98字日記ー2013年11月

11月30日(土)

生きることに忙しいから、いま自分がいる時代を楽しんだり同時代の人たちとゆっくり触れ合う機会はなかなかない。意識して手に入れたい宝物なのに。だから私にとってカルチャーや地域で出会う人たちは本当に大切。

11月29日(金)

一日蟄居して様子をみる。よくわからない。なるようになる、かな。来年春、宝塚歌劇場が百周年だとか。大地真央と黒木瞳のときに夢中になってみていた。歌舞伎と並んで、純粋に一生懸命でゴージャスの権化だった。

11月28日(木)

木曜日に時々週刊文春を買ってしまうのは、読みたいものが二つあるから。柳家喬太郎の川柳選考(添えた一言がいいのだ)と益田ミリの「沢村さん家のこんな毎日」。高野文子と通じるものがありながら全然ちがう。

11月27日(水)

この時期は毎年、クリスマスにまつわる課題を選ぶ。行間にまでわたって各国の人々の習慣や考え方が詰まっている。最近の文学ではシニカルに捉えることが多く、そこまで暗くしなくても、と思うが、それもまた面白い。

11月26日(火)

近畿大学国際人文科学研究所からコミュニティカレッジ閉講の知らせが封書で届いた。ぱくきょんみさんが、どんな思いでいるか。収益につながらないもの(多分)が突然消されるという文化への支援の薄さがかなしい。

11月25日(月)

いつの間にか家から「お客用」というものが消えている。以前は客用の布団が一式、座布団もあった。茶器も別だった。押し入れはお客様の物をしまう所だった。今はなぜか、いい食器もクロス類も普段に使っている。

11月24日(日)

自宅周辺の秋の美しさを電話で伝えながら浅草に初めて行ったという友人。タクシーで来てくれた我が家にいる間も身体は痛むと笑顔で話す友人。長いメールで温かさを届けてくれる友人。年賀欠礼を知らせてくる友人。

11月23日(土)

猪瀬都知事は選挙前に徳田衆院議員から五千万円の現金を紙袋入りで受け取ったという。どんな紙の袋だったのだろう。ずしりと厚い水色の和紙で金色の紐がかかっているとか、かわいいプレゼント用花柄模様の紙とか。

11月22日(金)

広島、山形、沖縄と県のアンテナショップが並ぶ銀座一丁目界隈は楽しく、「ヤマガタサンダンデロ」の山形イタリアンはすべて、隅々まで美味しかった。器のそれぞれにもセンスある郷土色が感じられた3時間の寛ぎ。

11月21日(木)

内澤旬子さんの新刊『捨てる女』を送ってもらい、一気に読んでしまう。これまで「断捨離」という言葉になかなか共感できなかったので、捨てすぎて鬱になったという言葉に、そうよね、と私はまた溜め込むのだろう。

11月20日(水)

「サプライズ」が本当にサプライズで贈られたのは初めてで、祝ってもらったのは嬉しかったけれど、なにかとても恥ずかしく、ただ、祝ってやろうと思ってくれる人たちがいるのは何て幸せなことかと窓辺に花を飾る。

11月19日(火)

TV「ガイアの夜明け」で若い女性現場監督を追っていた。幾つもの深い丸い穴の縁を作業員が落ちないように囲った四角の枠が通路を狭くしていると、すぐにコンピューターで図面を起こし三角の枠に変えた。拍手。

11月18日(月)

タイ語のサワンが楽園なのか。美恵さんに確かめよう。ジット・プミサクと中屋幸吉の詩を幾つか読む。一度には一編しか読まないことにしているのを忘れて。スティーヴン・キングのヘヴンを楽園と訳したところなのだ。

11月17日(日)

『マラヴィータ』を一緒に観てくれる人がいてよかった。でなければザクザク人を殺すシーンが沢山あったあとで牡蠣フライ定食を楽しくは食べられない。でもクールな面もきらめき、これから思い返すことになりそう。

11月16日(土)

ある人と会った。少し自信がなかったけれど、かみ合う話に、ああ、大丈夫、間違いないと思い、楽しいおしゃべりをして別れた。後で、はっと思い出した。全然ちがった。なんてことを・・・いつもながら深く反省です。

11月15日(金)

低く厚い雲に気をそがれ、家から一歩も外に出ない一日だった。でも今日はとりわけ飛ぶ鳥の姿が多く、見ていると心も空を彷徨う。カレンダーのひとつが10月のままなのを発見。日の経つのが早すぎて追いつけない。

11月14日(木)

授業中に咳が出て最悪。でもいつもお水を用意しておいてくれるので、ありがとう。場所が変わったり、気持ちが激すると咳き込む。でも今日の反語的訳でいうと、どうして激することがあろうか?なんだか支離滅裂ね。

11月13日(水)

朝、出窓のガラスが白くなっていて、寒さ到来。外ではダウンの短コートが目につき、でも12月でもないのに、と我が身は太り我慢。コートは薄くとも革手袋を出すのも待ち遠しく、ある場所を確かめる。秋は束の間。

11月12日(火)

ずっと気になっていながらお見舞にいくのを躊躇っていた。靖子さんからの電話で、夏の終わり亡くなられたのを知った。93歳のお母様。あの清々しくて明るい病室で眠るように。気配りのある綺麗な方だった。

11月11日(月)

「女たちの戦争と平和資料館」が日本平和学会平和賞を受けた。よかった。認められるということは、何につけ嬉しい。人種主義と植民地主義の克服が平和の実現に不可欠であるとの視点を明確にもって、これからも。

11月10日(日)

近くの大きな銀杏の木の葉が全部黄色に染まり、ほかの樹々もそれぞれに色をまとい始めた。並木の端に立つと、どこまでも歩いて行きたくなるような華やかな空間に招かれる。でも歩かない。眺めてから、バスに乗る。

11月9日(土)

風邪をひいたり脚が痛かったりすると、もう一生そのままかと思う。昔からそうで、十代の頃など咳をしては幾度、想像肺結核になったことか。かと言ってペシミストではなく美味しいものを食べることの言い訳になる。

11月8日(金)

晴れた秋の日、神楽坂の店の座敷で長唄を聴いての昼食。三味線の撥も冴えて。70歳になったひとの明るさ、賢さ、伸びやかさを音に聴きながら心から祝う。私からの贈り物はペンギンの根付。自分が好きだったから。

11月7日(木)

3歳のMが好きだった言葉は「肉体疲労時の栄養補給」と「風呂より楽はなかりけり」だった。子どもには背伸びしたい気持がいつもあって、小学生の英語はまさにそれ。だから大切に育てたい。中学生に幼い会話をさせるよりも。

11月6日(水)

バス停で年輩の女性から「いいコートね」と声をかけられた。「色がよくて模様が派手に浮き過ぎていなくて」。10年は着ているイッセイのフードつきプリーツの長いコート。お礼を言って、しばし話し込む晴れた秋の朝。

11月5日(火)

薔薇を一本、買った。薔薇色の薔薇。このところ立て続けにいろいろなところで年齢の話が出て、けっしていやなわけでなく、ただなにか昔のことがパラパラ浮かんできて、そういうときは薔薇がないとやり過ごせない。

11月4日(月)

プロ野球には無知のまま、昨夜の日本シリーズ決勝には初めてしびれた。巨人を東北楽天が抑え、日本一に。田中将大投手もさりながら、これまで名前も知らなかった嶋、美馬、則本、銀次、藤田・・・雨の中で熱かった。

11月3日(日)

文化の日の新聞の紙面がたくさんの叙勲の発表で埋まるのがつまらない。これが日本の文化なのか。このところ「料理偽装」「手抜き除染」「秘密保護法」と暗澹とする話題が多く、秋晴れの空のような爽やかさがほしい。

11月2日(土)

アドヴェント・カレンダーが売り出される季節になった。あまり宗教色なく美しい絵柄を選ぶ。日本のアーティストたちが、12月1日から31日まで開いていく、楽しいセンス溢れるものを作ってくれないだろうか。

11月1日(金)

ガラスで象(かた)どられたアイルランドの王子へーー「おやすみなさい。私もやがて私を解(ほど)く時が来ましたら、迷わずにあなたがおいでのその草むらへまいります」(『季刊手紙』の新川和江「その草むらへ・・」から)