98字日記ー2013年2月
2月27日(水)
今週は翻訳塾のクラスがすべてあり、50人近くの方たちに会える。個人的なことは何も聞かないけれど、休んでいる人から「豪雪の地に赴任した夫の手伝いに来ています」と氷柱の写真入りメールをもらうのも嬉しい。
2月26日(火)
フリージアの黄色の花が一斉に開いて、白い花器に溢れている。うれしい。もうすぐあちらこちらの道も花に埋もれる。今年はとくに春が待ち遠しい。春になればきっと爽やかな日々があると、なぜか思い込んでいる。
2月25日(月)
米アカデミー賞の作品賞は『アルゴ』がとった。気になって公開と同時にみたし面白かったけれど(ここでパンフレット評も書いたけれど)、最高峰かな。衣装デザイン賞の『アンナ•カレーニナ』を観にいかなくては。
2月24日(日)
国際文化会館へ六本木駅から久しぶりに歩いていった。ロアの先で曲がるまでの道筋に並ぶ店が様変わりして、おおらかな明るさが消えてしまったのに愕然とする。曲がれば、東洋英和や鳥居坂教会の変わらぬ佇まい。
2月23日(土)
明日は市場が休みで対岸から見る隅田川の川面は真っ暗。そこに夢のごとくひとつ、またひとつと屋形船が煌めきながら現れては消えていく。東京タワーは7時から淡ピンクのダイヤモンドヴェール。久しぶりの夜景色。
2月22日(金)
玄関を入ってすぐの大きな花瓶に活けられた紅梅。え、本物?と思わず指で触れる。枝ぶりもよく、どこか地方から運ばれてきたにちがいない。仕事をするだけの場所を潤してくれる四季の先取りにいつもほっとする。
2月21日(木)
2日前、「かんだやぶそば」が火事で全焼した。4年ほど前までの数年間、大晦日に夜更けてから年越しそばを食べに行き、その足で神社で新年を迎えていた。粋な門を入り、まず熱燗とそばがき、締めがせいろだった。
2月20日(水)
黒田夏子『abさんご』を単行本で読みおえた。「なかがき」もよく、しっとりと読み込む。<やわらかい檻>のように五感すべてで受けとめられるのも詩のようで楽しかったが、同じ体験があるからこそ。夏の蚊帳のこと。
2月19日(火)
とつぜん、というのもいい。前から約束しているのでも、待ちわびているのでもなく、これからどう? というのが気が楽。この間のしゃぶしゃぶは美味しかったし楽しかった。ふらりと、の連続で過ごしたい気分でいる。
2月18日(月)
不調。気持ちがふわっと浮いている。自分がいやになり、誰かれにごめんと謝りたくなる。でも作業的なことはすいすいとやっていて、これが長年の仕事で培われた反射神経のなせるわざかと、またひねくれてみたりする。
2月17日(日)
ストラヴィンスキー「夜鳴きうぐいす」を朝6時からの番組でじっくりときく。N響の演奏会形式。なんて魅惑的な作品! 会場で聴きたかったと思いつつ、煎れたてのコーヒーの香りを楽しみながらというのも至福の時。
2月16日(土)
いつまでも明るくならない朝、さっと暗くなってしまう夕方——そこで冬を感じていた。今日はまともに冷たい風にさらされて、ああ、これが冬だったと思い知った。バスを待っているとき鋭い寒さに身体が痛かった。
2月15日(金)
翻訳塾の5クラス全部がある週は、さすがにきりきりと追い立てられる。祝日の関係で今週のように重なることもあり、好きなことだから苦にはならないけれど、ほかのことは一切できない。確定申告、掃除、手紙の返事・・・
2月14日(木)
自分の顔にうんざりして、だて眼鏡をかけてみて2週間。JINS の安い縁は柔らかく、好きな濃青が冴えざえとして心地よい。かけなければならない人には申し訳ないが、多分ほこりも入りにくいし、次は何色にしよう。
2月13日(水)
大島敦子さんが亡くなった。附属での3年間、尊敬し大好きなクラスメートだった。いつも古い運動靴をはき、男の子用のズックの肩掛けかばんを斜めに掛け、背が高いのが申し訳ないかのようにうつ向き加減だった。
2月12日(火)
なぜかコルソコモのトートバッグが気にいって、夏でも冬でもこればかり使っている。表が黒い大型のは毎日の酷使に、さすがに縁が擦り切れて白くなってきた。裏地の二重丸模様が好きなのかも知れず、まだ使えそう。
2月11日(月)
『乙嫁語り』の5巻ではライラとレイリのふたごの結婚式がたくさんの人たちの祝福を受ける。揚げ餃子も揚げ砂糖もおいしそう。晴れ着が華やか(墨のペン画でも)。その温かな喜びを実感できるのはなんという幸せ。
2月10日(日)
ピナ・バウシュの「私と踊って」を題材とする珠玉の短編とのことで恩田陸の同名の本を読んだ。きれいな小品だけれど、ピナが踊るのを作者は見ていないのがわかり残念。空想だけでは感性で捉えたものが底にない。
2月9日(土)
新宿のウイグル・レストランは初めてだった。店に入ったときの匂いが違う。お茶の香りも。頼んだトルファンコースでいろいろな料理を四人で楽しむ。ハチャプリに似たゴシ・ナンの詰め物は羊の挽肉と野菜らしい。
2月8日(金)
好きな物を机の上に散らかしてある。薔薇一輪。それが好きなことを知っていて贈ってくれた誕生カードは日付が2000年だから、12年も前にミラノから届いたもの。カードの横に毛糸編みの小さなライオンがいる。
2月7日(木)
『ギター弾きの恋人』を家でみて明日はジャンゴ・ラインハルトを一日中聴いていたい。ギターを自分でも弾いていたのは二十代。三十代はチェロで、それからピアノの目標をミクロコスモス最後まで。すべて未完のまま。
2月6日(水)
大雪の予報に振り回され、緊張して待ち構えていて空振り。この間のように目が覚めたら雪、というのがいい。まあ、自分勝手な言い分に過ぎず、予測のつかないことがあるのもわるくない。気象予報士さんはご苦労様。
2月5日(火)
何かをしなかった後悔よりも、した後悔のほうがまだいい。そう思って余計なことを抱えこむくせがある。際限もなく、しなければならないことに追われながら息が切れそうになり、アイスクリームを食べてごまかす。
2月4日(月)
「ヒロ・オブ・ニューヨーク」のシャンプー台に座ると目の前にニューヨーク・シティの夕景写真が4米ほど横に伸びている。ツインタワーが輝いていて中では大勢の人たちが笑ったり話したりしているのだ。きっと。
2月3日(日)
NHKの証言記録「東日本大震災」は、毎月、ひとつの市町村の人々の姿を描く。今朝は釜石市箱崎町。ただ、もっと頻繁にあっていい番組だし同じシーンを繰り返す編集はやめて、ひとつでも多くの事実を見せてほしい。
2月2日(土)
グルジアの娘が葡萄や果実を捧げもち、俯きかげんの横顔を見せている。児島先生がトビリシ勤務となってメデア先生ともども2年は日本から離れられる、お別れの記念に選ばせてもらった金属板のレリーフを窓際に置く。
2月1日(金)
青い川が朝には灰色で/夕方にも。仄かな光があるのは/明け方と夕暮れ。ぼくは暗い中に横たわって/考える。胸のなかのこの静けさは/始まりなのか、終わりなのか。(ジャック・ギルバート「夜に目覚めて」 私訳)