98字日記ー2017年2月

2月28日(火)
細い三日月が空にひっかかっている。それを覗く三角出窓には桃、菜の花、菖蒲、雪柳。そういえばひな祭りなのだ。苺のショートケーキとマリアージュフレールの苺の紅茶が美味しかった。わが家で女4人のつどい。

2月27日(月)
物を探す時間が多い。しょっちゅう探している。原因は片付けが下手なことにある。出した物は元のところに置く、などと簡単なことでは終わらない。手紙とか日々加わる新たな物の置き場所が見当たらないからなのだ。

2月26日(日)
朝連の小説・吉田修一『国宝』はたのしみのひとつ。話し手が誰なのか最初にあったとしても見落としていて、ただ「ございます」という語り口が心地よい。長崎のヤクザの域からやがて歌舞伎へと移るはず。画は束芋!

2月25日(土)
リセットの日。数日前、特別展「手紙が語る戦争」を平和祈念資料館でみた。ACCと同じビル内なので資料館は4回目か。でもあまり行きたくない。大好評の映画『この世界の片隅に』も涙しなかった。体験の重さゆえ。

2月24日(金)
怒涛のように大切な人達と会う一週間が終り、嬉しさを抱えたまま、ほっとしている。今日は弥香さん、延美さんとランチで理想的な3時間。「Take care and stay in touch! 」とメールあり。夜は高橋悠治リサイタル。Superb!

2月23日(木)
エクアドルの先住民オタバロ族については何か読んだことがあると念のため課題のリストをたどると、そうだった、荒川邦子記者が取材して書いていた記事を取り上げたのだった。華やかな織物や人形。10年前のこと!

2月22日(水)
横浜の老舗ホテル・ニューグランドの5階「ル・ノルマンディ」は山下公園の先に広がる港を一望する、こよなく清々しいレストランだった。幸いにも曇天で海も空も静謐な光に満ちていた。時間が短か過ぎたのが失敗。

2月21日(火)
小川洋子『不時着する流星たち』。グレン・グールド、パトリシア・ハイスミス、牧野富太郎・・・名前を見るだけで身体に光が通り抜ける人達に作家の世界が重なるあのヴィヴィアン・マイヤーには「お見送り幼児」が。

2月20日(月)
久しぶりに築地の場外を歩いた。外国人が多いせいもあるのか以前より混み具合が落ち着いていず、ばさばさしている感じ。新しい施設「築地魚河岸」に初めて入ってみる。研究してみないと分からない。寿司は彦兵衛で。

2月19日(日)
山口信子さんを偲ぶ会で妹さんの洋子さんに会い、数十年の月日を埋めてもらう。『修禅寺物語』の楓を私が演じたことを覚えている人がいるなんて。楓は平凡で穏やかな生き方を望む娘だった。私のイメージだった?

2月18日(土)
アボカドに、また新しい葉が生まれた。水ををいれたグラスの中の種ひとつから40センチ位の茎が伸び、開いた6枚の葉に加えて、茎の先から柔らかな小さな葉が幾つか。水とブラインドの隙間から差し込む光だけで。

2月17日(金)
映画『リバー・ランズ・スルー・イット』を家で見直す。ロバート・レッドフォードが作りたかった映画、ブラッド・ピットのほぼデビュー作。モンタナの山と川がこよなく美しく、言葉が詩のように自然と呼応する。

2月16日(木)
三ヶ月更新のカルチャーセンターで春の講座案内が並んだ。よくぞと思う数の中から英文翻訳塾を選んでくれる人達に心から感謝。長年の新聞作りと翻訳から方法には自信あり。うまく伝えられているかどうかは別として。

2月15日(水)
ニューヨークMOMAのストアだけのメーリングリストに入ったらほとんど毎日送られてくる。サイト自体が美しいし、新しい英語表現を軽く読むにも最適なので続けている。今日は日本発のデザインが中心だった。

2月14日(火)
今年のグラミー賞授賞式は昨晩、字幕放映でみた。ビヨンセが双子を妊娠中の臨月かと思われる身体をあらわに見せる金色のドレスで熱した。演出が幻想的に美しかったけれど・・私はやはりレディーガガの方が好き。

2月13日(月)
言語によってそれぞれ数字の言い方に文化がありジョージア語は20進法。なおかつ時間の言い方がちがう。たとえば2時が過ぎたら3時の世界の中で考える。2時半は「3時の半分」と言う。約束の時間を間違えそう。

2月12日(日)
国語辞典にそれぞれ個性があるのは知っていたけれど、それを見分けるのに適した言葉が「間」と「右」と金田一秀穂さんが語っていた。春彦先生の授業を思い出す。何か書いて出せば単位をくれる、有難い先生だった。

2月11日(土)
チョコレートやガムのパッケージは断然、明治が好き。最近では冬季限定のメルティーキッスのスリム。プレミアムショコラとかストローベリーがあり、右端をかちっとつぶして引き出すと10枚のひとつが出てくる。

2月10日(金)
東北や北陸など日本海側は大雪。天気予報図では、いつもながら東京のすぐ隣の新潟に毎日、雪だるまが並んでいる。だから東京が首都なのよとはMの解釈が、そのMは今、ストックホルム。連日、零下気温のはずだ。

2月9日(木)
新宿からの帰り、夕方、みぞれ。寒さの中をとぼとぼと歩く。「江戸と北京展」への待ち遠しさが、ほっと暖かい火となる。『煕代勝覧』はこのサイトで牧南恭子さんが「日本橋夜話」として書き下ろしてくれている。

2月8日(水)
横浜カルチャーで新保淳乃先生の『画家の自画像』の講座を特別に1時間だけ聴かせてもらう。英文翻訳塾と時間が一部、重なっているのだ。「イーゼルの前の女性画家たち」の回で資料と共に画像を見られてよかった。

2月7日(火)
一人でツアーに参加している人を何人も知っている。慣れると気持ちいいかも知れない。私も一度、と思いながら、未経験のまま。最近は、そのツアーに参加するために前もって集合場所を確認するツアーが人気らしい。

2月6日(月)
オマール・シーがフランスのセレブリティ投票で一位とディマンシュ紙が書いているそうなので、改めて『最強の二人』の好きな最後の方だけNHKでみる。確かにシーの笑顔はいい。映画の二人が実在なのも話としていい。

2月5日(日)
五嶋龍が司会になって好きになった番組「題名のない音楽会」が2500回記念でランランの素晴らしい演奏と素顔を披露。プロの技を衒いなく実感させてくれる澄明で濃密な30分だ。私にとっては日曜美術館を超えた。

2月4日(土)
横浜に向かう土曜日、晴れていれば富士山が見える。高い建物が増えて隠れがちなので目を凝らす。空襲で焼け野原になった東京では、どこからでも見えたに違いない富士山、やっぱり美しく凛と聳えていたのだろうか。

2月3日(金)
ピコ太郎を最初に認め、励ましたのは立川談志師匠だった。さもありなんと思う。ギンギラギンの「PPAPの世界をひとつに」を中居正広のキンスマでみる。リズム、言葉、踊りの一分。芸人の煌めきがここにある。

2月2日(木)
新宿クラスが終わった夜は一息つき、好きなTV番組のはしごをする。プレバト・夏井いつき先生がつまらない句に与える息吹、『ニッポン行きたい人応援団』ではアメリカの若者ベンが宮大工の元で学ぶ、のこぎり術。

2月1日(水)

 女性参政権が認められた年=1893年ニュージーランド、1902年オーストラリア、1913年ノルウェー、1917年ロシア、1918年ドイツ、1920年アメリカ合衆国、1928年イギリス、1932年ブラジル、1944年フランス、1945年イタリア・日本~~2015年サウジアラビア(映画『未来を花束にして』パンフレットから抜粋)