98字日記ー2017年12月

12月31日(日)
福岡の二人の到着にいき合わせて年越し焼肉に、といっても銀座あたりは今日は早仕舞い。「ダイアナ」という神戸牛専門店を近くの月島に見つけ、大正解だった。昭和レトロな店名、美味しさ、安さは癖になりそう。

12月30日(土)
自分の駄目さ加減に気持ちが引きずられる日で「あ~あ」と呟いてばかり。年末に相応しい。でも昨夜遅くMがいいメールをくれたし、夜のTVで全日本音楽コンクールのピアノ本戦をみる。高校生の吉見友貴君が優勝。

12月29日(金)
郵便局、銀行、クリーニングなど生活上の用事を一気に、とはいえスロウペースなので夕方までかかって終える。年賀状は半分書き終えてポストへ。メールで幾つかの返事をしながら、つい気になる調べ事に興味が移る。

12月28日(木)
この休みに本をゆっくりと読みたい。普段は何となくそそくさと、こま切れに読んでいるから例えばここに読んだ!と書く気にならない。でも資料もまとめたいし、ファイル整理もしたい。たまにはピアノも弾きたい。

12月27日(水)
私の好きな書店三つをあげてページ一枚にまとめ、クラスで配ったことがあり、懐かしく思い出してくれた人がいたので、明日のクラス用に「銀座で私の好きなカフェ三つ」を作ってみた。渡すかどうか決めていない。

12月26日(火)
昨日ジョージア語の今年最後の授業を受け、今日が家での英語サロンの今年最後。と言っても毎月と違うわけでなく、1月は来年でなく来月。明後日は新宿の2クラスがあって嬉しい。でも・・8日休みがあるのはいい。

12月25日(月)
横綱日馬富士は後輩力士に暴力を振るい、引退する。その手になる数々の絵を写真でみた。いい青がたっぷりと使われた富士山が多い。傍にいた人達が仲裁しなかったことが問題なのに。本名ダワーニャミー・ビャンバドルジ。

12月24日(日)
有馬記念。武豊乗るキタサンブラックが最初から先頭を走り、そのままゴールを駆け抜けた。引退する綺麗な馬。「ちかちゃん、買ってこようか?」とも言われず松屋裏に自分で行くことも、とうの昔になくなって家で。

12月23日(土)
スペインでカタルーニャ独立の気運が高まり、国内でのさまざまな亀裂が伝えられている。中央政府が高圧的な姿勢をやめないのはなぜなのだろう。今はスマホですぐに呼び出せる、あの切々たる「鳥の歌」を聴く。

12月22日(金)
新聞で年末恒例の「回顧」が始まり、自分なりの順位を思って、やめた。映画だって今年はケン・ローチ、ジム・ジャームッシュ、イオセリアーニなど秀作が多かったし、玉三郎の『阿古屋』も、みたのは映画といえる。

12月21日(木)
指揮者・秋山和慶さんのインタビュー連載から東京交響楽団の歩みを知った。私のクラシック音楽開眼は中学生時代で、この交響楽団の演奏会に香川さんに幾度か連れて行ってもらったから。設立から間もなかったのだ。

12月20日(水)
ロンドンの宮島奈々さんが私好みのカードを送ってくれた。クリスマスの贈り物に相応しい子ども向きの本の表紙や背表紙を20冊くらい並べた写真で出来ていて、カードの上部が本の背丈によってデコボコしている。

12月19日(火)
困っていると誰かが声をかけてくれる。映画『謎の天才画家 ヒエロニムス・ボス』(面白かった)をみに行ったイメージフォーラムでは、手摺りのない階段部分を上れないでいると若い男性が手を差し出してくれた。

12月18日(月)
「パンダ・シャンシャン公開を祝う会」で、明日の一般公開に先駆けて申し訳ないけれど初対面。思ったより身体が大きかった。好きに遊んでいてキュート。忍岡小学校五年生の日本語、英語、中国語の挨拶が素敵だった。

12月17日(日)
BSフジでシリーズ番組化している辻井伸行の海外演奏とその周辺がたのしい。今夜はパリ・シャンゼリゼ劇場でのショパン「12のエチュード」がほぼ全部放映された。ショパンの遺品との触れ合いの後でさらに深く。

12月16日(土)
京浜東北線の架線事故でほぼ昼間中、横浜や川崎方面は混乱していた。幸いにもクラスの人たちは時間通りに来られたが、私は帰りがけに巻き込まれそうになり、戻って4時頃まで朝カルのロビーで時間調整していた。

12月15日(金)
ほとんど家にいて翻訳の添削に忙殺されたので、白菜とハムとシメジのクリーム煮を作った。まあまあの出来で赤ワインとよく合う。問題は量。もしかすると3人分くらいあったと思うのに、いつの間にか全部なかった。

12月14日(木)
バスの中でメトロの中で、疲れている、気分がわるいと思っても、授業となれば全てを忘れ元気になる。といっても二度ほど咳き込んだし、気がつくと顔を下に向け過ぎている。もう少し続けられるだろうか。もう少し。

12月13日(水)
きのうメト・ライブヴューで『魔笛』を観た。モーツァルトのオペラをドイツ語で、と至極真っ当なことが実は初めてだったと思う。コム、なんて科白が新鮮で、『ライオンキング』のテイモアらしい演出の舞台だった。

12月12日(火)
カズオ・イシグロさんのノーベル文学賞受賞記念講演には、内容にさまざまな襞があった。題の My Twentieth Century Evening は米映画『特急二十世紀』を観た夜のこと、という意味だとは・・・改めて文学の面白さを思う。

12月11日(月)
ジョージア語の勉強をする時間がほとんど取れないまま、授業だけは出て頭や身体にその片鱗をとどめている。言葉の一つひとつが持つ色合い、言葉が繫がるための仕組みは民族の心そのもので、どの国の言葉も魅力的!

12月10日(日)
最近AIがらみが多い和光の年末ウインドウは、小さな箱ロボット達が雪山と間違えて巨大な雪男の足と手に取り組む様子。スイッチを押すと足が持ち上がって踏まれていたロボットが現れ、他のロボット達が動き出す。

12月9日(土)
フレデリック・ショパンが知ったらどう思うだろう。150年も後に、東京の銀座のヤマハホールで土曜日の午後、外の喧騒をよそにバラードが、ノクターンが、巧みな指回しで弾かれているなんて。田村明子リサイタル。

12月8日(金)
数えれば10首なのに長い小説を読み終えたような、深い湖のそばに佇むような時となった。唐澤るみ子さんの短歌集『遠き灯』。亡くなられた弟君への慟哭に満ちて。「運命さとすこし恥らひありがとなと/少しほほ笑み告げし君はも」

12月7日(木)
8時間寝て元気を取り戻したつもりでいても、1時間話し続けると喉がおかしい。今日も寄り道したいのを我慢して静かに帰る。『伊豆の踊子』をじっくりと読み、27歳にしてこの文体を生み出した天分に驚嘆する。

12月6日(水)
翻訳塾の半ばで、あ、風邪をひいた、と思った。ロビーでのランチタイムも早めに抜け、横浜から日本橋で一度だけという乗換え最少コースで直帰。床暖房を入れて熱い生姜湯を飲み、ぐだぐだとしている。明日は新宿。

12月5日(火)
まとまった時間が取れない日は、むしろその合間に本屋に寄る。文庫の棚にギャリコの『雪のひとひら』がクリスマス用表紙で並んでいた。後書きもそのままなので矢川澄子さんに電話したかったなあ。また買ったわ。

12月4日(月)
昨日の「きずなの会」で、シニアを見守る会の目的は第一に「孤独死」の防止とあったのを私が反対し、せめて「孤立化」にしてはと言い、採用された。でも他の会との違いを伝えるには元の方が良かったのだろうか。

12月3日(日)
玄関と続いているロッカールームの白い大理石仕上げの床が、雑多にあふれた物でまったく見えなくなっていたので少し片付けた。一度も使わなかったキャリアーも寄贈した。こういうことをする気になったのが不思議。

12月2日(土)
ルーブル美術館が第九の芸術とする漫画文化「バンド・デシネ」には今ひとつ乗れない鑑賞者だが、出版が豊かになり松本大洋『ルーヴルの猫』を買う。翻訳塾新期の課題はサモトラケのニケ題材のエッセイで始めよう。

12月1日(金)
「しかしそこにはもう新しいものがたりがはじまっている・・・その人間がしだいに生れ変り、一つの世界から他の世界へしだいに移って行き、これまでまったく知らなかった新しい現実を知るものがたりである。」(ドストエフスキー『罪と罰』工藤精一郎訳から抜粋)