98字日記ー2012年9月

9月30日(日)

秋「けふつくづくと眺むれば/悲の色口にあり/たれもつらくはあたらぬを/なぜに心の悲める/秋風わたる青木立/葉なみふるひて地にしきぬ/きみが心のわかき夢/秋の葉となり落ちにけむ」(クロアサン 上田敏訳)

9月29日(土)

毎週のグルジア語の授業のための予習というか宿題というか、なんとか一通りすませるために行きの地下鉄の中の時間まであてにしている。「我慢できない」という動詞の目的語は予格になって口をついて出なくては。

9月28日(金)

電車の優先席にためらわずに座る若い人のほっぺたをぱしんと叩きたい。せめて席が空いたらと待っているお年寄りがいても、座っている人の前に立つ若い人のお尻を、ばしっとバッグで叩きたい。目を覚ましなさい!

9月27日(木)

静岡のベルナール・ビュフェ美術館から取り寄せる卓上カレンダーが、もうすぐ残り3枚になってしまう。トルチェッロの教会の絵から黄色い片口のある静物へ。そろそろ来年の分を注文する時期なのだろうか。秋の到来。

9月26日(水) 

午後5時半。夕陽が東京タワーの横に落ちた。まだ空だけが金、青、灰色に光っている。凄い、秋。築地の市場の奥で電気が長く列になって灯った。ジェームス・ディーンは母が好きでした、という世代と話せるのも幸せ。

9月25日(火)

大切にしている一冊を、取り出してみた。上村松園の『青眉抄』。昭和52年発行の新装版だが、松園唯一の随筆集で、いく度読んだことか。無数の縮図帳に自身を描いたものはなかったか、手掛かりを求めてみよう。

9月24日(月) 

今週はなぜか、というか理由はわかっていて、5クラスある。よく「ふと気がつくと」と訳されることが多くて、そのたびに「状況を表しているフレーズだから必ずしも訳さなくても」と言う “I find myself” の感じ。

9月23日(日) 

自民党総裁撰に立候補して「政権をとったら倍のスピードで復興を進める」と言う人がいる。身を削って被災者のために奮闘しようというのではない。むしろ復興という言葉に危機感さえ覚える。まるで金儲けのよう。

9月22日(土) 

昨日の椎茸や緑豆のジョンとマッコリ、今日のサーモンやアボカド、ドライトマトを包んだガレットとシードル。ビールがおいしいようにと選んでグラスを二つ買ったMは何と合わせるのか。わたしの寝酒は冷たい焼酎。

9月21日(金)

四谷アート・ステュディウムへ行くのに勝どきから四谷駅前までバスで一本。銀座からお堀端、麹町を抜けての40分は、夜にでかけなくなっているので新鮮。これから話すことをまとめるのにちょうどいい時間となった。

9月20日(木)

きのう、バスの中で隣の人に教えられた。「虹が・・・」夕闇がおりる寸前の東の空に綺麗な虹。しばらく一緒に眺めた。そのあとタクシーで運転手さんに話すと、即座に、きっといいことがありますよ、と言ってくれた。

 9月19日(水)

 気持ちはバリー・フラナガンの野うさぎ。三日月と鐘のうえを跳ぶのも、鉄床の上でボクシングをするのも憧れ。実際には、そんなに身軽であるわけもなく、ただ、どさっと座って次の日のためのことをしているだけ。

9月18日(火)

なぜか不得意なのが郵便を出すこと。受け取るのも得意ではない。郵便受けから取るだけなのに、そういかないときに心にのしかかる。手紙を貰うのは大好き。書くのも嫌いではないのに、この駄目さ加減はなんだろう。

9月17日(月)

最果てアーケードに店をもつとしたら、なにを売ろうか? 小川洋子はこちらの期待感を決して裏切らずに、レース屋や軟膏屋を開いてくれた。思い出ではなく、これから使うための小さなオルゴールか、あ、手帖がいい。

9月16日(日) 

調べることばかり多くて、なんの結果も出せない一日だった。ド・ボトンが「いきいきしている」と評するヴァージニア・ウルフのある日の日記を思い、それを見習いたいというより私も青い服を欲しいと思ってしまう。

9月15日(土) 

人の名前の出てこないこと! 授業中にアラン・ド・ボトンは好きですか?と聞かれて、好きでも嫌いでもなく、紀行文で好きな書き手はブルース・チャトウィンと言おうとしたとたんに、その名前が頭の中から消えた。

9月14日(金)

雲って、面白い。見ていて何の足しにもならないのに、いつまでも見上げてしまう。灰色の雲が大きいのや小さいのやたくさん流れていて、アシカの行進のよう。ゆっくりのようでいて、あっという間に遠くに行っている。

9月13日(木)

排水管掃除があるので流しもバスも洗面台も全部きれいにしたのに、予定の9時になっても誰も来ないしご近所もしんとしていて、何かがはじまる気配がなく、張り出されている予定表を見にいけば10月の今日ですって。

9月12日(水)

日夏耿之介は「彼女」という言葉が大嫌いだったとか。でも英文学者として、sheをどう見ていたのかしら。私は嫌いだからというわけではなく美しいと思えなくて、なるべく「彼女」を使わないで表現しているけれど。

9月11日(火)

朝、尾が長い鳥たちが木から木へと飛び移るのを飽かず眺める。いつの間にか30年も同じ処に住んでいるけれど、建物を囲む樹木が大きくなり葉が茂るにつれて訪れる鳥の種類が変わってきた。たくさんいた雀はどこへ?

9月10日(月)
わけもなく、心が伸びやかに晴れない日がある。きのうは浮かれていたのに今日は沈んでいて、まるで一人シーソー。そういえば最近遊び場にsee-sawがない。直訳「見るー見た」の日本語はなくて、やはりシーソー。

9月9日(日)
歌舞伎の舞台には隅から隅まで日本の素敵がぎっちりと詰まっていて、襖や違い棚まで嬉しいと思ってしまう。吉右衛門の見得も久しぶりに堪能した。拍子木の澄んだ響きを胸におさめて、銀座までゆっくり歩くと風は秋。

9月8日(土)
朝日新聞の秋場所番付の横の記事がよかった。外国出身力士の食べ物の苦労が中心。モンゴルでは「死んでも目を閉じない魚は神聖な生き物」で、旭天鵬は来日して生け作りが出てきたとき「マジで泣いた」という。

9月7日(金)
家を出られない人たちにメールやインターネットを使うよう勧めながら、第一歩の難しさにたじろいでしまう。自分でも最小の範囲でしか使いこなしていない。シニアたちにどう取り入れてもらうかもっと考えなくては。

9月6日(木)
さっき雨が降り出し、見える世界すべてが濃灰色だったーーいまとつぜん薔薇色の光を含む雲が広がり、川面まで銀色とオレンジとピンクの色に染め上げた。束の間。そして、夜。どうか誰も寂しくありませんように。

9月5日(水)
擬音語がたくさん出てくる翻訳文を絶賛している評を見た。原文は普通の動詞、副詞で書いてある。困るなあ、と感じるのは偏見か。自分自身、会話では擬音語大好きだからこそ自戒をこめてきれいな日本語を書きたい。

9月4日(火)
『これが三陸唐桑だ』――唐桑漁船員が寄稿していた世界の港63カ所の地図と、それに呼応する林のり子さんの10種類のレシピ(カツオのセビーチェとか)を箱に詰めたリトルプレス。これも復興への気持ちの向け方!

9月3日(月)
吉田隆子という名前から胸にこみあげてきた(長年、そのままになっていた)こと——渡辺(久保)マサさん、久保栄全集、「火山灰地」、劇団民芸、デイヴィッド・グッドマン、藍印花布。マサさんは昨年亡くなられていた。

9月2日(日)
勝どき橋も左右に広がる川辺のベランダも、よくTVや映画の舞台になる。今日も盛んにフラッシュがたかれている。ひとり悩んだり愛の告白をするとき、なぜ水辺なのかしら。犬を連れた人が通れなくて困っている。

9月1日(土)

祝祭に疲れた夏の/やさしいゆうぐれ/水は澄み/魚は沈んでいる/・・・くちばしに/黒い音ひとつくわえて/最後の鳥は通りすぎた/さらば夏よ/去りゆく足をはやめよ/星はしずかに水に落ちる(多田智満子「晩夏」から)