2023年7月1日より、
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98字日記ーひとりのときに

文章を書く鍛錬として書きはじめました。

「98字」は自分への課題のひとつです。

バイオリニストが演奏前に調弦するA(アー)の音のように、

正確に、短く、つづく音楽が気持ちよく響くことを願って

6月30日(金)
この98字日記をはじめとする「ヴァシュリ通信」を2012年半ばに構築し、ずっと支えてきてくださった代島治彦さんに心からの御礼を申し上げます。明日から新たに吉良幸子さんにお任せします。お読みくださっている方達からのコメントもいつも大きな励みになっています。これからもよろしくお願いいたします。

6月29日(木)
同じバス停から乗ったインドの男性が二人、前向きの優先席に座った私の横に立ったので、インドの言葉で話しているらしいのが聞けた。二人とも夏物のスーツ姿できちんとネクタイを締めている。背中に黒いナップザック。

6月28日(水)
ACCの翻訳塾の後、ロビーでそれぞれ持参した軽い食事をすることが許された。3年振りくらいかしら。もっとも新規感染者の数が劇的に減ったわけではなく、交通機関の中では未だにほとんどの人がマスクを着けている。

6月27日(火)
知合いでなくても訃報が心に響く。これまで様々な人たちのメッセージを受けとめて生きてきたと深く感じる。野見山暁治さん、102歳。あなたの絵は特別でした。ベニシアさん、72歳。あなたの草花への愛は特別でした。

6月26日(月)
『ター』を菊川のStranger で10時から上映していた! 49席の心地良い場内に7人。世界に冠たるオーケストラの女性指揮者を演じるケイト・ブランシェットが見事だったものの、人間関係が複雑で、後であらすじを読んで納得。

6月25日(日)
昨日の大瀧拓哉・・・バッハの後はベルク、ショパン、シュトックハウゼン、ベートーヴェン、そして朗読しながらのジェフスキ。その繋がりが凄くて身体の細胞に沁みた。さらっと着たアイスブルーのシャツが綺麗だった。

6月24日(土)
大瀧拓哉のピアノソロを聴けた。虎の門のベーゼンドルファー専門店で25人限定のマチネー。ジェフスキの「ベルリンのルービンシュタイン」を中心とした素敵なプログラムだった。シェーンベルク、バッハ/高橋悠治・・

6月23日(金)
あった、失くしたと思っていたシルバーパスが。冷蔵庫の中で見つかった。グラタンを作るつもりで買って作らなかった細切りチーズの袋の下から出てきた。警察に行かなくてよかった。家のどこかにあると信じていた。

6月22日(木)
今月はじめ、平岩弓枝が91歳で逝去。『御宿かわせみ』はもちろん私が時代小説を読む数少ない作家の一人だった。週刊誌のグラビアに、ワンピースの裾を広げて畳に座る写真を見る。いいなあ、昭和の風景だなあと思う。

6月21日(水)
イタリアやフランスの美術館ではよく、模写をする若い人の姿を見かけた。イーゼルを立てて真剣な眼差しで古い絵を見つめて写していた。今もあの光景は見られるのだろうか。もう過去の景色になってしまっただろうか。

6月20日(火)
絶滅危惧種の動物達がいる「こども環境地球儀」がきた。また一緒にギリシャに行って面白い仕事をしようと言っていた田久保千秋さんを偲ぶ御品として選ばせてもらったもの。長年の都動物園協会評議員を降りた記念にも。

6月19日(月)
村上春樹『街とその不確かな壁』をようやく読み終えた。ようやく、というのは第二部まで読んだ後、同じペースで第三部を読み続けられず流し読みしただけでいた。そして今日、ようやく好きな読み方で読み直せた。

6月18日(日)
コンビニエンスストアの「セブンイレブン」は、1927年、オーククリフという米テキサス州の町で誕生した。その前歴は氷屋で、客の要望に応えて卵や牛乳やパンも売るようになったのが始まりだという。氷はロマンの担い手。

6月17日(土)
トルストイ、ドストエフスキー、チェホフ・・私の世代の人達には懐かしい響きを持つ名前だと思う。課題に現われたロシア文学を全く読んでいない世代とか人達がいることに少し驚いた。でも考えてみれば当然なこと。

6月16日(金)
昨夜のうちに12時入場の予約をしておいて都美の『マティス展』 へ。ポンピドゥーセンターと近美の所蔵作品によるもの。好きなマティスだから数点の室内と女性像は、見てよかったと思う。赤を実際に生で見たことも。

6月15日(木)
人見知りではないと思う。初めて会う人と話すのは好き。むしろ知っている人に人見知りしてしまう。私と話したいだろうかと悩む。ちょっと屈折している。「青空とこだまが好きで人見知り」(森本みはる 週文から)

6月14日(水)
怖い夢をみて、夜中に忘れようと思い、忘れられた。でもそのあと悲しい夢をみて朝も引きずっていた。きのう邪な気持ちでいたから。幸いにも水曜クラスがあるし、美礼からとびきり軽い青い傘と玉虫色の袋が届いた。

6月13日(火)
久しぶりの魚魯魚魯。お昼の混んでいる時間を避けて1時に満谷さんと待ち合わせたら時間不足。依頼された翻訳の直しなどで時間がかかったのが残念だったが Adam Kabat の日本の妖怪についての凄い新刊を見せてもらった。

6月12日(月)
ジョージア語に取り組む時間がない。しなければならないことにジョージア語が入っていないため、何も読まず書かずで2、3カ月過ぎてしまう。受講料を払っているのは、一応、就学中ですという格好付けになっているだけ。

6月11日(日)
いつの間にか梅雨になっていた。どういう五月だったのか記憶にすっきりと留まらず、納得できないうちに雨が降る日々が続き、このところ次々と押し寄せてくる小さな雑事が積み重なっているのを雨のせいにしたくなる。

6月10日(土)
大抵3時半に一度、目が覚める。すぐまた眠るかスマホで天気予報をみる。いまは曇。「4:00頃に雨の天気の予報です。」少し変な日本語。日の出は4:24。50%の確率で雨、6時からは曇。カタンと朝刊が届く。読んでから眠ろう。

6月9日(金)
美礼に教えられて昨日の Google Doodle を見る。知里幸恵生誕120周年記念。登別に住み、言語学者・金田一京助との出会いから、19年の生涯をかけてアイヌの口承叙事詩を翻訳し『アイヌ神謡集』にまとめた。Happy Birthday Yukie Chiri !!

6月8日(木)
芒種は数日前の天人にも書かれていた。二十四節気に詳しくないし季語の教養もないけれど、中国では、この頃、蚕と麦の収穫について聞く挨拶をするとどこかで読んだ。酷暑の到来に楕円形の扇子を贈ることもあるという。

6月7日(水)
日曜日、近くの小学校の運動会だった。家族が運動場の周囲をぐるぐると歩いている。足をとめて応援してはいけないようだった。福岡の中高では体育祭が原因らしいコロナの集団陽性が公表された。まだまだ油断できない。

6月6日(火)
「藤井聡太、という天才と同じ時代に生きている幸運を、一体、何ものに感謝したらいいのだろう」と作家の小川洋子は書く。初めてのタイトルを手にしてからたった3年で得た七冠ーーその背後にあったのは平和だと思う。

6月5日(月)
土曜日に太平洋沖を台風が通り過ぎ、今日は夏日。美容院の後、ラピュタでレアチーズケーキを買って帰る。一日に外ですることは一つにして映画も展覧会も我慢。家で今週中の添削をしようと思いつつ、つい本が優先する。

6月4日(日)
特別な才、芸、感性を常識で潰してはいけない。鋭い才は、ときに狂気すれすれ。凡人がそれを引きずり降ろそうとしたり、それが競争心、嫉妬、反感の標的になった時にメディアが加担してはいけない。猿之助は可哀想。

6月3日(土)
藤井聡太が20歳10カ月で名人になり最年少記録を40年ぶりに更新。小学1年生で将棋大会で頭角をあらわし負けると大泣きしたという。聡太も翔平(大谷)も名前がいい。ルビがないと絶対に読めないキラキラネームではない。

6月2日(金)
同じ中国・大連市で同じ1938年に生まれた中西準子さんの『語る』が朝刊に14回連載で始まった。東大大学院博士課程を修了して就職口がなかったという。隆盛の産業界が女性の英知は全く活用しようとしなかった日本社会だった。

6月1日(木)
「スウェーデンに出張されて、雨がしとしと降って灰色にかすむ他国の町で、道に迷いながら一人で郵便局を捜す心細さ・・・文面にあふれる素直なひたむきなあなたに私は感動しました・・・お仕事を大切にされていかれますことをお祈りしております。」(1962年10月12日号週刊朝日に入社半年後の私が書いた『エンピツ便り』に頂いた手紙から抜粋。差出人は「ー読者」とだけ。消印は大阪中央。60年後の今も大事にしています。)