98字日記ー2015年6月

6月30日(火)
一つの展覧会で一つ、心に刻まれるものがあればいい。最近、幾つか訪れ、森美術館では、キクラデスのあの頭部こそ最高だと確かめ、藝大美術館ではフィンランドの画家・シャルフベックを初めて知り自画像に会った。

6月29日(月)
六本木ヒルズの52階でアイスココアを飲み、見下ろすと彼方に我が仕事場の窓が見えた。多分。気分をよくして、ほとんどひと気のないミュージアムカフェの白木のテーブルで添削をする。歩ける範囲が広がってきた。

6月28日(日)

樹木希林と郷ひろみのデュエット「林檎殺人事件」と「お化けのロック」は素敵だった。36年ぶりだそうで、これが観たくて昨夜はTVをつけて待っていた。エンターテインメントの極致のひとつであり、二人に乾杯!

6月27日(土)

 『愛の詩集』という書名からも編者が一人という点からも、自分からは手を伸ばさなかったと思う河出文庫に心酔している。贈ってもらってよかった! ロゼッティで始まってヒューズまで約70人の訳詩。谷川俊太郎編。

6月26日(金)

疲れをとる日。本当は好きな音楽が嵐のように渦巻くなかに身を沈めたい。でもそうするには雑事が多すぎて、結局、がさつな一日となる。それでも小雨の中の隅田川を眺め、Mの顔を見て言葉を交わし、良き一日と思う。

6月25日(木)
パソコンワーク以外を自宅ですることが多くなり、ソファの前のテーブルに本が積み上がって行く。いま四分の一くらい埋まっている。昔から姉に学生の部屋みたいねと言われていて、結局それが変わることはなかった。

6月24日(水)
クローゼットが服でいっぱいで、なんとかしようと思いつつ、なぜか毎日着るものが同じ。本当に同じ。今年は濃いグリーンの絹のチュニックを黒いパンツに合わせ、下は白いカットソーで長いジャラっとしたネックレス。

6月23日(火)
いつから激しく降っていたのか、ブラインドの先は二重のガラス戸で雨は定かに見えない。ときどき稲妻が光をばら撒くのを眺めたくて開け放つ。ほとんど一日中、文字を見ていて疲れた目が潤うようで、よろこばしい。

6月22日(月)

ナチ暴政下のデンマークについて世界に広めたのはレオン・ユリスの『エクソダス』だったらしい。ユダヤ人が胸に付けるように命じられたダビデの星を国王自ら、また国民も付けてユダヤ人を守ったという話だ。

6月21日(日)

レオン・ユリスが1958年に発表してベストセラーになった『エクソダス』の映画化『栄光への脱出』前半をTVで。課題のエッセイはこの本に打たれイスラエルに飛んだ若き頃の思い出話だったので、ゆっくりと観る。

6月20日(土)

働いている女性が二人目の子どもを産んで育休をとると、それまで保育園に預けていた一人目の子どもを退園させなければならない自治体がある。少子化、人口減、女性力活性化なんて言葉がなんの対策もなく宙に浮く。

6月19日(金)

豪雨や雷のない、梅雨らしいしっとりとした、ひっきりなしの雨。あまりに細かい雨なので、たかをくくって傘を持たずに資源ごみを捨てにいき、行きも帰りもさしかけられる。すみません、ありがとうございます。

6月18日(木)

読書芸人オールロケという番組が面白く、あまり深い準備のないところが、かえってそれぞれの素顔を見せていた。又吉、光浦、若林を中心に書店をめぐる。神田で漱石の署名入り特製本を光浦が衝動買いするシーンも。

6月17日(水)

「冷やし中華 始めました」が季語になったのはいつ?かき氷でもいいのに中華というところが現実味を帯びていて好き。山形県では「冷やしシャンプー 始めました」というのがあるという。頭がすーっとするらしい。    

6月16日(火)

出るクラスがなくなったジョージア語、毎日少しずつ復習をするのが楽しくて、時間がもっとあればいいのにと思う。かといって何時間でもやれるわけはなく、少しやっては紅茶を飲み、日本茶を飲み、コーヒーを飲み・・・

6月15日(月)
トビリシが豪雨に襲われ12人が死亡し、浸水した動物園からライオンやオオカミが逃げ出したとのこと。三輪さんが来月ジョージアを訪ねると聞いたばかり。間もなくローマに行く人もいる。天空よ、どうか晴れやかに。

6月14日(日)
地域で私を「見守る」担当が宮本さんから岡野さんに代わった。部屋は階がずれているだけのほとんどお隣なのだけれど、外の入り口と階段が別なのであまり会わない。でもこれで一層お近づきになり、ありがたいこと。

6月13日(土)
ユダヤ教過越の祭芥川賞米谷ふみ子で、最近のエッセイ集を3冊読む。80代でのフォークダンスの話は楽しい。反核運動は骨太で共感、尊敬するけれど、書名が『だから、言ったでしょっ!』はもったいない。    

6月12日(金)

フェルメールの『天文学者』と共にファブリティウスの『歩哨』が来ていたとのこと。絵葉書を見せてもらい、手持ちの画集で確認する。大火でほとんどの作品が焼失し、12、3点しか残っていない画家の強烈な遺作。

6月11日(木)

痛みに耐えている友人たちのことを思うと悔しくてなんとかならないかと思う。痛みの理由はさまざまで、その元に辿りつけない場合もあるが、ペインクリニックを幾つも回って対応がひどいケースも聞いた。理不尽。

6月10日(水)
あちこちで紫陽花が華やかに開き、嬉しいため息をつく瞬間をくれる。鬱蒼と茂った木々に重なる緑が夜のうちに降った雨で艶やかに輝き、その足元で紫や青のドレスで舞踏会に出てきた花たちが昂然と頭をあげている。

6月9日(火)
野菜の値段が高くなっているとか。でも実際に買って料理していると、なんて安いのかしらと思う。大きなトマト、茄子2本、胡瓜3本、などどれも94円だし、じゃがいもや玉葱やピーマンも一袋250円で沢山ある。

6月8日(月)

きのう、紀伊國屋で本を買い、ウッドデッキに面したタリーズで珈琲を飲んだ。デッキの先には薄いピンク色の壁にガラス窓が光る病院が見え、半年前には、ああ、あそこからこちらを眺めていた、と不思議な気がした。

6月7日(日)
新宿南・紀伊國屋6階の洋書売り場。一角に椅子を30ほど並べて「仏語と日本語のあいだで」と題し、錚々たる仏語訳者3人のトークだった。一人は直穂ちゃん。軽やかでいて翻訳の世界に集中した良き2時間だった。

6月6日(土)
児島さんに「カズオ・イシグロ」を新宿にいたとき課題としてやったかどうか聞き、阿部さんに読んだことがあるかどうか聞こうとして、児島さんに阿部さんと呼びかけていた。よくやってしまう混乱状態、頭のなかの。

6月5日(金)
テニス全仏オープンの車いすの部・準決勝をTVで見た。相変わらず国枝慎吾がすごく、完ぺきなストレート勝ちで決勝へ。上地結衣は連覇できなかったけれど、それもいい。日本代表の二人のがんばり、華やかに讃えたい。

6月4日(木)

「黒いお洋服かと思ったら光によっていろいろな青が見えるんですね」といわれ「色が白いですね、わたしは真っ黒」なんていわれ、私は無愛想にならないよう相づちを打ち、バス停からずっと話は続く。近所は面白い。

6月3日(水)
数日前、朝の名曲の時間にピアノ曲「乙女の祈り」を聴いた。無性に懐かしかった。ポーランドのバダジェフスカという女性作曲家が20歳頃につくったもの。私が10歳頃にこの曲で踊ったことを手足が覚えていた。

6月2日(火)
島田雅彦氏のTVリポートで小豆島、となれば新聞連載小説と挿絵で組んだ内澤旬子さん。どんな生活かなあと思っていた気持ちが少し満たされた。自分で獲ったイノシシを料理して。内澤さんに似ている白ヤギさんも登場。

6月1日(月)

木立の上には/夜がほしい、/大理石のテーブルには/くだものがほしい、/血がたぎるためには/闇がほしい、/真赤な心には/純粋がほしい、/白いページには/ひざしがほしい、/沈黙の底には/愛がほしい・・・(ジュール・シュペルヴィエルの詩「夜に捧ぐーーいのちの残り」から、安藤元雄訳)