98字日記ー2019年1月

1月31日(木)
今日はお花を買う時間がなく、心の中だけで飾り、明日ね、と母に約束する。新宿の帰りに雨が降り出し、銀座の大松屋で50年以上も前の仕事仲間達5人と、まるで昔、ひと仕事を終えた後の続きのように打ち解ける。

1月30日(水)
ロビーでのランチの後、苦手な粉の漢方薬を飲みたくなくて、オブラートは今もあるのかしらと聞くと即座に二人から、ありますよ、袋式がとの返事。薬屋に寄って、なるほど。あの丸いのは作られていないとか。

1月29日(火)
ビキニ環礁で米国の水爆実験に日本の漁船が巻き込まれたのは1954年3月1日。第五福竜丸の乗組員だった大石又七さんは、石碑「マグロ塚」を築地跡地に置く活動を続けている。被曝を忘れないよう私も署名する。

1月28日(月)
大坂なおみが全豪オープンで優勝して女子テニス世界ランキングで1位。「嵐」が2年後の活動休止を発表。関脇玉鷲が初優勝・・とTVではどの局のワイドショウも同じ話題を朝から晩まで繰り返し、それを見ていた私。

1月27日(日)
近いトリフォニーホールでマチネーなので咳が出ないように祈りつつ出かける。間宮芳生90歳記念公演として木島始台本のオペラ『ニホンザル・スキトオリメ』。53年ぶりの再演とか。野平一郎指揮。聴けてよかった。

1月26日(土)
昨年あった第一回「左手のピアノ国際コンクール」を再放送番組で見る。プロフェッショナル部門とアマチュア部門を丁寧にフォローした2時間。ピエール・サンカン「ロマンチックなカプリース」をちゃんと聴きたい。

1月25日(金)
文字表現の深さ、広さ、細やかさを考え、想う。笠井叡の電流を感じたのは舞台正面奥から出現した時のオーラ溢れるシーンと、舞台から転がり落ちる瞬間と、眼鏡とパイプが現れた時だった。「ちらり」笑顔も。

1月24日(木)
新宿で2クラス終え、Mと待ち合わせてバッグを持ってもらい、世田谷パブリックシアターで笠井叡・高丘親王航海記公演を観る。京都では観客として緊張していたのが今日はリラックスした目で。さあ、風邪を治そう。

1月23日(水)
今日も晴天。ずっと青空続きの冬の日々。外に一歩、出ただけで冷たい空気にキリッと洗われる思いがする。まだ身体が心許なくふわふわとしているが、街のどこも人通りが少なく、横浜へ行って、帰ってくる。

1月22日(火)
結局、月に一度、自宅で一緒に勉強する三人が今月も休みましょうと労ってくれた。食欲のない時はイチゴ。マルエツに配達を頼む旬のイチゴは粒のサイズがまちまちで、その分、安く、最高にジューシーで美味しい。

1月21日(月)
要件は27日の『ニホンザルスキトオリメ』のチケットを三人がそれぞれ持つことだった。三人の共通項として木島始という名前があり、自ずから話は翻訳、本、作家と広がる。満谷マーガレットさん、小口未散さんと。

1月20日(日)
勝どきに借りている部屋のエアコンが不調で、突然午前中に新調してくれることになり、大急ぎで行き、2時間半の作業に鼻をかみながら立ち会い、明日も前からの約束があり、一日、家にいて休みたいと切に願う。

1月19日(土)
笠井叡踊る『高丘親王航海記』の背景にヒエロニムス・ボスの絵の一部が現れた時の心弾む驚きを、クラスで話したら共感を得られたかも知れないと帰路で思う。今週もう一度みられる時までに元気を取り戻したい。

1月18日(金)
同年代の人たちの訃報が続く。市原悦子さん死去。樹木希林さんと一緒に出た「ぴったんこカンカン」は好きだった。さん付けする間柄ではなかったが、ヤッコマリカルドを愛用していて、お店で一度お会いした。

1月17日(木)
また体調がすぐれず、木場から自宅までタクシー。感じのいい女性ドライバーだったが、「こっちの方は私、まったくおバカさんなんです」と言われ、いつもなら軽く応答するけれど、今日は別。黙っていてごめんね。

1月16日(水)
社会で軽んじられる存在として「女子供」という言葉が大っぴらに使われていた時代が長くあった。今も、と言わざるを得ない。対GDP公的教育費は154カ国中114位、女性の社会進出は149カ国中110位!この日本。

1月15日(火)

痛恨の極み。川村記念美術館の『言語と美術』をみなかった。もう誰かと一緒に行こうと待ったりしない。みたいものは、さっとみる。ムンクやフェルメールやルーベンスよりもコーネルやディキンソンが好きなのに。

1月14日(月・休)
古い手帳を捨てる。といっても、この20年ほどのもので、それ以前のは今日のように突然、古い手帳を捨てる! と決心して処分した。シニアハウスに移る友人達の最大の悩みは、思いのこもった品々を捨てること。

1月13日(日)
きずなの会の新年会で受付をしながら、京都の旅で美味しかったものを秘かに数え上げた。1 帰りの新幹線車中用に予約してあった和久傳の鯛ちらし 2 ホテルの和朝食 3 京近美カフェの九条ネギと浅蜊のパスタ・・・

1月12日(土)
昨日は府立「堂本印象」美術館と訳あって金閣寺、今日は京都国立近代美術館の『世紀末ウィーンのグラフィック』展と訳あって平安神宮を訪れた、Mとの一泊の旅は実り多く、めっきり歩けなくなったがお陰様で。

1月11日(金)
笠井叡迷宮ダンス公演『高丘親王航海記』をロームシアター京都で。東京公演もチケットは手配してあり、立派な追っかけだと思う。舞踏と物語と音楽と言葉が創り出す、そのとき限りの時空間に浸る歓びといおうか。

1月10日(木)
昨夜の長電話。1年ぶりの話が弾むのは中学生以来の年月のゆえ。兼高かおる死去のニュースに私を思ったと言われ、もう一つ、田中さんの記憶はすごいと感謝したのに、それが何だったのか忘れてしまった駄目な私。

1月9日(水)
自費出版した友人から「なぜか、これが最後の一冊・・申し訳ないけれど後で返して」という手紙付きで美しい本が送られてきた。よく分かる。そういう羽目に陥ることがある。10日待ってね、と葉書を出しておいた。

1月8日(火)
今年限りに、と添えられた賀状が多くなった。もともと年賀状は出さないという友人達も多いので、さもありなんと思うものの、さて私は来年からもっと出そうかと天邪鬼になっている。それも生きていれば、だから。

1月7日(月)
昨日の映画、面白くないと感じたのはシェリーとバイロンが詩人としても男性としても魅力的でなかったから。サウジアラビア初の女性映画監督ハイファ・アル=マンスールはメアリー・シェリーを記憶に実存させた。

1月6日(日)
映画『メアリーの総て(Mary Shelley)』を観る。面白くはなく平坦だった。それだけに19世紀初頭の英国の状況や生活がよく分かり、あの美しい文体の『フランケンシュタイン』が書かれた環境が衒いなく納得できた。

1月5日(土)
横浜土曜クラスの時空間的に満たされた軽やかさが好きで、その第一回を終えて穏やかな新年を実感する。明日からの三日間でするべき事々の多さにたじろぎながらも、マイペースで過ごせるのは幸せで有難いと思う。

1月4日(金)
今年の5月に新元号となるため、何にでも「平成最後」という言葉が付く。私はこの風邪を平成最後にしたい。昨日は咳がぶり返し、咳止めという薬の存在を思い出して夜はぐっすり眠った。明日から講座開始となる。

1月3日(木)
東京オリンピックは、もう来年のことになった。公式映画の監督に河瀬直美さんが選ばれたのは嬉しく、今朝の紙面で山本晋也さんとの対談を読み、単なる記録ではなく「まなざし」をもって、という抱負に期待する。

1月2日(水)
元旦はおせち、今日は博多直々のクエ鍋を親類たちと囲み、新年の幕開けを安らかに迎える。それにつけ喪中にある人たちの賀状欠礼の意味はなんだろう。おめでとうと言われたくないという拒絶なら分かるけれど。

1月1日(火)
「浅茅生(あさぢふ)のをのの篠原しのぶれどあまりてなどか人のこひしき」(参議等。私が幼年の頃、百人一首遊びで必ず取った札)。「もの思へば沢の蛍もわが身よりあくがれ出づる魂かとぞみる」(和泉式部)