98字日記―2012年6月

6月30日(土)
麦茶を冷やしていても、つい買ってしまう500mlの飲み物のペットボトルが空になり、濯ぎ、ラベルを取ってリサイクルに回すとき、その形がきれいだといつも思う。こういうもったいなさがあまりに沢山ある。

6月29日(金)
何かを頂いて嬉しかった、ということは書かないようにしているが、ハシビロコウについては別。昨年おくられた葉書大の美しいスケッチは写真立てに入れてあり、今日の紫色の絶妙なつくりの縫いぐるみは感極まる。

6月28日(木)
さくらんぼのお裾分けをしてもらった。必ずしも果物につよくないながら、これは特別。おいしい。タッパーに入れてくれたのをそのまま出して食べていて、ふと、洗わなければいけなかったのかなと思う。後の祭り。

6月27日(水)
8年前に読んだのに表面を滑っていただけのような気がして、姜尚中『在日』を文庫で読み直す。今度は共感を覚えながら読み、一字一句を深く心に留めた。しばらく聴いていないカヤグムやパンソリも、聴きたい。

6月26日(火)
津波が引いた後の見渡す限りの荒れ地に白鳥がたくさん集っている写真を送ってもらった。心をしんと静まりかえらせる、まだ広漠としたままの風景。ほとんど無から生活を始める経験は幼いときにしているけれど・・・

6月25日(月)
クリムトの生誕150周年記念の展覧会がウィーン美術史美術館をはじめオーストリアの各所で盛大に開かれている。雑誌やサイトで見るしかないが、心ときめく。牧野富太郎も同じく生誕150年。東大泉に行こう。

6月24日(日)
金曜日はのんびりと、水曜日までには十分時間があると思う。日曜日の夕方に心配になる。およそ50人の翻訳の添削をするのは毎週その繰り返しで、これから30人分を見なくては。仕事場から川が見えてよかった。

6月23日(土)
遠い地から送られ、ときに取り出す絵葉書が何枚か。ロンドンから01年に届いた「ママも見るべき」とMの文字が添えられた大英博物館グレーコートのReading Roomには、煌めく天井まで達する棚に本が並ぶ。

6月22日(金)
家で萩上直子監督の『トイレット』をじっくりと観る。二度目。パニック障害でひきこもりのモーリーが自分で花柄のロングスカートを縫い、またピアノを弾くところが好き。私もああいう服装でいようかなと思う。

6月21日(木)
老いた手は美しい。テレビで見たのだけれど、長岡純子が亡くなる1年前、82歳でバッハの『シャコンヌ』を弾いた手。試写で観た『オロ』で少年の手をいつまでも握っていたチベットの老女の皺を刻んだ二つの手。

6月20日(水)
福島第一原発のある大熊町から避難した柿崎悦子さん(主婦)の新聞への投書ー「普通」の暮らしの中で「普通」を装うつらさ、買い物の途中で「なぜ今ここにいるのか」と思うことなど簡潔で完璧な文章。何回も読もう。

6月19日(火)
月に一度のご近所さんたちとのわが家での勉強会以外はただ眠い。台風よ、早く通り過ぎて。夜闇の中で街灯の光がにじみ樹々がわっさわっさと揺れる様は、どこか遠くにいるような寂しさをまき散らす。朝はまだ。

6月18日(月)
春風亭一之輔がよかった江戸川落語会の109回目。「受け賜りますれば」何人抜きかで3月に真打になったばかり。喬太郎がオチでとちったのを白酒とたい平が絶妙なフォローをして、さすが落語は語り文化の最高峰。

6月17日(日)
時間がないときに限って掃除をしたくなる。朝からそんな気分だった。小さな三角の白い出窓がとつぜん気になって磨きたくなったし、タンスの引き出しの中も片付けたい。でも本の山には手がつけられないのだ。

6月16日(土)

△8五桂が森内名人が第70期将棋名人戦で防衛した最後の手。その3手前の羽生二冠の▲8九香に期待したのに。好きな駒は香車。自分の名前を一字で書くとき最近は茅よりも香で、これはヤリの気分でいたいから。

6月15日(金)
6カ月でベートーベンのソナタ全曲を聴き終わった今夜。北川暁子ピアノリサイタルの最後にふさわしく第32番で華やかに閉じられた。とくにこのハ短調作品111は、演奏される音にじかに身を浸してこそ、の曲。

6月14日(木)
気になっていた映画『四つのいのち』をWOWOWで発見。牧夫、山羊、樅の木、炭。イタリアの山村に音楽もせりふもなく描かれ、つながるいのちと評判だったけれど、子山羊の鳴き声が切なくて称えたくはない。

6月13日(水)
オンラインで1日にひとつ配信されるジグソーパズルを完成させる5分から8分は、大切な時間。微妙な色の違いをひろって「マラケシュの街角」「黄色の薔薇のつぼみ」などを組み立てる。窓や扉がとくに好きだ。

6月12日(火)
野球のメジャーリーグについて知識がないまま、有名な1994年のストライキについて調べると、そのときは232日間も一切の試合がなかったのに、二つの世界大戦中はワールドシリーズを休まなかったと知った。

6月11日(月)
ローランギャロス・全仏オープンでラファが優勝した。マヨルカ島に生まれ、今もそこに住み、おじさんをコーチとするラファエル・ナダル、26歳、潔い若者。でも着ているものがナイキでなければもっといいのに。

6月10日(日)
暗い雲が頭上を覆い、木を揺らす風はないのに、川面が激しく波打っている。一方に流れが寄せるのではなく、あちこちが渦巻くように慌てふためき、たまに通る船までが先を急ぎ、とつぜん方向を転換したりして。

6月9日(土)
日本の子どもの貧困率が先進35カ国中27位というユニセフの発表はかなしい。子どものための公的支出もGNP比1.3%でワースト7位。数字から実態をはかることは難しいけれど、豊かな成長や教育は見えてこない。

6月8日(金)
関口知宏がすがすがしい鉄道の旅ヨーロッパ編と中国編の一部を見直す。雨の湖水地方が煙っているのが、ちょうど読んでいるワーズワースの雰囲気だった。この案内人はたとえ少しでも自分で荷物を持っているのがいい。

6月7日(木)
日本手拭を5本、さわさわと洗い上げる。1本をナプキンとして横に置き、ご飯茶碗、お椀、小どんぶりに箸置きとお箸。いい加減な日常生活だけれど、和の凛とした美しさに生きている実感をもらうことがある。

6月6日(水)
エリザベス女王即位60周年を祝う行事が昨日まで4日間ロンドンであり、そこにはなんの関わりもないけれど、親指の付け根と人差し指の第2節に巻くばんそうこうはユニオンジャック模様。赤、白、青がきれい。

6月5日(火)
自分自身に落胆したときの気持ちにぴったりの言葉は、多分、「ふがいない」。この頃なんとたびたび思うことか。伏せがちの目をあげさせてくれるのは、ほんのささやかなことだと分かってはいて。がんばろう。

6月4日(月)
ヘルマン・ヘッセ『メルヒェン』(高橋健二訳)の中の短編を拾い読みしていて「別な星の奇妙なたより」に再会した。大水を伴う地震が三つの村を襲い救援の手が届くが、死者を弔う花のないことが人々を悲しませる。

6月3日(日)
旧式の卓上鉛筆削りのハンドルを手で回すのも好きだけれど、前から欲しかった5センチほどの青と銀色の筒状シャープナーを買った。ドイツのステッドラー製。三菱の黄色い消しゴム付鉛筆も2本。全部で598円。

6月2日(土)
オレンジ色と金色を灯した東京タワーを背景に隅田川をすべるように行き交う遊覧船や屋形船を眺めていると、ふっと寂しい。赤い提灯を軒に連ねた船もいいし、ピンクやブルーのネオンが絢爛豪華な船も結構好き。

6月1日(金)
わが家で「流行っている」朝食は、トマトの乱切りにカッテージチーズを添える/細切り人参に刻み胡桃とオニオンドレッシングをかける/ヨーグルトに手作りのマーマレードを混ぜる、などと熱い緑茶か中国茶。