98字日記ー2020年6月

6月30日(火)
サンドラ・ブロックの映画をみれば元気が出ると今朝、思っていたら午後、TVで『デンジャラス・ビューティー』放映。でも・・あまり面白くなかった。原題の Miss Congeniality は中で「ミス 友情」と訳されてよかった。

6月29日(月)
日差しが熱くなってきた。Mが取り寄せてくれた日傘を初めて差す。布が特殊で熱気を遮断するらしい。外を歩くことは少ないけれど、これからの2ヶ月、守ってくれますように。東京のコロナ感染者数は今日60人。

6月28日(日)
大人数の家庭は気を使うだろうと思う。一人が外からコロナを持ち帰っていて気付かず6人家族全員が陽性に、といったニュースが毎日。一人ぐらしはのんびり。もうサロンも開かず、あっという間に机の上が本の山。

6月27日(土)
映画『キャスパー』に出てくるお化けたち、私のところにも来てくれないかな。この世にいない人を捜してはいけないらしいけれど、私は会いたい。今を共に経験している人たちとも会えない状況はいつまで続くのか。

6月26日(金)
築地市場にあった高い建物が全部取り払われ、隅田川の向こうに浜離宮庭園の森(?)が端から端まで勝どきの部屋から見えるようになった。汐留の新ビルが建たなければ東京タワーがきれいに見えていたのに・・・

6月25日(木)
百日ぶりの新宿住友ビルは、ピカピカの新しい建物になっていた。探検してみたい。白いダンボールの縁がついた透明スクリーンの後ろに納まる私は、中継をしているようですと言われる。象形文字と絵文字の課題。

6月24日(水)
昨日、どうしても気になって「アンティークの祝祭」をもう一度みた。パンフレットを読んだので細部まで意味がわかり、からくり人形もじっくりと眺める。意識下のものが姿を現したと思える女の子の姿なども納得。

6月23日(火)
数日前、TVドラマ「愛していると言ってくれ」の最終回をみた。聴覚障害のある主人公役・豊川悦司がかっこいい。25年前の制作だったことが現実と重なり、そんな昔ではなく今と容易くつながることに胸が痛んだ。

6月22日(月)
朝5時半。ついにシカゴの和子ちゃんと電話で話す。ホームのコンピュータを通じて携帯につながるらしい。雑音が多くてすっきりした会話ではなかったけれど、すぐに茅香ちゃん? と分かってくれた懐かしい声と口調。

6月21日(日)
面会できなかった姉にも家族が15分だけロビーで会えるようだ。どこのホームや施設も同じようなコロナ対策をしているのだろう。姉は新聞をよく読むので事情は分かっていると思う。お仲間と百人一首をしているとか。

6月20日(土)
長崎県と佐世保市が40年来進めてきた川棚町・石木ダム造成にともない、最後まで残ってきた13軒の土地所有権が今日の深夜、消滅する。話合いがほとんどないまま強制収容を実行する暴挙はどこから生まれるのか?

6月19日(金)
昨日、インプラント、完全に終了。きれいに入って噛み合わせもかっちりとしている。お煎餅でもパキパキと食べられるのは有難く思うべきなのだろう。でも丈夫でいるのが一番というわけでもない気がしている。

6月18日(木)
現美で展覧会を二つみる。「オラファー・エリアソン」は力を持った華麗さを感じたものの私には咀嚼できなかった。「ドローイングの可能性」はよかった。マティスの詩の挿絵が素敵!石川九楊に触れたのも大収穫。

6月17日(水)
3カ月ぶりの横浜教室での翻訳塾。大きな部屋で一人一人の間を開けた席、私の前に透明板、マイク。防御になるのかしら。帰途、玉川田園調布のパテ屋へ行き、待望のパテを各種ゲット。のり子さんと話せてよかった。

6月16日(火)
電車のなか以外、居眠りというものをしない私だったのに、この頃気がつくと夕方と夜の間に、ふわっと30分くらい眠っている。夢を見ているのは確かなのだけれど、どんな夢かは覚えていない。変な時間の落とし穴。

6月15日(月)
新型コロナ対策自粛で家にいる状況にすっかりはまっている。家にいるのもいいし、出かけたい時は好きな時間に出かけ、乗客3人などというバスに乗り、メトロも大抵は一人おきに座れる。映画館も客は10人くらい。

6月14日(日)
銀座で映画『アンティークの祝祭』をみる。カトリーヌ・ドヌーヴ扮する老婦人が人生最期の日に庭で豪華な家財を売り出す。娘とも20年ぶりに会い思い出や記憶が錯綜する。あの『やさしい嘘』のベルトゥチェリ監督。

6月13日(土)
ドビュッシーの「チェロ・ソナタ」第3楽章だけという短かさだったけれど、素晴らしい演奏だった。TVで。チェロ=岡本侑也、ピアノ=藤田真央。そろそろ生の演奏に接したい。でも2時間も座っていたくはないかも。

6月12日(金)
ふと春を感じたくなった。穏やかに光る春ではなく、峻烈に透き通る雪の遥かうえで煌めく星に見る春。宮沢賢治『水仙月の四日』は青空文庫ですぐに見つかる。「お日さまは・・白い火をどしどしお焚きなさいます。」

6月11日(木)
あのヴィヴィアン・リーとクラーク・ゲーブルの映画『風と共に去りぬ』が奴隷制美化という理由で配信中止になるという。今さら。舞台の時代背景と制作年度を意識させれば歴史的証言となる。オペラはどうする?

6月10日(水)
美術館がいくつか扉を開け、『画家が見たこども展』を三菱一号館でみる。スマホでの日時予約、入り口で検温、手の消毒と物々しい。ボナール、ドニ、ヴュイヤールと好きな画家たちのはずが何か心も弾まず。

6月9日(火)
この数日、50年前の1年2カ月にアメリカから届いた300通近い手紙を読み直して、それからの歳月に違った埋め方があったかも知れないという思いにとらわれながら、今朝、読み終えた。これで抜けられるだろうか。

6月8日(月)
昨夜の「サイエンスZERO 」は電子顕微鏡の達人に密着するものだった。人間の体内の細胞を立体的に色付きで撮影するもの。昔の手紙で顕微鏡で見られるように標本を作る苦労を読んでいた時だったので感慨深く。

6月7日(日)
日にち薬は確かにあって、時間はかかるけれど必ず効くと牧南さんは言う。ご主人が亡くなられた時、2年経ってようやく落ち着いたとのこと。きっと幸せな思い出があればあるほど辛さ、寂しさ、悔いは深いのだろう。

6月6日(土)
ニューヨークシティに1週間の夜間外出禁止令が出た。新型コロナではなく、黒人男性を膝で押さえて死に至らせた警官への抗議、派生した暴動への対処。ティファニーやサックスの前面が板で覆われた写真がさびしい。

6月5日(金)
スウィフト著『ガリバー旅行記』の柴田元幸・新訳が朝日の金曜夕刊小説として来週始まる。そのための今日の特集はワクワクと期待感をかき立てる楽しいもので、原文付きの解説も含め翻訳塾の人達に読んでほしい。

6月4日(木)
我が愛するグデタマの「牛乳パッククリップ」が優れもの。開封した牛乳の紙パックの口をバシッと押さえて冷蔵庫の臭いがうつらないし、賞味期限が見えるように透明バーが付いている。Mが福岡から送ってくれた。

6月3日(水)
翻訳塾の再開講も初めは郵送方式にするので、クラスによっては訳稿がポツポツと送られてくる。しごと場ではなく自宅へ。郵便でも、つながっていられるのは嬉しい。気持ちが落ち込んでいるので、励まされる。

6月2日(火)
きのうはジュリー・ロンドンの歌からフレーズを取ってここに載せた。もう50年も折にふれ聴いてきた Fly me to the moon や The end of the worldや Vaya con Dios。そしてもちろんヴィッキー・カーの It must be him.

6月1日(月)
When I grow too old to dream/I'll have you to remember/When I grow too old to dream/Then your love will live in my heart・・・「夢見る頃を過ぎても」