98字日記ー2014年9月

9月30日(火)

9月はなんと速く過ぎてしまったことか。10月からの新たな日々の準備をする間もなくガサッといなくなった。様々に焦燥の日々だった長月を抜けて、今日ようやく神無月のカレンダーに向き合う。さあ、明日からは・・・

9月29日(月)

夏が消えていく。東京タワーは夏色の涼しさをまとっているけれど、明日までかも知れない。夕方6時前だというのに辺りは夜になってしまって、屋形船が出る時間ではないので、川面が寂しい。いろいろなことのハザマ。

9月28日(日)

不調で心ならずも家に閉じこもっているが、昨日の御嶽山噴火の灰、夏の終わりに代々木公園を襲った蚊、豪雨で溢れる水、土砂、と外のニュースも恐い。願わくば知り合いは全部、元気でいますようにと利己的になる。

9月27日(土)

お菓子の氷花がこよなく優しい慰め。「きんぎょく」という寒天製の三色・三角の小さな和菓子で、表面にかりっと歯をあてると、一瞬で柔らかなゼリーとなる。白ー薄荷、紅ーラム酒、青ーキリッシュワッサーの風味。

9月26日(金)
所、グルジアの二人が幕内から外れて十なのは寂しかったけれど、ノ心は今日まででなんと13で十両優勝決定。牙丸は幕内で休力士のあとを埋めている。そのルルは知らなかった。二人ともがんばれ。

9月25日(木)

咳き込むので、新宿の授業では襟にピンマイクを付け大きな声を出さずにすます。Bクラスはギリシャの夏で今期を終え、クリスマスのゴースト・ストーリーで来期を始める。体調も含めてリセットのとき。今夜は寝る。

9月24日(水)

韓国インチョンで開かれているアジア大会、競泳や体操で日本選手が好成績を出すのは心地よいけれど、アジアの女性が力を出せる数少なそうな競技では日本は負けてもいいよ、と思ってしまう。バドミントンとかね。

9月23日(火)

バス停につく前に直径2米ほどのコンクリート製の花鉢があり、いつもミニ薔薇を咲かせている。元の木は2種類あって、鉢をぎっしり埋めた葉の間から次々とピンクの濃淡の薔薇が開き、沈んだ心も明るくしてくれる。

9月22日(月)

訳をみていて、boy girl に当てる日本語がとても気になる。圧倒的に少年、少女が多いのだ。だいたい、日常の日本語の中ではほとんど使わない言葉なのに。とくに10歳前後だったら男の子、女の子がいいところ。

9月21日(日)

この日記がしばらくアップされなかったので、ご心配くださった方たち、ごめんなさい。そしてありがとうございました。私が書くこと以外できないので、頼っている方のご都合で間が空きました。読んでくださって感謝。

9月20日(土)

横浜の帰り、仕事場の入り口で鍵がないのに気がつき、バッグの中にはなく、他に入れるとしたらどこか、Mは次にいつ来るか、スペアを作るには、とすべての可能性を考えて家に着いたら服のポケットに入っていた。

9月19日(金)

英国からの独立を問う住民投票がスコットランドであり、結果は反対多数で元通りとなった。16歳以上が投票でき学校でも議論が沸騰したという。2年前、東京都で直接住民投票を目指す署名を集めた日々、寒かった。

9月18日(木)

才能査定番組「プレバト」で夏井いつき先生の俳句添削が翻訳にとって勉強になる。ときに元のを直し過ぎではと思うけれど、納得する場合がほとんど。擬人化するときは映像化を、という意味をもう少しよく知りたい。

9月17日(水)

夜の演奏会をごぶさたしているが、チェックはする。イギリスのフィルハーモニア管弦楽団の来日演奏も気になり、シベリウスとブラームスのプログラムには心を掴まれるけれど、チケットが高い!S席だと2万3千円。

9月16日(火)

この人の翻訳なら、と思う筆頭に柳瀬尚紀がいる(知り合いではないし、仕事に敬服しているので敬称なし)。その人の新訳が出たというのに書名で足踏みしてしまう。『キャロライン・ケネディが選ぶ「心に咲く名詩115」』。

9月15日(月・祝)

エベレストの山頂付近でも貝殻が発見されることは山が海の中で形作られた証拠。壁面に刻まれた激しい斜めの線も、そのことを語っているらしい。ぼんやりと耳に入ったTVの音声の一部がとても気になる。知りたい。

9月14日(日)

天候不順の日々が続いていたなかで、この数日、暑くなく寒くなく爽やかな晴れ間が広がっている。といっても、そういう週末に限って喉が痛かったりして体調を崩すのは昔からのこと。夜のコンサートから遠のいている。

9月13日(土)

65歳以上の7人に1人が認知症って・・・信じられない数字だけれど本当であれば、そういう人たちを迎え入れる明るい施設を国は作るべきだし、同じように、希望しながら保育園に入れない待機児童を何とかして。

9月12日(金)

新期のための課題を決めるのに短篇を20本くらい読み、メガネ要らずとはいえ流石に疲れて夕べは9時から熟睡。2時に起きてメールを読み書き、また寝て、6時過ぎに起きる。冷たいミルクを飲んで青い秋空をみる。

9月11日(木)

手の変形が進んだけれど右手の人差し指ががんばってくれているからと、美しいレース編みのドイリーをくださった久子さん。最高の贈り物に、感傷ではなく、痛みがあるとただかばうだけの自分を顧みて心がふるえる。

9月10日(水)

横浜に向かう京急本線が人身事故のあおりで川崎止まりとなり、JRの川崎駅に徒歩で向かう。その遠いことといったら、私の足でホームtoホームが20分。土地勘のない所でばたばたしていて好きな緑色の小袋を落とした。

9月9日(火)

「ありえへん」という番組でグルジアについて1時間。日本人の99%が一生行かない国のひとつとか。児島先生とかメデアさんの出演を期待したけれど、もちろんそんなことはなく、ただ、ヒンカリを食べたくなった。

9月8日(月)

ゆうべ2時、床の上に見たことのない光の帯が伸びていた。小さな三角出窓の中央にぴたりと収まるように丸い月がいて、部屋を覗きこんでいる。よく絵本で子どもと話しているような月がオリーブの木を訪れていた。

9月7日(日)

日曜日の朝、雨が降っていると、外へ出なくていい口実が自分自身に対してできる。かといって座っているばかりではいけないと知りつつ、ふと気がつくと3時間も同じ椅子の中。反省と後悔の日々を繰り返している。

9月6日(土)

短篇『クリスマス・フーガ』原文を読み、この作品をミューリエル・スパークが書きたかった感性の位置を大社淑子さんの『ミューリエル・スパークを読む』に頼る。エスプリとグロテスクとが混在していることに納得。

9月5日(金)

もう何回目か、ふと手にとって読み、まるで初めて読んだかのように新たな感情を揺すられる本が身の周りにあるのは、なんて幸せなことだろう。今日はフィリップ・クローデル『リンさんの小さな子』(高橋啓訳)。

9月4日(木)

今朝、全米オープンの4強決定の瞬間、錦織圭はコートに大の字になって喜んだりしなかった。ガッツポーズを一度したものの、4時間を超えて制したワウリンカとにこにこと握手を交わした。準決勝はジョコビッチと!

9月3日(水)

別に、ほろほろと作っておいた炒り卵を最後にざっくりと混ぜたチャーハン。トマトのサラダ。若布のスープ。ヨーグルト。これが夕食。明日の朝は何にしようと、もう考える。食べることが最優先の最近の日々・・・

9月2日(火)

「お~いお茶」のボトルに載せられている新俳句、伊藤園の発表では25年目の今年、170万余の応募があったという。詩人の多いこと!最高の賞は愛知県立高校の国語の先生に。「プロポーズされそうなほど冬銀河」。

9月1日(月)

「枝の高みを、風が渡ってゆく。そのざわめきに一瞬遅れて、朽葉の上を、パシパシパシパシ・・・とやわらかな音が追いかける。雑木林の秋の実り、どんぐりが零れ落ちる音だ。」(畔柳こずえ『四季のふるさと語り』から)