98字日記ー2016年1月

1月31日(木)

母の誕生日に明るい黄色を中心にした花をかざる。吉祥寺では今日は母がいつも作っていたちらしずしだそうだ。デパートでひな飾りを華やかに売り出しているのを見て、家で飾ったのも母の手があったからこそと思う。

1月30日(土)

白内障の手術をそれぞれの目にして一切の不便さから解き放たれてきたのに、最近、教室の明るいライトが気になり、薄い色のサングラスをかける。それ以外は辞書にもメガネなしなのは幸い。これをキープしたい。

1月29日(金)

全豪オープンのマレーとラオニッチの準決勝をTVライブでみながら色々なペーパーワークをしていて、いま試合が終わった。4時間3分。決勝ではジョコビッチが待っている。私の今日するべきことは全然終わっていない。

1月28日(木)

大仰な黒いタクシーに乗った。運転手さんは声からすると若手で優しかったけれど車自体が特別仕立てで、後部座席の間の肘掛は幅が20cmもあり、背もたれの角度を調節する制御盤がついている。横の窓はスモーク。

1月27日(水)

本を読みかけては中途で休む。次々と読みたい本がでてくるからであり、小川洋子を横目で見ながら現代ジョージア女性作家の作品や、フィリス・バーンバウムの『Manchu Princess, Japanese Spy』の出だしに惹かれる。

1月26日(火)

外国の人達が日本で驚くのが自販機の多さ。真夜中にも煌々と明るく、盗まれもしない。私は町の景観をそこねる邪魔物と思っていたのだけれど、個々についている住所が緊急時の道標として役立つと知って見直した。

1月25日(月)

箱が捨てられない。身の回りをもっと整理したいという気持ちは重々あれど、チョコレートとか羊羹とかクッキーの入っていた綺麗な箱を捨てるなんてとんでもない。かくして缶や木や厚紙の箱があっちにもこっちにも。

1月24日(日)

強い寒気が流れ込み奄美市では115年ぶりの降雪。北陸や西日本に降る大雪を縫って仕事をしているようなMを心配したが北陸新幹線は動いている。改めて東京ー富山間が2時間だと確認した。日帰りでお昼を食べに・・・

1月23日(土)

昨年の米アカデミー賞授賞式の中継で感動的だったレディ・ガガの歌についての裏話。彼女はオリンピック選手のように練習を重ね、本番の舞台から下がってくるなり泣き出して、オベーションを They stood! と言った。

1月22日(金)

「黄金のアデーレ」や「ヴェルサイユの宮廷庭師」など公開が終りそうな映画もあり、今からチェックしている展覧会もある。モランディ、ロベール・クートラス、カサットは絶対。とにかく「ザ・ウォーク」をすぐにも。

1月21日(木)

バスが信号で停まった時、車中の真ん中から80代半ばの男の人が運転席に近づき、「スポーツセンターは停まるでしょうか」と聞いた。かぶっていたオレンジ色の毛糸の帽子をさっと取って。礼儀正しさが胸に迫った。

1月20日(水)

少し疲れてコーヒーを飲もうと思うとき、最近見つけたJACK が気に入っている。焦がしキャラメル×アーモンド。砂糖が多い・・・と気にはなるものの、疲れを取るほうが大切と自分に言い訳しながら口に運んでいる。

1月19日(火)

午後いっぱいをアメリカのひと3人と仕事場で話し込む。ひとりが日本語を話さないので、今日は英語。本は読むけれど話す機会はめっきりなくなった最近、わあ、言葉が出てこない。慣れていないとだめということ。

1月18日(月)

ここの私書箱にたまに飛びこんでくる幸せは独り占めする。好きな船の写真、本の問い合わせ、感想など。最近、ある窓口で示した保険証で私の名前を見て日記と本の読者だと書いてくださる方があり、happiest surprise!

1月17日(日)

「ぐでたま哲学日めくりカレンダー」には曜日が入っていず、毎日お休み気分という、ぐでたまぶり。今日は「ふんだりけったり」ならず「ふんって言ったり、けって言ったり」。けっこう反骨精神にも満ちているのだ。

1月16日(土)

パウラ・モーダーゾーン=ベッカーをみに行ったのは、何と2006年のことだった。今日はヘレン・シャルフベック。私の中に自画像を刻みこんだ二人の女性画家だ。葉山の近美に7人で行く。窓外の海が綺麗だった。

1月15日(金)

机の引き出しから父の写真が、ふと、出てきた。1993年1月にブリジストン美術館で撮ったものだ。灰色のズボンに黒い革靴、薄茶色の外套とベレー帽。98歳のとき。美術館は改装するとのことで今、跡形もない。

1月14日(木)

クラスには病と折り合っている人たちも多く、今日のように全員揃うと嬉しい。昔パーキンソン病をした人、間もなく変形肩関節症の手術の人、白内障の人、アトピーに悩む人など。体はどこかに故障があって当り前。ね。

1月13日(水)

先月の福岡市博物館訪問で。志賀島で発見された金印「漢委奴国王」の本物を見ることができたし、見事な展示工夫により感触や重さも体験した。「気合いを入れて観察すれば本物のシャープさが分かる」という説明だった。

1月12日(火)

東京も初雪。ミエさんがいうノリコさんと私の性格の違いは何だと思うかMに聞く。私は物事の結論をすぐに出し、ノリコさんはじっくり考えて結論を出す過程を楽しむという。たしかに私は後で考えるか全然考えない。

1月11日(月・祝)

マーク・ヘルプリン『白鳥湖』(村上春樹訳)がどうして届いたのだろう。そうだ、最初はTVで変な映画「ニューヨーク冬物語」を観たからで、原作と著者が気になり、調べて、この古書となった絵本に辿り着いたのだ。

1月10日(日)

恵文社一乗寺店から本を買うのにファミリーマート指定にして木場のバス停横の店で振り込む。あっという間に終わる。すぐ本が届くはず。でも今日のランチのように大切な二人と老舗でゆっくりとという時間が何より。

1月9日(土)

長らく書きかけていた手紙を仕上げ投函して戻ってくると、その歌人の唐澤るみ子さんから郵便が。美しい装丁で抵抗の句が10句、詠まれていた。「わが祈り小さき種子とし夜に蒔けば 朝やけに咲く一花あらんよ」(『秋の虹』から)

1月8日(金)

毎年このあたりは、ふっと寂しいとき。友人に手紙を書くのにふさわしいとき。でも相変わらず、ぐずぐずとしているだけで窓ガラスを拭いたりするとき。ネットで本を買いこみたくなるとき。コリン・ファレルを注文。

1月7日(木)

明日から小学校の新学期。4月には新しい学校を誕生させるヨシミ校長先生にシクラメンをひと鉢、送った。心からの激励をこめて真っ赤な花にする。すぐに「もう校歌は決まりました!」と弾んだ声を聞かせてくれた。

1月6日(水)

レイ・ブラッドベリの文章のうまさは何といえよう。SF以外の作品にこそ時空間を超える世界が詰まっている。個人的体験に普遍性を込める深さ、筆致の見事さ。訳は難しい。翻訳塾最初の課題は『プンパーニッケル』。

1月5日(火)

おせち料理は吉祥寺で。目ではネットで博多から送られた見事な一式を見る。自分ではしないのに、きちんと調えるのはいいなあと思う。金銀黒を基調とした器もきれい。私は明日からクラスが始まるのに、まだ添削中。

1月4日(月)

新宿の病院から指定の店へ。以前はとても遠く感じて、今日も行きたくなかった。ところが実際にはなんと近かったことか!自分の身体の有りようで決めつけていることが、ほかにもきっとたくさんある。人に対しても。

1月3日(日)

イタリアに34年前に誕生したファツィオリというピアノが気になっていたが、「もうひとつのショパンコンクール」という番組でよく分かった。調律師(越智晃氏)にライトをあてた話。もちろん私はカワイを応援する。

1月2日(土)

合言葉の英語はパスワード。でも日本語の中では違う。ATMで「合言葉は?」なんて聞かれない。お伽噺で「パスワード!」なんて怒鳴られない。全日本人が持つものをマイナンバーなんて舌足らずの英語でずっと呼ぶ?

1月1日(金)

離れた国同士が友好的な関係を維持し、ひいてはひろく法で結ばれ、人類がついに世界市民となることも可能なのだ。戦争を起こさないための国家連合こそ、国家の自由とも一致する唯一の法的状態である。(イマヌエル・カント『永遠平和のために』池内紀訳から)