98字日記ー2021年1月

1月31日(日)
母を命日に偲び誕生日を祝って、花をおく。店先に出たばかりの赤いチューリップを中心に春の兆しをいっぱいに。風は冷たいけれど昼間のガラス戸の内側は暖房のいらない暖かさ。まだ雪もみるとは思うものの。

1月30日(土)
横浜に向かう車窓から見る空の色の冴えた深さ!こんな色の服を着たい。和服ならありそう。そう考えると洋服はつまらない。30代後半、よく仕立ててもらっていたのに、デザイナーの台頭で忘れてしまっていた。

1月29日(金)
仕事で来ていたMと帰る寸前に会い、テイクアウトしてきてくれた待望のシュクメルリを勝どきで。チキンとチーズとガーリック・・塩気が強すぎたけれど食べられてよかった! 綺麗な満月、飛行機から見えるかな。

1月28日(木)
シュクメルリが松屋で復刻販売ですって! 昨年、沢山の人に教えられながら、松屋も牛丼屋も行ったことがなくてオロオロしているうちに終わってしまった。でも後で一軒見つけたし、今度は行く。ちゃんと一人で。

1月27日(水)
夕刊の見出し「世界 感染 1億人」は改めての衝撃。4分の1がアメリカ人だが、単純計算では人類の78人に1人が COVID-19 に感染したことになる。同年輩には認知症の人もいる。自粛が拍車をかけませんように。

1月26日(火)
いつか死ぬ。明日にも。そう分かっていることが良い。でもなぜ自分の死のための準備や整理をする人が多いのか。老いるほど日々新しいことを知り、知ったことを喜んで生きていたいと思う。コロナは別として。

1月25日(月)
昨夜、映画『9人の翻訳家』をみた。映画館で見逃して残念だったのだが、TVでちょうどよかった。仏語のベストセラーを極秘で9人が9カ国語に訳す。隔離されて1日20ページ、一カ月で460ページ。興味深い数字だった。

1月24日(日)
文庫となった藤本和子『ブルースだってただの唄』が重版と美恵さんのメールで知り、嬉しい。美恵さんを取材した若い音楽ライター・渡辺志保さんが『黒人として・・・』を読んでくれていることも知って感謝。

1月23日(土)
翻訳していると自分の言葉のあやふやさに絶えずぶつかる。飛行機に乗る時に預ける荷物も「手荷物」でいいと確認した。この時の「手」は自分で運ぶという意味で、実際に乗る便に限って預けられるから手荷物。

1月22日(金)
誰かが書いた物とか事が自分もとても好きだったとき、共感を覚えるより悔しいと思うのは私の心が狭いゆえ? 数々あって例えば柴田元幸のゴーリー、片岡義男のタリーズで電車を見ながら飲むコーヒーやリコラ。

1月21日(木)
レディ・ガガが素敵滅法。バイデン米46代大統領就任式で、濃紺のトップに大きな金色の鳩のブローチ、裾までふわっと広がる真赤なスカート、黒い手袋に金色のマイクをもち、透る声で深く美しく米国歌を歌った。

1月20日(水)
好きな女性キャスター。夏目三久はアナウンサーとしての役目もきちんとつとめる。大下容子は真摯な律儀さがいい。ホラン千秋は爽やかで明るい。安藤優子は、ここぞという時の人、ベテランの域を守ってほしい。

1月19日(火)
コロナへの怯えが緊張感となって空中に漂う。注意して身構えることも必要けれど、それだけではダメ。小学生に登校させておいて、道のどこにも大人の姿がないなんて!こういう時に聴きたいのは、やはりジャズ。

1月18日(月)
認知科学者・鈴木宏昭教授の言葉はすとんと受け止めることができる。「政策は人の生活全般を見据え、個人は冷静な意思決定をするべき」。政府はもっと賢くあってほしい、市民はそれぞれが感性を研ぎすましたい。

1月17日(日)
阪神大震災から26年目。当時、記者として警察に電話取材をした天人筆者が「悔いて」いる。資料のFAX送付を頼んで、蝋燭の火しかないと言われた。私も思い返す。AENの紙面全てを割けなかった、あの悔いを。

1月16日(土)
会わなくても、いると分かっているだけで力になってくれる人がいる。励まされるわけではなく、こちらの反発を受け止めてくれる存在だったりする。そういう人がいないと遊び相手がいないかのように、つまらない。

1月15日(金)
「緊急事態宣言」下で外出は控えるようにと言われる。でも私は出かける。時間を見計らい、最大の注意を払って。朝、誰にも会わず木や花を見る。午後、一人で歩く小学生を見送る。閑散とした銀座を確かめる。

1月14日(木)
体内に免疫力を持つのに納豆がいいとは以前から言われている。昨夜、TVでの特集で私が気に入っている「たまご醤油たれ」が激賞されたため、今日はスーパーで売り切れてしまっていた。ぐでたま、がんばって!

1月13日(水)
母は料理が上手だったと最近しみじみ思いだす。キヌカツギ=茹でた里芋の手で持つ部分だけ皮を残して母が剥いてくれる。塩をちょっとつけて頬張る。ロールキャベツ=上にかけるソースが独特で手製のクリーム状。

1月12日(火)
年賀状が途絶えて、元気なのだろうかと気になる人たちにそれとなく連絡して、変わりないことが分かると本当にほっとする。何十年も接していなくても気になる人はいる。お世話になりっぱなしという人もいて・・

1月11日(月・休)
成人の日なのに、緊急事態宣言下、急に取りやめた自治体が多いという。それで統率のないまま自由に集まって一層、密になったとも。大混乱。私は行かなかった気がするのだけれど、なぜかしら? 覚えていない。

1月10日(日)
TVで。コロナ禍の下、N響のトップ奏者達が音を合わせることの意味を模索しつつ、聴衆のいないホールで、普段着のまま、互いに距離をとった立ち位置で、演奏する姿が良かった。撮影するスタッフもいたはず。

1月9日(土)
茅を4画草冠で書いてくれた手書きの年賀状に見入ってしまった。印字では多い。でも自分でも3画で雑に書くので、その10代はじめからの友達の字に、まるで特別な気持ちがこもっているかのように懐かしさを覚えた。

1月8日(金)
緊急事態宣言、二度目。あの GoTo なんとかが皆の気持ちを緩めた最大の失敗だと思う。私自身はずっと変わらない。可能な限りの注意をしつつ、会食や集会だけは避けて、したいことをしている。今日は美容院へ。

1月7日(木)
新宿の帰り、とつぜん冬!目に見えない氷粒を含んだような風がバス停前を吹き抜けた。明日からは籠る日もあるので花を買おう、と思っていたのに手に持つと飛ばされそう。きつい向かい風によろよろと歩いた。

1月6日(水)
横浜でスタート。距離を取りながらも直接会えるのはいい。いまの課題はアフガニスタン紀行で、短いエッセイの中に国としての苦渋と伝来の文化とが窺われる。英語を読み解きながら、絶えず視野を広げたいもの。

1月5日(火)
毎年、波除神社の破魔矢が我が家を守ってきたが、今年は御朱印にしたとMがお参りして選んでくれたのは疫病除け・源為朝公の姿のあるもの。乱暴者と伝えられるが、ハッシハッシと弓でコロナを追い払ってくれそう。

1月4日(月)
続き物の時から「藤井聡太のいる時代」とは凄い題だと思っていた。単行本にまとまったそうで買おうかどうしようか考えている。その書名に相応しい18歳の二冠の趣味は詰将棋だそうで、本当に将棋一筋なのだ。

1月3日(日)
さっきから3回、ここに書いたものが消えるという失敗を繰り返している。最初は年賀状のこと、次に書いたり書かなかったりする自分のいい加減さ、次になぜ消えてしまうのかについて。また消えないうちに送ろう。

1月2日(土)
翻訳塾は2001年10月に横浜で始めたので、今年9月末で20年となる。小さなレストランを借り切って、私の招待でパーティーを開くつもりだった。でもこのコロナ禍。そういうことが何時できるようになるのだろう。

1月1日(金)
親類一同の集まりはなく、Mと上野の森美術館『KING&QUEEN 展』へ。ロンドン国立肖像画ギャラリー出展で時代的な網羅が楽しい。写真の出現以前の作品は気合が違う。ウォーホルのエリザベス2世は別格として。