共にした妻、文(ウェン)の死去から4年にわたり綴られた心のさまに打たれる。その1939年生で時代的に重なる哲学者の人生と思索に。

1月22日(日)
最近読んで、15歳以上の女の子男の子・大人に広まってほしいと思った楽しくて深い本2冊。新実徳英『生きることが音楽!』と山田健太、たまむらさちこ『「くうき」が僕らを呑みこむ前に 脱サイレント・マジョリティ』。

1月21日(土)
冬らしいキリッとした空気に満ちた一日だった。明け方まで強風だったらしく、バイク置き場の近くの木々にカバーが二つも絡まっていた。40代終わりに肋骨6本を損傷しなければ今も乗り回していたかもしれないバイク・・

1月20日(金)
魚悦の鯖高菜巻きが今日はセールで、買う。セルフレジで籠を返して歩き出すと、係の若い男性が追いかけてきた。ワサビが籠に残っていたという。小さな袋で私はすぐ忘れる。その時の二言三言がいつも爽やかで温かい。

1月19日(木)
江戸時代末期に雪の結晶を古川城主・土井利位が記録した『雪華図説』が古川歴史博物館で公開展示されていると記事で読む。黒繻子を外気に晒して雪片を受け、漆器上に移して観察したとという。なんて日本的で美しい!

1月18日(水)
小さな旅に出た。横浜から瀬谷まで。佐々木未来さんの「日めくりと私」の7年分の絵二千数百枚が壁に長く連なって楽しい。私の好きな世界。1点1点見たいけれど記憶が散漫になるので、全体を目に焼き付けた。未来さんと。

1月17日(火)
空気と太陽から水をつくるーーイスラエルのウォータージェン社が、空気から汚染物質を除くフィルターと太陽光を取り込んでエネルギーとする装置を開発して、すでに砂漠に近い病院などで稼働しているという。すごい。

1月16日(月)
女優の草笛光子さんが今年は90歳になる。常々、化粧は役者の仕事の一つと語り、親しい女優さんが亡くなると駆けつけて最後のお化粧をしてあげるという。デザイナーのワダエミさんや兼高かおるさんが亡くなった時も。

1月15日(日)
久しぶりの雨。昨夜、出張から羽田まで帰ってきて勝どきで泊まった娘の顔を見に行く。残っていたパン二つを半分ずつ分けて食べ、一緒に部屋を出る。それぞれバスで娘は東京駅へ、私は自宅へ。冬の日暮れが、まだ早い。

1月14日(土)
田辺いちかの講談と古今亭佑輔の落語に駒込のアクロスへ。女性二人の座というのは初めてながら、寛ぎと緊張との間合いが二人とも抜群に良くて、二席ずつ、すっかり入り込んで聴いた。気持ちよかった!公子さんの主宰。

1月13日(金)
世界の人口が80億人を超え、予想では30年後に100億人になる。地球がそれだけの人間の生活を支えられるか考える指標を幾つか見た。海に森林に地下資源に負荷をかけていて恐ろしい。戦争なんてしている場合じゃない。

1月12日(木)
年の始めにすることを一応、通り過ぎ、塾もそれぞれ第一回目を迎え、不愉快だった体調も落ち着き、よかった。夜は児島さん手製のペッパーカッカーをアールグレイとともに楽しみながら、ジグザグの超難問に取り組む。

1月11日(水)
横浜へ向かう車窓から富士山がきれいに見えた。今日と明日で翻訳塾の4クラスがすべてスタートする。ショックだったのは、私の本を読んだとすら言ってくれる人がほとんどいなかったこと。全く関心を持たれなかった。

1月10日(火)
おととい微かな残尿感があって不愉快だった。以前は冷えすぎたり睡眠不足が続くと突然なり、やがて薬で抑えられるのを知った。薬箱にそのボーコレンという漢方薬を見つける。期限は2016年2月だけれど飲む。治った。

1月9日(月・休)
『ヴァロットン展』(三菱一号館)へ。白黒の木版画による19世紀末フランスの人々の群像の構図と人の動きを捉えた瞬間の切れ味が素敵。『ヴァイオリン』が好きだったのに絵葉書なく。いつもの木の廊下で庭を見て休む。

1月8日(日)
斎藤真理子『韓国文学の中心にあるもの』を読み終える。怒涛のごとく現代の韓国文学を翻訳して送りだしてきたひとのバックボーンに触れる。とくに朝鮮戦争について。大橋也寸さん、唐澤るり子さんを経て届いた本。

1月7日(土)
明日、王将戦七番勝負が掛川で始まる。私が贔屓にしている棋士が二人いて、羽生善治と藤井聡太。その52歳の九段と20歳の王将が向き合うなんて! どちらも清らかな、ぴーんと筋の通った手で、きっとフレッシュな戦い!!

1月6日(金)
朝、岡崎乾二郎『絵画の素』を開き、一つ、読む。参考作品、それにまつわる考察(テキスト)、著者の制作した絵。今朝はトンガレバ島の話とフリーダ・カーロの『泣くココナツ』と岡崎の『月日の満ち欠け』で1時間!

1月5日(木)
翻訳塾は始まった。スタートは、オバマ大統領の時に50数年ぶりに米国と国交を回復したキューバにまつわるエッセイ。昨夜、万里さんとの長い電話の中で出てきた檜原村という地名が、何の関係もなく、ふと心に浮かぶ。

1月4日(水)
年賀状を書く。元旦に届くように出さなくてもいいと勝手に思っている。でも喪中の人、もう止めると告げられた人に祝いの挨拶をしたことに、出した後で気づいたりもする。賀状は虚礼や義理ではないと思うのも私の勝手。

1月3日(火)
大いに歩いた2日間の後の夜は、さすがに疲れから眠りが途切れたけれど、明け方から8時まで熟睡して回復。『ひとりのときに』は本当に軽い中身ながら私を呪縛から解いてくれた。読後感を寄せてくれる人たちは大切な存在。

1月2日(月)
奥沢の永松家を訪問し、お雑煮や茶碗蒸しをいただき、夕方、歩いて行かれる林のり子さん宅を剛さんの道案内で美礼と共に訪ね、富田玲子さんともお話し、夜8時過ぎに家に帰り着いて1年分の温かなふれあいをおえた感じ。

1月1日(日)
吉祥寺に集まった家族は9人。いつものように普段着ながら、出版のお祝いにと美礼がくれた透明感のあるダークレッドのマニキュアをする。でもきちんと塗れずに爪からはみ出しがち。まあ、しっか見る人はいないから。