98字日記ー2014年5月

5月31日(土)

電車の中で妖精のように耳が尖った男の子をみた。座っているのを斜め上から見たので、角度のせいかと思ったけれど、前に回ったとき、耳の穴がパカッと大きく開いていて、やっぱり驢馬のようだった。かわいかった。

5月30日(金)

朝、連ドラの後、15分だけ朝チャンに寄るのは夏目三久の様子とグデタマを見るため。いつもソックスで若々しく、沈着で、明るい司会ぶりにほっとし、グデタマのひねくれ度が自分とぴったり同じなので嬉しくなる。

5月29日(木)

PCとかスマホとかヴァーチャルな世界での人の触れ合いが歓迎されている。例えば教師だけが参加する専用サイトで互いに悩みなどを語るというが、生身の人間と向き合うことが必須の職業に、それでいいのだろうか。  

5月28日(水)

アルフレックスの大き目のソファとオットマンが気に入っているのに、最近、柔らかすぎる気がしてきた。丸テーブル用の椅子をひとつ、ベランダを背に置くと、青い木製ブラインドと色が合って、うん、なかなかいい。

5月27日(火)

NHKのアーカイブからの再放送はたいてい必見(訳語だったら直し)。昨日の蕭白は襖絵をコンピューターと印刷で実物大に再現する大胆なものだった。今日は前に見た雪舟で、あの山水図の中を歩くシーンに再度、感激。

5月26日(月)

翻訳のクラスで、例えば課題ごとに訳し方や文法のポイントを書いて配ると、とくに新入りの人には喜ばれると思いつつ、やらない。各自に任せてこそ、独自の伸びやかな言葉を引き出すことにつながると信じているから。

5月25日(日)

アンケートで好きな文房具をあげる。付箋紙、手帖、方眼紙、鉛筆、鉛筆削り、消しゴム・・・栞は文房具なのかどうか。昔は上等な軸ペンとインク壷と吸取紙に憧れていて、買えるようになったら使わなくなっていた。

5月24日(土)

入社した年、海外出張から帰って週刊朝日に書いたコラムに手紙をもらった。50年も昔になるが今も手元にある。新米を励ましてくれた差出人は「一読者」とだけ。多分同い年くらいのその人は覚えていてくれるかしら。

5月23日(金)

トマトや牛乳など重いものを中心に朝のうちにマルエツに頼むとお昼には届くのが嬉しいうえ、パンは焼き立てなので紙の袋に入れてある。皮がぱりっとしていて、いい匂いが漂い、すぐ全部食べたいという誘惑にかられる。

5月22日(木)

なぜか数日前から家でつくる天ぷらが食べたかった。今日二つの授業を終えて、やっと実行できた。まず大根おろしをたっぷり作っておいて、人参、玉葱、茄子、大葉などを揚げる。期待していたほどの出来ではなかった。

5月21日(水)

五月の雨は緑をこよなく美しく輝かせる。枝葉が両側から覆いかぶさる細い道の口に立つと、歩いて入っていきたくなる。入っていかなくとも、しばらく立ち止まって大きく息をする。牧南さんは外に出られないかしら。

5月20日(火)

ギリシャのスペツェス島について読むうち踊りといえば、と、まず細長い顔を思い出す。あとは一気呵成にアンソニー・クイン、『その男ゾルバ』。海辺で二人の男性が両手をあげて踊る、あの胸疼く調べとリズムを。

5月19日(月)

東銀座で地上に出て、歌舞伎座からバス停「築地」まで歩いてバスに乗るコースもいい。左手の小さな公園の生け垣の花が美しく、それぞれごく小さな真っ白な花びらの先だけが濃いピンク。その花の名前を知りたい。

5月18日(日)

昨夜は1時半に起きるつもりが眠ってしまい、2時半から1時間みただけだったけれど、「ロックで大人になった忌野清志郎が描いた絵」は感動ものだった。自画像など明るい色彩の絵、歌と歌声、初めて見る沢山の素顔。

5月17日(土)

急に真夏の日差しを浴びたかと思うと冷たい風が激しく吹いてきたりする。カリフォルニア南部では記録的な猛暑に加えて山火事が発生し数千人が避難する事態。サンディエゴ大学のJ先生はどうしているかしら、心配。

5月16日(金)

今年も沖縄で平和行進が始まった。参加できないけれど差し入れだけ。初めて辺野古から出発して3日目は普天間飛行場まで歩くという。なんだかなあ。基地とか無人爆撃機とか集団的自衛権とか、花なら何億万本にも。

5月15日(木)

久しぶりに新宿のエクセルシオールでコーヒーを飲みながらMを待つ。週日の午後は回転が速く、営業途中の会社員らしき二人とか三人とかが椅子に浅くかけては出ていく。外の大樹の葉が緑濃く、くつろぐひととき。

5月14日(水)

ゴーリーのカレンダーでは3月が英語の26文字を組み込んだ26の韻を踏んだ言葉と絵で、あまりに好きで、いまだに4月にも5月にも進めない。GBeyond the GlassWe see life pass.

5月13日(火)

各出版社のPR誌に捨てがたいものが多い。15年前の集英社の『青春と読書』で堀田善衛さんを偲ぶ特集。長女の百合子さんによる、父親のひと言「諸君、もう寝ましょうか」で毎夜、家族が自室に引きあげる話など。

5月12日(月)

借りた本にかけるためコレクションの中から内容に合うラッピングペーパーを選んだ。緑と赤とクリーム色の縞。外国の雑貨屋とかキオスクなどで売っている普段の生活の中で使う包み紙だ。キッチュな安っぽさが好き。

5月11日(日)

エルメスのアーティスト・イン・レジデンス展には豊かさ(いろいろな意味で)と自由の響きがあった。「職人の技と現代美術の創造性」がうまくサポートされて、望ましいお金の使い方ってこういうことじゃないかと思う。

5月10日(土)

間違ったバスに乗り修正方法が分からず、いつも晴海埠頭行きの途中で降りるから埠頭に行って戻ろうと考える。かくて小旅行をしてすこし海を眺め、埠頭発のバスでなんと7分で勝どきに。逆から来るのも新鮮だった。

5月9日(金)

無為の日。あれもやらなきゃ、これもやらなきゃと思うもののやらないで、どうでもいいことだけする。書かなくては、とか書きたい、と思う手紙も沢山たまっている。でも書かなかった。いい写真を眺めて過ごした。

5月8日(木)

基一の名を知らなかった人が翻訳塾でかなり多かった。よかった、と思う。この異才を知ってもらう機会となったから。19世紀のウェールズで馬が運河沿いの道を歩きながら船を曳く光景を訳し、次は江戸の屏風絵。

5月7日(水)

翻訳塾は連休の谷間を縫っていたので今日は横浜A。ついついあら探しになってしまうのが辛いけれども、基本的には間違いのない訳をしてほしい、というか自分でもしたい、と思う。言葉について雑にならずに丁寧に。

5月6日(火)

銀座を通っても森閑としていた連休最後の日についに探し物、発見。引越しでまとめた紙類の中にあった。もっと早く見つかっていれば映画を観にいかれたのに。のり子さんとビールを飲み牡蠣を食べたから良しとする?

5月5日(月)

マイペースであちこちの美術展を訪れているけれど・・・いいなあと最近思ったのは、じゃがビーの箱の絵。『幸せな牛』(イギリスの8歳)、『夜の合唱団』(中国の7歳)、『休んでいるフクロウ』(アイルランドの5歳)

5月4日(日)

『おみまい』は矢川さんの唯一の自作文の絵本だったのでは、と確認した『ユリイカ』の冒頭がなんとこの絵本の自筆原稿だった。私の中で二つが重なっていなかったのだ。それほど宇野・絵とともに完成された世界!

5月3日(土)

施行から67年の憲法を記念する日、文字をダンスの形で体感する。神楽坂セッションハウスで笠井叡さんの「日本国憲法を踊る」。日本国民は・・・国権の発動たる戦争と・・・手段としては永久にこれを放棄する。

5月2日(金)

物が下に落ちるのをとどめる発明はないものか。床から拾い上げなくてすむように、なんでも床上50センチくらいに浮かぶよう、目に見えない層を張っておく。落ちた物はそこにのっているので、適当な時間ごとに集める。

5月1日(木)

だあれもいない みちばたの/かきねにさいてた あかいバラ/でもやっぱり みつかってしまったの/ネコさん ネコさん/このバラ/とったこと/だれにもいわないで/だって おばさんのおみまいに/なんにも あげるものがないのですもの/なぜ だまってるの/そんならおまえも/おみまいにしてしまうよ(矢川澄子最初の自作絵本『おみまい』の冒頭)